第127話 大地は月への想いに気づく
婚礼用の白いドレスに手を差し出したティエラの頭の中に、突然いくつかの場面が浮かんできた。
昔、ティエラが九つ頃のことだ。彼女とルーナの二人で、城下街へと出ていた。
宝石店で、ティエラはガラスで出来た薔薇のコサージュを気に入ったのだ。その飾りを、将来ルーナとの結婚式で身に付けたいと彼に伝えた。その際、こっそり宝石商に頼んで、ルーナがコサージュを購入してくれていたのだった。
そして、ルーナが彼女にこう言ってくれたのも思い出した。
『貴女が、私の婚約者で良かった』
数日後、ルーナがティエラにコサージュを贈ってくれた。
その時、涙が出るほど嬉しかった。
『ルーナ、これは宝物にするわ。とても嬉しい。私は今すごく幸せよ』
そうティエラが伝えると、ルーナは満面の笑みを浮かべてくれたのだ。
(あの頃の……幼い私も、ルーナの事を――)
だが、もう一方で……。
ルーナと出掛けた際に、ルーナの事を「旦那様」と呼ぶ一人の男と出会った。
その男が話していた内容までも、ティエラはありありと思い出してしまった。
『ヘンゼルも――彼女は美人で気立ても良いので、旦那様ともお似合いでしょう? 本当にヘンゼルのことを、旦那様には気に入っていただき、結ばれることまでできて、本当に良かったです。旦那様には、毎週のように店に顔を出していただいて――』
当時の自分の記憶と重なるような感覚になり、胸が苦しくなる。
まだ九つ頃のルーナに憧れている自分。
いや、憧れているというよりも、本当に彼に恋をしていたのだ。
毎日毎日、彼にもらったコサージュを飽きることなく見つめていた。
彼を思うと胸が弾んだ。
落ち込んでいた日も、彼に微笑みかけられると、その日一日がとても幸せなものに変わる。
思い出したこの気持ちは憧れでは終われない。
この感情を『恋』と言わずに、他になんと呼べば良いのだろう。
ティエラの金の瞳からは涙が溢れ続けている。
(昔の私もルーナの事が好きだった頃があって、しかも彼がヘンゼルの事を想っていた可能性がある記憶が戻ってしまうなんて――)
ティエラとルーナは政略結婚だ。しかも年も十は離れている。
彼はとても美しい顔立ちをしていていて、女性には困らないはずだった。ちょうど、この白いドレスの調整に来ていたお針子達も、ルーナの浮名を口にしていた。
そして、彼の付き人をしているヘンゼル。彼女は艶やかな黒髪を持つ美人な女性で、冷静沈着で仕事もできるし、とても気立てが良く、ルーナと年齢も同じだ。さらにティエラが彼に頼みはしたのだが、娼館で働いていたヘンゼルを妹のグレーテルともども引き取ったのもルーナのはずだった。
自分にソルがいたように、ルーナに年が同じヘンゼルという想い人がいたとしてもおかしくない。
ルーナを「旦那様」と呼ぶ男との会話の後に、ルーナはティエラに対して「貴女が婚約者で良かった」と囁いてきた。あれは、幼いティエラへの誤魔化しと捉えることもできる。
(幼い私が婚約者になったばかりに、ルーナには不自由をかけたのね……)
本当は、彼も好きな人と一緒に過ごしたいのかもしれない。
彼がこの国を嫌う理由の一つになってしまった可能性もある。
考えていると胸が締め付けられてしまう。
涙も止まってはくれない。
もちろん、ソルの事が好きで仕方がない。
彼を忘れられそうにない。
だけど、幼い頃にルーナが好きだった自分や、記憶を失った頃に彼に惹かれていた自分も一方では存在する。
どうしても消せないルーナへの気持ちが自分の中には、まだ残っているのだと思い知らされてしまう。
落ち着かない気持ちでいると、ちょうどルーナがティエラの元に現れた。
「姫様」




