第137話 月と向き合う前に
「失礼致します。本日は休日のため、オルドー様に代わり、私が姫様の元に参りました」
ヘンゼルはティエラの部屋を訪れ、そう伝える。
「そうだったの。そんなに日にちが立っていたのね」
そう答えるティエラに対し、ぼんやりとした印象をヘンゼルは受ける。
彼女は部屋から出られないだけで、バルコニーなどから外の様子を見たりできる。そのため、昼夜の感覚はあるが、日付の感覚は失くなっているのだろう。
(ルーナ様は、やはり姫様に甘すぎるぐらいに甘いわ……)
ウムブラが手を貸したとは言え、ティエラにはバルコニーから脱出した経緯がある。そのため、大きな窓を閉めきるなり、部屋を変えるなりすれば良いのだが、ルーナは絶対にそんな対応は取らない。
未来の女王にそんな態度を取ったとなれば、気づいた貴族達が騒ぐ原因にはなるかもしれない……。
けれども、今のままなら名実ともにルーナはティエラの夫になる。あと一月もしない内に、色々何かを言ってくる輩も黙るに違いない。
もちろん、「ティエラもルーナも生き残れば」という前提はつく。
特に何かお喋りをしたりはせずに、ヘンゼルは黙々と仕事をこなす。ルーナに命じられた通り、淡い紫色をした、スカート部分にチュールがあしらわれているドレスをティエラに着せた。
「ルーナ様から、姫様への贈り物のようです」
ヘンゼルは知っている。
ルーナが、ティエラがまだ十にも満たない年の頃から、ずっと彼女に何かしらの物を与えていることを。だけど、彼女からは「ルーナのお給金は国のお金だから、贈り物は要らない」と言われてしまっていることも――。
だけれど、彼自身が何かを欲するということは珍しく、それこそ、ティエラの贈り物にしかお金を使っていない節がある。彼の何も置かれていない殺風景な部屋が、その事を物語っているような気がした。
(ルーナ様は不器用な方だわ……)
ティエラが真に欲していたのは、ルーナとの時間だったに違いない。
だけど、誰かの愛し方も、誰かからの愛され方も分からない彼には、気持ちを伝える手段が分からないのだろう。
ティエラから愛されたくて空回りするルーナは、世間一般の言う完璧な彼とは違う。
(だけど、私はそんなルーナ様の事を……)
「ヘンゼル……」
ティエラが神妙な様子で、ヘンゼルに話しかけてきた。
そうしてティエラが口にした言葉にヘンゼルは驚いた。
「ルーナは、ヘンゼルを愛しているのよ」
※※※
ヘンゼルと入れ替りで、ウムブラはティエラの部屋に入った。
「ウムブラさん、久しぶりですね。ルーナに伝言を頼みたいんですけど……」
ティエラの会話に被さるように、ウムブラが話す。
「ヘンゼルから一応報告は受けてましたが、姫様、話し方が昔の口調に戻ってますね~~」
彼へのうさんくさい印象は相変わらずある。
(まあ、この人は昔からそうだったわね)
ティエラは、そんなウムブラのことを微笑ましく思った。
そうして彼女は彼に話しかける。
「ウムブラさんは、ルーナとソル、どちらの事も好きですよね?」
「おや?」
彼は、とぼけるように問い返した。
そこにティエラは続ける。
「今回、ウムブラさんが色々と動かなければ、私とソルの二人が城から飛ぶことはありませんでしたよね。ルーナの邪魔になるような行動をとってはいたけど、何か意図があったのではないですか?」
少しだけ間があった。
ぽつりとウムブラは呟く。
「私は、私が大事なものを大事にしない輩が嫌いなだけですよ……」
彼は、ティエラは昔から鋭いなと思いながら、彼女は旅を経て強くなったなとも感じた。
「姫様、記憶は全て――?」
ウムブラの疑問に対し、彼女は首を振った。
「まだ、あと少しだけ足りないんです」
※※※
ティエラはウムブラへと話を続けた。
「ルーナは何を考えているんでしょうか? 国を滅ぼしたいと……。愛する女性と幸せになりたいと……。そう言っていたから、その女性とはヘンゼルの事だと思ったんです……」
伏し目がちに話すティエラに、ウムブラが懐かしそうに返した。
「昔、同じような事がありましたね……。ルーナ様は、今も昔も貴女にしか関心はないし、貴女のためにならないことは致しませんよ」
ティエラは、そっと目蓋を閉じる。
「『私の知るルーナ様は、ティエラ様のことだけを愛しています』と、ヘンゼルにも言われたわ……」
そう言われた時の事を思い出すと、ティエラの胸は痛んだ。
ルーナとの記憶を反芻する。
『はい……約束します、姫様。私が、貴女様の家族になって、貴女を必ずや幸せにいたします』
『貴女様が必ずや、幸せな未来を迎えることが出来るように……致します』
『私は、姫様のことをお慕いしておりました』
『これまでも、お待ちしておりましたので、焦ってはおりませんから』
ティエラが記憶を失った後に、目覚めた彼女にルーナはそう言った。
「でも今さらじゃないかしら、私が昔のことを思い出したなんて知っても……」
「そんなことはございませんよ」
ウムブラの答えに、ティエラは目を開く。
(まだ、間に合うかしら?)
彼女の金の瞳が揺れる。
ルーナはずっと約束を覚えていたのだろうか?
ティエラがソルのことを想っているのを知った上で、彼女がルーナを見てくれる日が来るのを、彼はずっと待っていたのだろうか?
そんなルーナが今焦っているのは、やはり自分のためだろうか?
ティエラが竜に喰われる位なら、国など滅んでしまえと、一人でずっと抱え込んでいたのだろうか?
ティエラの瞳から、ひとしずくの涙が零れる。
そして、今なら本当の意味でルーナと向き合うことが出来ると、彼女は強く思ったのだった。
次回、ルーナと向き合う話になります。
需要があるかは分かりませんが、ifが終わったら、ティエラとソルの後日談3も追加する予定です(たぶん何話かになる予定)。
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