【正史】0-22 お菓子の国とその影は
「姫様~~。今日はどのドレスになさいますか~~?」
朝から、グレーテルがいつもの明るい調子で、ティエラに声を掛ける。
戦だと言っても、よほどのことがない限り、小城でのティエラの暮らしに大きな変化はない。
けれども、数日前にソルが城を発ってから、彼女はぼんやり考え事をして過ごす時間が増えてしまった。あまり食事が入っていないため、本来は艶やかなティエラの亜麻色の髪も、少しだけくすんで見える。
グレーテルは、そんなティエラの元気のない姿を見て、彼女を励まそうと努力していた。
「そうね……」
ティエラは覇気のない調子で、色とりどりのドレスを眺めた。
ふと、紺色のワンピースが目に入る。
数年前、ルーナと出かける際に着用する服を一緒に選んでほしいとソルにねだったことを思い出した。どちらかと言えば、ソルは明るい性格をしているのに、地味な色を好むのだなと思ったものだ。
今はティエラも成長したので、あの時の紺色のワンピースはもう入らない。だから、今手元にある紺色の服は、以前のものとはもちろん別のものだ。
「ルーナ様がいらっしゃるから、明るい色なんかいいんじゃないかな~~って、グレーテルは思うんですけど~~」
彼女はそう言って、明るいドレスをティエラにいくつか見せてきた。だが、ティエラはなんとなく、そんな気分になれなかった。再び、紺色のワンピースに目を戻した。
「あれにするわ」
「地味な色ですけど、大丈夫ですか~~?」
グレーテルに確認され、ティエラはこくりと頷いた。
わりと簡素な作りをした服なので、特に誰かの手伝いは必要なかった。だけど、これまでよりも気力がわかない。グレーテルに手伝ってもらうことで、やっとで着替えることができた。
「姫様。きっと大丈夫ですよ、ソル様なら~~。ちゃんと帰ってきますから。大公様の御弟子さんもご一緒だと言っていましたし。ウムブラさんもまだ城に残っていますけど、後から加勢に行くようですよ~~」
グレーテルが、ティエラの髪をゆるく編ながら声を掛ける。ティエラは、なんとなく笑うことしかできなかった。
「はい、できました~~。ルーナ様をお呼びしますね~~」
そう言って、グレーテルはティエラの部屋から外に出た。
※※※
グレーテルが部屋から出る。彼女は、幼少期から変わらず、黒髪の長い髪を、頭の両側で結んでいる。小走りしていると、両側にある髪が揺れた。少し進んだ先に、話題に上げたウムブラが歩いているのが目に入った。
ウムブラは長身の男だ。グレーテルと同じ黒髪をしていて、彼女は彼と個性がかぶるからいやだな~~、なんてことを常々考えていた。彼は長い髪を後ろで首元で結んでいて、単眼を付けているのが特徴だ。
「単眼は、何でつけてるんですか~~?」と、何とはなしに彼に以前、尋ねたことがあった。その時に帰って来た回答に、グレーテルは少しだけ共感を得た記憶がある。
「私が、平民出身だって、グレーテルさんもご存じでしょう? 父が飲んだくれのクズだったんですよ~~。その父親に殴られた結果、左眼がこんなになっちゃって。魔術の才能があったんで、嫌気がさして家を出て、今に至るわけですけど。まあ、少し後悔のタネは残してきちゃったかな」
そう言う彼の調子は明るかったが、内容は過酷なものだった。貧民街や平民街ではよく聞く話と言えば、よく聞く話ではある。グレーテルも姉のヘンゼルと共に、元は平民出身だ。彼と同じように、酒浸りの父親だった。その父から、姉妹二人は娼館に売られてしまったのだ。境遇が似ていると言われれば、似ていた。この国、いや世界全体でよくある話だ。
少しだけ、昔の出来事を思い出しながら、グレーテルはウムブラに話しかけた。
「ウムブラさん~~。ルーナ様はどちらにいらっしゃいますか~~?」
ウムブラが、グレーテルに気づき、にこやかに笑った。
「おや~~? グレーテルさんは今日も元気ですね~~。姫様の調子はいかがですか?」
彼の問いかけに、彼女は首を横に振った。
「そうですか」
ウムブラがそう答えた後に、グレーテルが話を続けた。
「これまで姫様が元気に過ごされていたのは、ソル様の影響が大きかったのでしょうね。お母さまを亡くされて、子どもの頃から姫様のおそばに、今の今まで一緒に居たのはソル様なのでしょう?」
「そうなんですよね~~。でも、その話だけ聞いたら、ソル様は姫様のお母さまみたいで面白いですね~~」
くすくす笑いながらウムブラが応えたので、グレーテルは苦笑いを浮かべた。彼にはこういう何でも面白がるようなところがある。グレーテルも似たようなところはあるが、ティエラに関することは至極真面目に考えている。
「まあ、私も参ります。何かあって私が死んだとしても、神器の使い手であるソル様には死んでも生き返っていただきますから」
「死んでも生き返る、ですか~~?」
「ええ。私も、腕や脚の一本や二本位はくれてやろうかと思っていますけどね」
物騒な話をウムブラがし始めたので、グレーテルは眉をひそめた。
「そんな話をしていると、本当に持っていかれますよ」
わりと低い声が出てしまったと、グレーテルは自身で思った。
ウムブラは飄々とした態度で、続けた。
「まあ、グレーテルさん、そう怒らないでくださいよ~~。不謹慎な発言でしたね。失敬、失敬」
相変わらず、よく分からない男性だなとグレーテルは感じた。
「この戦、うまく乗り切れれば、グレーテルさんにとっても良いことがありますから、ね」
片目をつぶりながら、ウムブラが彼女に話し掛けた。
「グレーテルに、ですか?」
グレーテルは小動物に似た瞳をきょとんとさせて、ウムブラを見た。
そんな彼女の様子を単眼の奥に隠れた瞳で確認してから、彼はこう告げた。
「ええ、そうです。皆の無事を祈っていてください」
いつもお読みくださってありがとうございます。
今日は、次に『蒼星のセレス』を投稿し、余裕があったら、こちらも投稿いたします。
今回、まさかのグレーテルとウムブラの話になってしまいました。
次こそは、ルーナ回です。連載再開にしたので血が騒いでますが、ソルとアズライトのくだりは同時投稿したいので、ちょっと頑張って抑えています。
それでは、今日か明日、また会えますことを。




