第1話 大地の姫君が失くしたものは
5/30二人の容姿の描写を増やしました。
6/10文章の見直しをしました。
『離れていても、心はいつもあんたと共にある。俺は、絶対にあんたのところに帰ってくる。約束だ』
(誰かが、私を呼んでいるような気がする……)
少女はゆっくりと重い瞼を持ち上げた。見知らぬ天井が彼女の目に入り、なんとなく違和感を覚える。
気だるげに、少女は体を起こした。
彼女は、腰まで届く長い亜麻色の髪を有している。
透明感のある肌はきめが細やかだ。
小動物のような可愛らしい顔立ちをしており、円い黄金色の瞳を亜麻色の長い睫毛が縁取っている。
可憐な唇は桜色の貝を合わせたようで、まだ少女のあどけなさが残る。
そして、肩口から先のない肌触りが良く柔らかな白いドレスを彼女は身につけていた。
(ここは……? 私は、一体……?)
豪華なシャンデリアが放つ、黄金色の照明によって輝く広い部屋。
色とりどりの薔薇が生けてある花瓶。
古めかしいけれど芸術的な価値があると、一目で分かる木彫りの机や椅子、寝椅子――。
それらに囲まれた寝台の上に、彼女はいた。
寝台は、大人が五人程度眠ることができる広さだ。
(右手が温かい――)
少女の視線の先には、彼女よりも大きい手が見えた。ベッドの脇にもたれかかるようにして、彼女の手を握る主は眠っている。
(誰――?)
眠りについている人物の持つ、絹のように滑らかで白金色をした髪。
(顔が隠れて見えない……)
着用している白いフロックコートや手の大きさから判断するに、男性だろう。コートの下からは、コバルトブルーのタイが覗く。
(男の人……?)
少女は、握られた手を微かに動かす。
それに気づいた男性が、ゆっくりと頭を持ち上げた。
目覚めた彼の相貌に、彼女の心臓が跳ねる。
男の蒼い瞳。瞳を縁取るのは、髪と同じ白金色の睫毛。
彼の鼻梁は高く、ひどく端正な顔立ちをしている。
何よりも、この世のものとは思えない美しさを持った青年。
(月の化身……)
少女は、『月の化身』が何を指すのかは分からなかった。だが、咄嗟にその単語が頭の中に閃いたのだ。
青年はこちらを見て「姫様……!」と、感極まった声を上げる。
彼に姫様と呼ばれた瞬間、ずきりと頭が痛んだ。
青年から姫様と呼ばれることについては、特に混乱はしない。
けれども――。
「あの……」
少女は、ためらいがちに青年に声をかけた。
青年は、揺れる蒼い瞳で少女の方を見ている。
「貴方は……誰……ですか?」
彼女がそう問いかけると、目の前の青年の表情が少しだけ曇るのが分かった。
彼の表情を見た少女は苦しくなる。咄嗟に、握られていた手を振り払ってしまった。
「その……ごめんなさい。私、自分のことも……」
少女は、目が覚めてからずっと、自分が誰なのか考えていた。
(――何も、思い出すことが出来ない……ここがどこなのか、自分に何が起きたのか……それどころか、名前すら――)
青年の悲しげな表情もあいまって、少女は、胸がぎゅっと締め付けられた。
彼が息を呑んだのが、少女にも分かる。
「姫様、ご自身のお名前やお立場などは?」
少女はそう問われたが、何も浮かばない。首をふるふると振った。
「ごめんなさい、本当に何も。だから、貴方が誰なのかも、分からなくて……。ごめんなさい」
彼女が謝罪すると、男から「いいえ」と返ってくる。
「良いのです。姫様が無事でいてさえくれれば、それで」
男の声音は、とても穏やかなものだった。
彼女の胸に、彼の涼やかな声が優しく溶け込んでいく。
(悪い人ではなさそう……?)
「本当にごめんなさい。もしよければ、貴方のお名前と、私とはどういう関係なのかお教えいただけますか?」
少女はおずおずと尋ねる。
青年は蒼い目をすがめながら、ゆっくりと口を開く。
「私は、ルーナ・セレーネ。貴女様が幼少のみぎりより、教育係を任じられて参りました」
そして――。
少しだけ間があった後、彼は目元を和らげながら、少女にこう告げたのだった。
「姫様、貴女様とは婚約しておりました」




