第149話 大地は竜と対峙する
「私の十七の誕生日は、まだ先よ――竜――」
ティエラがとげとげしい口調でそう言うと、目の前の父の姿を借りた男はにやりと笑った。ティエラと同じ金色の瞳は、夕陽に照らされ恐ろし気な炎を宿しているように見える。
ティエラは立ち上がろうとするが、再度立ちくらみに襲われ、その場にへたり込んでしまった。男を見上げる格好となった彼女は、彼をきっと睨みつけた。
「知っているさ。でも、もうあと数日だろ? 城に神剣もないし、僕の封印もいつもよりも緩むのが早くてさ。 しかもお前がその唄を歌っていたから、ちょっとだけ早く顔を出してみたんだ」
男は下卑た目で彼女を見下ろしながら、口角を月の形のように持ち上げた。
(お父様なら、絶対にしない笑い方だわ……)
ティエラが考えていると、男はおもむろに彼女の髪の毛を掴み、彼女の体ごと持ち上げた。
「きゃっ」
父の姿をした竜に、ティエラは髪を引っ張られたままのため鈍い痛みが走り続けている。
ティエラの中でふつふつと怒りが沸いてきた。彼女は腹部を抑えていない方の手で、拳をぎゅっと強く握る。
「離して」
彼女の語調が強くなる。
だが、男は彼女から離れようとはしなかった。
彼は、得意満面な様子で話を切り出す。
「ねえ、穢れたお姫さま。お腹の子が死んだら、お前を喰らうことが出来るかな? もうずっと長い間、女を食べることができていないんだ。この際、一度子を孕んだ女でも良いかなと思ってる。もしくは――」
竜はせせら笑いながら、ティエラに続けた。
「子どもが生まれてくるまでは、やっぱり待って、その子が女だったら赤ん坊だけど食べてしまおうかな。男が生まれたなら、その場で殺して……女が生まれるまでそれを繰り返すんだ」
想像するだけで、ぞっとしてしまった。
それと同時に彼女の怒りは収まりがつかないほどに大きくなっていった。
「子どもは、道具や玩具なんかじゃない」
ティエラがそう言うと、父の姿をした竜は激昂した。
「ふざけるなよ! お前みたいな女が一番腹が立つんだよ!!」
彼のティエラの髪を掴み上げる力が、さらに強まった。
(鏡の神器をどうにかして手元に持ってこれたら――)
そうすれば、竜をどうにか元の空間に返すことが出来るはずだ。
先ほど、ソルから貰ったペンダントをずっと身に着けておくのも悪いと考えて、机の上に置いてしまったことを、ティエラは深く後悔した。
いつも彼女を護ってくれていたソルは、今は自分の近くにはいない。
ルーナが気づいてくれるまで、自分の力でどうにかするしかない――。
(私が、この子を守らないと――)
この場で、自分に宿った子を守れるのは自分しかいないのだから。
「お前達、親は! そんな綺麗ごとを言いながら、都合が悪くなったら、子どもを道具や玩具みたいに扱う癖に!! 簡単に切り捨てるくせに!!」
壮年の男の身体を借りている男の叫ぶ内容は、子どもが駄々をこねているようにさえ聞こえた。
「そうだ! もう今、ここで、お前の子をどうにかして殺してしまおう! そうしてお前を食べてしまうよ!!」
そう言って、男はティエラの髪を掴んでいた手を離した。男は、傾いだ彼女の体に手を伸ばしたかと思うと、彼女の首を掴んで絞め上げ始める。
急に息が出来なくなったティエラは呻くことしかできない。
(だめよ、私はここでは死ねない――)
せめてもの抵抗にと、男の手を、ティエラは爪で引っ掻く。全く意味のない行為だとは分かっているが、あがくしかない。
(彼を……ルーナを置いては、絶対に――)
彼女の意識は、徐々に白濁していく。
「女、今ここで、僕の糧となれ!!」
『私が、姫様と御子を御守りします』
ルーナがそう言って穏やかに微笑んでいたのを、ティエラは思い出した。
(ルーナ……)
そんな中――。
首を絞められたままのティエラの頬を、ひやりとした風がなぞった。
と思いきや――。
窓ガラスが割れる音が響く。
――すさまじい強風が、竜とティエラの間を駆け抜ける。
鋭い風で斬り裂かれた男は絶叫を上げ、ティエラの首から手を離した。
それと同時に紅い何かがティエラの視界をよぎった。
(今のは――)
爆炎が上がると共に、竜に向かって銀のきらめきが走る。
――男の叫びと同時に、部屋の壁が轟音を立てて崩れた。
男から解放されたティエラは、音を聞きながらその場にしゃがみ込んだ。
肺に空気が一気に流入したため、彼女はしばらく咳き込み続けていると――。
「姫様!」
いつもは涼し気な声をしている彼が、慌てた様子でティエラのそばに出現した。
ティエラの肩にそっと手を当てた彼は、彼女をのぞき込みながら伝える。
「すぐに気づけずに申し訳ございません」
そんなルーナの発言に重なるように、聞きなれた別の青年の声が聴こえた。
「お前がちゃんと守れないなら、ティエラは俺がもらうぞ、ルーナ!」
もうもうと立ち込める煙の中――。
竜に向かって剣を構える青年は――。
「ソル!!」
そこには、ティエラとルーナを護るようにして、ソルが立っていたのだった。
ソルの放った炎で焼け焦げた男が、ぎりぎりと歯ぎしりをした後、こう叫んだ。
「忌々しい! 僕に嘘をついた、剣の一族め!!」




