第148話 月の従者達
城、宰相の執務室にて――。
「へ~~、もうお子様が出来たんですか~~。早かったですね~~。いやはや。まあ、おめでとうございます」
長身痩躯の身体に黒髪長髪、単眼をかけた男ウムブラが、軽い口調でルーナに声をかけた。
「名実共に、真の婚約者になられたようで何よりです」
おどけた口調で話すウムブラを、ルーナは一瞥する。
「それで、ルーナ様はご自分を犠牲にされるのは辞められたのですか~~?」
ウムブラの発言を受け、ルーナは微笑を浮かべていた。老若男女問わず魅了するというルーナの笑顔だが、作り笑いの方が多い。けれども今の笑顔は本物だった。
いつも以上に、ルーナの白金色の髪と蒼い瞳が輝いているようだった。
「ウムブラ、国王陛下達から何を頼まれているのか知らないが……裏で色々と忙しい限りだな」
「おやおや? まあ、そうですね、神剣が近くにあると、スフェラの黒竜に喰われた脚が疼くんですよね~~。だからちょっとソル様に城にいてほしくなかったかな、なんて……」
ウムブラは飄々とした態度で答える。
彼の言葉には、真実と嘘がいつも織り混ぜられていて、何が本当かは分かりづらいところがある。だが、ルーナもウムブラとは十年来の付き合いだ。なんとなくどちらかの当たりはつくようになってはいる。
ウムブラはスフェラ公国との戦争の折、黒竜の魔術から親友ヘリオスの甥であるソルを庇い、片脚を失っている。彼の脚は、竜の力が関与したせいか治りが悪かったこともあり、大公プラティエスが治癒に当たった。鏡の加護を強く受けたためか、ウムブラの瞳は金に近い色に変化した。
「答えにはなっていないな。まあ、そう言うことにしておくさ」
ルーナは微笑えんだまま答えた。
ウムブラは踵を返し、扉に向かって少しだけ歩いた。彼の背に向かって、ルーナが声をかける。
「ウムブラ、お前の大事な者を傷付けるような真似をして申し訳なかった」
ウムブラは立ち止まったまま、しばらく返答しなかった。その背に一瞬怒りをルーナは感じた気がした。
「それはぜひ本人に」
いつもの調子に戻ったウムブラが、ルーナに答える。
「……兄だと名乗らないのか?」
「その内ですかね~~」
そうしてウムブラが、執務室から去って行った。
※※※
ウムブラと入れ替わるようにして、ヘンゼルがルーナの執務室へと入室してきた。
ヘンゼルは今日も、その長く滑らかな黒髪を頭の後ろで一つに結っている。他の侍女達と同様に、黒いワンピースに白いエプロンを付けている。
彼女は白い布に包まれた長物を腕に抱えていた。
「鍛冶師に作らせた神剣の贋作はいかがなさいますか?」
「もう必要ないだろう。誰が何を言ったのかは知らないが、あの男は自力で立ち上がってきた。恐らく、神剣は元に戻っているはずだ。こちらで管理しておこう」
ルーナは、ヘンゼルにそう返した。
彼は彼女の元へと近付くと、彼女から白布に包まれた神剣の贋作を受け取った。
ヘンゼルはルーナの顔は見ずに伝える。
「姫様に御子が出来たと、ウムブラから聞いております」
彼女の声は微かに震えている。
「これまで、お前を利用するような形になってしまい申し訳なかった」
ルーナは静かに、俯いたままのヘンゼルへと伝えた。
十年近く前、ウムブラからお勧めの場所があると言われ、ティエラとソルが平民街へ遊びに行っていた事がある。
数回の後、ヘンゼルとグレーテルの姉妹を引き取りたいと、ティエラがルーナに話してきた。
娼館で働いている姉妹を引き取りたいなどと、ティエラも大概お人好しだと思いながらも、ルーナは彼女の願いを叶えたかった。
その姉妹を見定めるために、ティエラとルーナは平民街と貧困街の境へと脚を運んだ。
ルーナは姉妹を引き取るためには、姉を御してからの方が容易いと判断して、娼婦として働いていたヘンゼルへと近づいた。
ルーナはヘンゼルから御礼がしたいと言われ、一度だけ彼女と身体を重ねた事がある。
それきり、姉妹が城に来てからは何もなく過ごしてきたのだが――。
「姫様と剣の守護者ソル様との仲が深まり、傷付いていた貴方様に、姫様の代わりでも良いと言って近付いたのは私です」
消え入りそうな声で、ヘンゼルはルーナに言葉を紡ぐ。
――ティエラがソルと恋人同士になってからは、孤独なルーナを慰めることが出来ればと、ヘンゼルは何度となく彼に身体を差し出した。
「姫様が、私とルーナ様の仲を疑い、それを嫌がっている事も……私は初めから知っていました。貴方が女性の誘いを断れないことも、もちろん知った上でした――私こそ、ルーナ様に謝らなければなりません」
ルーナは自身の身体に無頓着で、誰かから情報を引き出すための道具ぐらいにしか思ってこなかった。
誰かと話すのも得意ではないため、身体を求められるがままに応じれば、勝手に相手が何か話してくるため楽だと思っていた。
幼少期からの経験もあり、誰かの誘いを断るのも怖くて出来なかった。
だけど、ルーナはティエラと結ばれて以降、彼女以外に応じたくないと思うようになった。
「貴方が、私に口づけしてくることはありませんでしたね」
ヘンゼルはルーナへと続けた。
彼女の瞳には涙が浮かんでいる。
「ルーナ様、姫様と御子様とお幸せに――」
ルーナはしばらく何と返事をして良いのか分からないでいた。
「ありがとう」
彼が何とか思い付いたのは、その一言だけだった。
「それでは」
ヘンゼルが部屋から立ち去ろうとするのを、彼が見送っていた時――。
ルーナの身体全体に空気が重くのし掛かったかのような重さを感じた。
「この気配は――!?」
ルーナは、ティエラの部屋の方を振り向く。
それと同時に――。
――建物が崩落するような轟音が響き渡った。




