【正史】0-26 月と大地はすれ違う4
ティエラは、自分の部屋に戻ってから繕い物を始めた。
以前から刺繍をしているが、その続きに着手していた。
白い布に針を刺すが、集中力が続かない。
今日の昼、ルーナに口づけられたことを思い出した。
婚約者同士なのだから、おかしくはないかもしれない。
だけど、なんとなく、心の内にわだかまりがあった。
ルーナが嫌いなわけではない。
むしろ、彼に対しては、婚約者が彼で良かったと思っているぐらいだ。
だけど、他の女性にも同じようなことをしているのかもしれないと思うと、最近はなんだか嫌だったのも確かだ。
それに、頭の中に、婚約者ではない彼の顔が浮かんでこようとする。
「私の婚約者は、ルーナよ……」
浮かんで来ようとする彼のことを考えまいと、ティエラは自分に言い聞かせるように、そう口にした。
ただでさえティエラは、元よりそんなに器用な方ではないのだが、今日はいよいよ刺繍が上手くできなかった。
「いたっ……」
案の定、彼女は左手の人差し指を刺してしまった。以前と同じような場所だ。
左手の人差し指に、血の珠が膨れ上がってくる。
にじむ血の赤さを見ているうちに、彼の紅い髪の色のようだと感じる。
以前、ソルがティエラの指の血を吸っていたことを思い出した。
だけど今、彼女のそばにソルはいない。
『あんたも、俺のことを毎日思い出してくれ』
『俺の心は、ずっとあんたと一緒にいるよ』
「ソル……。私は……」
ティエラは、そっと自分の人差し指を咥えた。
目頭が熱くなってきて、瞳から涙が零れ落ちていく。
彼女はしばらく、静かに泣き続けていた。
※※※
「ごめんなさい……。戦時中に不謹慎かなって……。花を持ってきてくれたのは嬉しいのだけど」
ティエラに口づけた翌朝、ルーナは彼女の部屋に大輪の薔薇を持って訪問していた。
しかし、彼女から、花の受け取りを拒否されてしまった。
そのまま部屋を出て帰っていると、付き人であるウムブラと遭遇した。
「なんですか、あれ! 本当に面白いな~~ルーナ様は。姫様、ちょっと距離とってましたよ!」
ウムブラが腹をかかえて笑っているのを、ルーナは横目で見た。
「やり方が分からないな……。あのぐらいの少女の気持ちが想像出来ない」
「なんですか、その言い訳! あ~~、おかしい。あのぐらいの年の子とも色々あったでしょう? 今まで色んな女性を相手にしてきた貴方が! 姫様、かたまってましたよ!」
あまりにウムブラから笑われるので、ルーナは少し気分を害していた。
「姫様は、ソル様が戦争に向かわれているので、そちらが気になられているんですよ。まあ、終戦したら、また元に戻りますよ。それに、最終的に、姫様は貴方とご夫婦になるのですから、良いのでは?」
ウムブラは笑っているが、ルーナはひどく陰鬱な気持ちになった。
ソルに笑顔を向けるティエラ姫を思い出すと、単純に嫌な気持ちになる。
それに、昨日のことを彼女は気にしているのではないだろうか。
「ルーナ様は姫様に、肝心なことをお話しされないから、誤解が重なっているのですよ。まあ、せっかくの機会だから、ちゃんとお時間を作られてください。彼女も別に貴方の事をお嫌いではないですから」
「そうだろうか……」
そこまで会話して、ルーナはウムブラとは別れた。
※※※
ルーナから花の受け取りを断ったティエラは、自室で自身の振る舞いを反省していた。
(ルーナは、私にバラの花を届けに来てくれただけなのに……)
昨日の今日だったので、ティエラは彼にどう接して良いのか分からなかったのだ。
(婚約者なんだし、別にルーナが悪いわけじゃないのに……)
ソルの事を考えて気持ちが塞いでいるのも、もちろんある。だが、彼から口づけられたことで気恥ずかしさもあったのだ。
もしかしたら、ティエラが大人になるにつれて、もっと触れ合う機会は増えるだろう。
そうだとすれば、やはり自分の態度はよくないと感じ始めた。
(やっぱり、花を受け取りに行こう)
ティエラは自室を出て、まだ近くにいるだろうルーナの元へと走った。
※※※
ルーナは歩きながら、手に持った大輪の薔薇をどうしようかと考える。
花を見ると、ティエラに必要ないと言われたことを思い出して、胸が軋む。だが、ウムブラの言う通り、自分が渡す時機が悪かったのだろうと思うことにした。
(せっかくだから、自室に飾ってもらおうか……?)
ちょうどそこに、ルーナのお世話係のヘンゼルが現れた。
「ちょうど良かった」
※※※
ティエラは、ルーナを追いかけて廊下を駆けていた。
途中、騎士達が心配そうに彼女を見てきたが、振り返らずに走った。
しばらく走ったところで、ルーナの背が見えた。
(良かった……)
ティエラは、ルーナの名を呼ぼうと口を開いた。
「ル――!」
声を出そうとして、ティエラは制止した。
ティエラが目にしたのは――。
――ルーナが、ヘンゼルに紅い薔薇の花を渡そうとしているところだった。
ルーナとヘンゼルに、ティエラに気づいた様子はない。
走っていたからだろうか。
いつも以上に心臓が痛い。
そのまま、彼らの元へは向かわず、ティエラは踵を返した。
ティエラの上がりかけていた気持ちが、一気にまた沈んでしまう。
「ほら、分かってたじゃない。ルーナは、別に私じゃなくても良いんだって……」
※※※
「あ、これはまた、姫様が誤解しちゃう流れじゃないですか~~?」
遠目で、ルーナとヘンゼル、ティエラの三人の様子を見ていた人物は、グレーテルだった。
「正直、グレーテルは、ルーナ様のことはどうでも良いんですけど……。このまま、姫様の気持ちが暗くなりすぎるのは、嫌なんですよね~~。最近の姫様は、ただでさえ、視野が狭くなっているというのに……」
彼女は、神妙な顔をして独り言をしていた。
そして、手を打つ。
「そうだ! グレーテルが、ちょっとだけ頑張っちゃいます!」
彼女は何か思いついた様子で、にこにこと笑いながら、どこかへ歩いて行ったのだった。




