第154話 竜を産みし者
王女ティエラは、夢の中で聞いた子守唄を歌い始めた――。
彼女の周囲を、金と銀の光が包み込む。彼女の右手にある鏡の神器からは、金の光が零れている。
腰まで届く亜麻色の長い髪が、彼女の歩に呼応するように揺れた。
ティエラは、その金の瞳でまっすぐに、自身の婚約者であるルーナの蒼い瞳を見据える。
彼は今、同じ名を持つ王国の竜に憑りつかれている。否、ルーナ自身が竜を取り込んだはずなのに、現実から目を反らして意識を竜に委ねてしまったという表現が近い。
「歌うな! なんで、なんでその唄を知っているんだよ! 僕に近寄るな!」
ルーナの身体を奪った竜は、白金色の髪に端正な顔立ちをした顔を歪めながら叫ぶ。
彼もティエラと同様、金と銀の光に包まれていた。その光に絡めとられたルーナに憑いた竜は、その場から動くことが出来なかった。
「『ルーナ』、貴方は独りぼっちなんかじゃないわ――長い時が経っているから、小さい頃の記憶を忘れてしまっているのね……」
ティエラは、ルーナに憑りついている竜『ルーナ』の頬にそっと左手を寄せた。
彼女の右手にある鏡の神器が、さらに輝きを増し、まばゆい金の光が二人を包んだ。
※※※
玉の一族の長である『月の化身』スフェラは類いまれなる美貌を持っていた。その義妹のスピカも同様に美しい容姿と聡明さに恵まれ、『月の女神』と呼ばれ、民から慕われていた。
神達は同母兄弟でなければ愛し合うことも多い。例にもれず、スフェラとスピカの二人も恋人同士だった。
そんな中、鏡の神器の長であるカスレフティスが、玉の一族の美しき女性スピカに目をつけた。戦乱の最中、敵の捕虜となった彼女は、カスレフティスの側室にさせられた。
そうして、カスレフティスの子をスピカは身ごもることとなる。
(好きでもない男の子どもなんて、愛せるわけない――)
スピカは絶望にさいなまれた。
愛する義兄スフェラに、このことを知られたらどうしようと悩んだ。
自害しようと何度も試みたが、鏡の一族の長であるカスレフティスがそれを許さなかった。
そんなある日、彼女のお腹の中の子どもが初めて動いた。
その時はまだ、彼女は驚いただけだった。
だが、何度か胎の中で子どもが動き、しかも彼女の声に呼応するように身体を動かすこともあることに気づいた。
彼女が泣いていると、赤子が慰めるように彼女の腹を蹴る。
無理やり孕まされた子どもなんて愛せないと思っていた――。
だけど――。
何度も自分に応える腹の子に、彼女はいつしか愛着がわいていた。
(カスレフティス様のことは好きにはなれない。だけど、この子に罪はないわ――)
そして、白金色の髪に金の瞳をした赤子が生まれた。
スピカは初めて目にする自身の赤子を見て、「この子と会うために、これまでの出来事があったのだわ」と、そう思った。
月の大層綺麗な夜に生まれた彼に、カスレフティスが月を意味する『ルーナ』と名付けた。
(まさか、カスレフティス様が、子どもの名前を付けるなんて――)
そうして彼が、幸せそうに『ルーナ』を抱いている姿をスピカは目にする。
スピカは、憎んでいたカスレフティスに少しだけ歩み寄った。その結果、カスレフティスはスピカのことを本当に愛していたが、伝え方が分からなかったのだと知った。
受け入れ難い面もあったが、スピカのカスレフティスへの嫌悪は以前よりもなくなっていた。
彼女は、いつも夜になると『ルーナ』に子守唄を歌って聞かせた。
「父様も母様も、貴方を愛しているわ、ルーナ」
形から入った歪な家族だったが、スピカは幸せだと思えるようになっていた。
そう――。
義兄のスフェラがスピカを迎えに来ると言い出し、カスレフティスが荒れ狂うまでは――。
※※※
ルーナに憑いた竜は、涙を流していた。
「僕は――」
ティエラが伸ばした左手で、彼の涙を拭った。
「長い時間が経ったし、幼い頃の記憶だから、忘れてしまっていたのね――」
彼女は穏やかな口調で伝えた。
「お姫さま――僕は、母様に愛されていたのかな?」
ぽつりと『ルーナ』は呟く。
「ええ、確かに貴方の母様は、貴方を愛していたわ――」
そしてティエラはまた、子守唄を歌い始める――。
今度は、意識の奥底に隠れてしまった、彼女の婚約者の元にその声が届く様にと――。




