第145話 月の思惑3
(なんだろう? 何か聴こえる――?)
ティエラの耳に、女性の唄声が届く。
その声は、胸に優しく響いた。
しばらくすると女性の歌は止み、誰かに話始める。
「お父様、悪い人ではないのよ。ただ、愛された事がないから、愛し方を知らないの……」
どうやら母が子に何かを話し掛けているようだった。子は母に抱き締められ微睡んでいる。
「あなたが生きている内に、優しさを取り戻してくれたのなら良いのだけど……」
母親は、子の髪を愛しそうに撫でる。
彼女の仕草が、ティエラに誰かを想像させる――。
(あれは――)
「ごめんなさい、貴方が大きくなった時に、私はもういない。だけど……私ではない誰かが貴方の家族になって、きっと私以上に貴方を愛してくれるわ」
女性は、か弱い子どもの未来を嘆きながら期待を口にする。
そうして彼女は、子の名を呼んだ――。
「お母さんは、貴方を愛してるわ……ルーナ」
白金色の髪をした少年は、母親の胸の内で幸せそうに眠っていた。
※※※
「……ティエラ!?」
彼女は、机の上にもたれるようにして倒れこんだ。その後、彼女からの反応がなくなってしまい、ルーナは慌ててしまう。
彼女がいなくなってしまうのではないかと、そう思うだけで怖くてしかたがない。
ルーナの義母、ソルの姉オルドー、鍛冶師として生きているシデラス――。
国王や大公から聞かされてきた話に、彼等から聞いた情報を加味して整理した結果、ティエラを竜から護る手段として最適解だと判断して、ルーナは行動してきた。
鏡の神器の守護者であるティエラならば、強大な力も制する事が出来ると思っていたが……。
(読みが甘かったのか……?)
ルーナは、どうしてもティエラに関することだけは読み間違えてしまうことがある。
特に最近、彼女との関係性が近くなってきているからかもしれない。
「貴方のいない世界では生きては行けない。お願いだから、目を覚まして下さい――ティエラ――」
※※※
「……ティエラ……」
心配そうに自分の名を呼ぶ青年の声に、ティエラはゆっくりと首をもたげた。
「ルーナ……?」
(さっきの夢は――)
まだ頭の中はぼんやりとしている。
ティエラはルーナに先程の夢を伝えようかと思ったが、頭の中がまとまらず口にする事が出来ない。
どうやら自分は机の上に突っ伏していたらしい。
足元に、割れた陶器の破片が散らばっているのが見えた。
ティエラが名を呼ぶと、彼女を覗きこんでいる彼は、嬉しそうに微笑んだ。
すぐに彼女は、彼から抱き寄せられる。
「ご気分が優れない姫様に、ご負担になるような話をしてしまいました……。すぐに目を覚ましていただけて本当に良かった」
ルーナは心底安堵した様子だった。
「ごめんなさい、最近あまり体調が振るわなくて……」
ティエラが気怠げに返すと、ルーナが返す。
「大丈夫です。ご病気ではございませんので……ただ、まだしばらくは続くかと……私が姫様に何も伝えていなかったのも、悪かったのです」
「ルーナは、私の体調に関して何か知っているの?」
ティエラはルーナに問い返した。
まだもう少しだけ体調が悪い状況が続くのは辛い。だが、原因が分かっていて、いずれは落ち着くのであれば安心だ。
彼は彼女から少しだけ体を離し、近くに跪いた。
「はい、姫様。存じております」
ルーナはにこやかに微笑んでいる。
(笑ってるし、私は病気ではなさそうね)
そう、病気では――。
そこまで考えて、ティエラははたと気付く。
(先程までの話――。だけど、神の血を継ぐもの同士は――。でも、まさか――)
神の化身である婚約者は、ティエラの手を取りながら告げた。
「姫様はご懐妊されています」




