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記憶喪失の癒し姫と白金の教育係と紅髪の護衛騎士  作者: おうぎまちこ
第5部 月華・玉の章(if)

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第153話 竜の記憶




 鏡の神器の力を使い、ティエラはソルと二人で『鏡の檻』と呼ばれる空間に降り立った。ティエラが、この不思議な空間に来るのは三度目だ。所々、宙に岩が浮かんでおり、現実世界ではないことが分かる。

 神器の使い手の三人しか来れないこの空間に、これまで永い間、竜は一人で閉じ込められてきたはずだ。


「ソル、ルーナはどこにいると思う?」


 ティエラがソルに問いかける。その際、どこからか風が吹き、彼女の亜麻色の長い髪と淡い空色のドレスを揺らした。


 周囲に風の渦が巻きはじめる。

 

 同時に突風が二人を襲う。


 ティエラは小さく悲鳴を上げ、切り立った岩場から飛ばされかけた。

 

「離れるなよ、ティエラ!」


 紅い髪に碧の瞳をした、彼女の護衛騎士ソルが叫んだ。

 彼は、ティエラの身体を抱き寄せると同時に魔術陣を生成する。

 襲い掛かって来た強風は、陣に全て跳ね返され、むなしく消えて行った。



――その場に、涼し気な声が響く。


「ほら、月の化身、見なよ。わざわざ、君の愛するお姫様とその恋人が、仲良く二人でここまで来てくれたよ。せっかく、僕を取り込んで現実から逃げようとしたのにさ――。もっと苦しみなよ、僕を苦しめた、月の化身――!」


 ルーナの身体に憑いた竜が、ティエラとソルの前に姿を現す。

 彼は楽しそうに笑んでいた。話しながら、魔術を何度も二人に打ち込む。彼の白金色の髪が風になびき、蒼い瞳にはどことなく暗い光を宿していた。


「剣の一族の男! お前も僕を騙したあいつによく似ている! 虫唾が走るよ!」


 ルーナに憑いた竜が、帯刀していた細剣を引き抜き、ソルへとそのまま剣を撃ち込んだ。

 ソルは右腕でティエラをかばいながら、左手で握る神剣で相手の攻撃を防ぎ、剣を跳ね返した。


「お前の言う男と、俺は違う人間だ。それはルーナも同じだ」


 ソルはティエラを背後にやると、跳躍し、竜に向かって剣を閃かせる。 


「ルーナの身体から出なさい!」


 ティエラが、竜に向かって叫ぶ。

 竜は細剣でソルの剣をいなし、彼から距離を取った。


「今のお前たちを見て、月の化身は引っ込んだよ。こいつは、自分から僕を取り込んだんだ。そっとしておいてあげなよ」


 皮肉めいた笑みを浮かべて、ルーナに憑いた竜がティエラに告げる。

 ソルは一旦攻撃の手を休め、二人のやり取りを見守った。


「嫌よ」


 ティエラが答える。

 ルーナについた竜が、鼻白む。


「傲慢だな。別に愛する男がいるのに、愛していない男の子を孕んだお前を見ていると、反吐が出るよ。そうやって生まれて来た子が不幸になっていくんだ。お前みたいな、男を振り回す女がいるから、子どもが不幸になっていくんだ。自分は間違って生まれて来たんだって後悔するんだ――」


 ティエラの金の瞳に強い光が宿る。


「それは、貴方自身のこと? 竜――いえ――」


 ティエラは、ゆっくりと口を開く。



 彼女が声に出したのは――。


――竜の本当の名。



 そばで聞いていたソルが目を見開く。


 ルーナに憑いた竜の、蒼い瞳も揺れた。




※※※




(もう何も見たくないから、竜の意識を取り込んだのに――)


 竜と同化しつつあるルーナは、暗闇の中にいた。


 ティエラとソルの二人の姿を見て、ルーナは怖くなって意識を手放してしまった。


 彼は、自身と竜と呼ばれる少年の記憶の境が曖昧になりつつあった。




※※※




 これは、どちらの記憶だろうか――。



「出して! 父様、出してよ! 僕、良い子になるから! お願いだよ……!」


 真っ暗闇の空間に閉じ込められた幼い少年は、泣きながら外に居る父に向って叫んだ。

 彼は本来、白金色に煌めく髪を持っているが、今は闇に染められ何色をしているのかは分からない。

 何度も扉を叩いた彼の拳には血が滲んでいた。


「ねえ、どうして……」


 泣きじゃくる少年の前の扉がわずかに開き、光が差し込む。


「ルーナ」


 低い男の声が届く。

 少年は、眩しさで思わず目を瞑った。

 

 次第に光に慣れていく。


 そこに立っていたのは自身の父親の姿だった。

 後光で、父の全身は陰になってしまっており、その表情は少年には分からなかった。


(良かった……父様は、僕を許してくれたんだ……)


 だが、男が少年に放った言葉は無情にも、少年が期待した言葉ではなかった。



「お前なんか、生まれて来なければ良かったのに……ルーナ……」



 心がえぐれてしまうようだった。


 少年の――金の瞳が揺れた。


 


※※※




「僕には家族がいないんだよ、グラディウス」


 玉の一族の特徴である白金の瞳と、鏡の一族の特徴である金の瞳を持つ少年が、哀し気に呟いた。


「お前に家族がいない? 血のつながった兄弟もいるだろう?」


 少年に答える相手は、剣の一族の特徴である紅い髪に碧の瞳をした青年だった。


「貴方も知っているでしょう? 僕は、本当の父様であるカスレフティス様からも、スフェラ叔父上からも嫌われているんだ。母様だって、新しく出来た弟のことしか見ていない」


 膝を抱え、金の瞳を揺らす少年に対して、グラディウスと呼ばれた紅い髪の青年が告げた。


「だったら、俺がお前の兄弟になってやるよ」


「え?」


「血のつながりはないけど、お前の『兄弟』にさ。なあ、――」


 太陽のように笑うグラディウスは、少年の名を呼んだ。


 兄弟と言った彼の言葉が、少年の心を打った。



 だけどグラディウスは、影で少年を殺すための剣を打っていたのだった――。




※※※




 ティエラから、本当の名前を呼ばれた竜はたじろいだ。


 彼女はゆっくりと、竜の方へと向かって歩く。



「人は、どうしても間違える生き物よ――」



 ソルのそばまで歩いてきたティエラを、彼は制そうとした。だが、彼女は首を振る。


 ティエラは、竜が憑いたルーナの元へと進んだ。



「だけど、間違って生まれて来た子なんて、この世に存在しない」



 ティエラを、金と銀の光が包み始める。



「私が貴方を癒してあげるわ」



 彼女は続けた――。



「もう一人の――」


 

 竜の本当の名を告げる。

 



「『ルーナ』」




 それはティエラの婚約者と同じ、月を冠する名――。


 真名を呼ばれた竜は、その場から動けなくなる。




――ティエラは、夢で聞いた子守唄を紡ぎ始めた――。




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