【正史】0-7 太陽は大地の日常を照らすもの
「ねえ、ソル、ソルってば」
せっかく寝椅子で寝ていたのに、ティエラがソルの身体を揺さぶってきた。
瞼を開けると、彼女の顔が間近にあったので驚く。
「あんた、何だよ、わざわざ俺を起こして」
ソルは不満げにそうティエラに伝えた。
そもそも彼女の部屋で眠っていたのだから、文句を言うのもお門違いだったかもしれないが、言いたいものは仕方がなかった。
五つ年下で、九つになる彼女の護衛のために、ソルが彼女の部屋で過ごすのは常だ。
彼は身体を起こして、彼女に向き合う。
いつもならソルの上に乗って起こしてきていたティエラが、今日はそんなことはしなかったなと、引っ掛かりはあった。
「ソルに相談があるのよ」
爛々とした瞳で、彼女にそう言われ、ソルはまた面倒事だなと瞬時に察知した。
「なんだよ、一体」
「これを見て!」
そう言って、ティエラは自身の机の方を指さした。
そこには、大量のドレスがうず高く積まれている。
ソルは、少しだけのけぞった。頭の中を整理する。
「……一緒に片づけろってことか?」
そう言うと、ティエラが「違うわ」と返す。
「実は、今度の休日、ルーナとお出かけすることになったのよ! それで、その時着ていくドレスを選ぶのを手伝ってもらおうと思って!」
ソルは、嬉しそうに話すティエラとは対照的に、なんだか気に喰わない気持ちになってきた。
「……そんなの、あんたが選べよ。別にあの変態なら、お前が何着てようと喜ぶだろ」
そう伝えて、ソルはまた横に戻ろうとした。が、ティエラが両腕で彼の腕を抱きしめて、必死に引っ張って来る。
「ソルの好みで良いから!」
結局、再度眠ることは叶わないようだ。
ソルは、仕方ないので、起きて彼女に付き合うことに決めた。
彼は、ため息をついてから、ティエラに進言した。
「御忍びだし、これで良いんじゃないか?」
紺のドレスを、ソルは指した。
「地味じゃないかしら?」
「あの男なら明るい色を好みそうだが……。俺は、あんまり派手なのは好きじゃないんだよ」
目の前のティエラが悩み始める。
かと思えば突然、ソルの目の前で、彼女は今着ている服の釦を外しだした。
ソルは、咄嗟にティエラの手を掴む。
「おい、待て。着替える気なら、俺は外に出ておく」
「え? いつも着替えの時には一緒にいたじゃない」
「いいからダメだ。ヘンゼルかグレーテルを連れてくるから」
自分が護るべき少女は、本当に何もわかっていない。
彼女は少しずつだが、成長している。
ため息をつきながら、ソルは部屋から出ることにした。
※※※
ソルには、「外出用の服なら自分で着替えは大丈夫だから」と伝えた。
部屋から出て行ってもらった後、紺色のドレスに着替え直す。終わった後に、ソルをまた部屋に招いた。
ティエラは鏡の前で、何度か回転しながら自身の様子を確認した。
「わりと目立つ行動をするソルが、暗い色の服が好きなのは意外ね」
ソルに声をかけると、すぐに返答がある。
「俺も別に暗い色の服が好きなわけじゃないが、外であんたが着るなら……」
ティエラは、彼が何を最後に話したのか聞こえなかった。
「え? なあに?」
「……あんまり、目だってほしくないんだよ……」
また、ぼそぼそとソルが口にしている。でも、今のは聞き取れた。
「おしのびだからってことでしょ?」
「違う」
即答されて、ティエラは驚いてしまう。
だが、やはり疑問はつきない。
「……どういうことなの?」
「ああ、もういいだろ。その服で決まりだな?」
「じゃあ、これにするわ」
そうして、ルーナと会いに行く際の服は、紺色で装飾もあまりついていないワンピースに決定したのだった。
※※※
「じゃあ、俺はまたひと眠りするから、くだらないことでは起こさないでくれ」
ティエラが再度着替え終わるのを待ってから、ソルは彼女の部屋の寝椅子に戻った。そして彼は横になる。
ルーナと出かける際の衣服に関して、『くだらない』と言われたティエラは、少しだけむっとしてしまう。
眠ろうとするソルに、ティエラは飛び乗った。
「この前も言ったけど、突然、飛び乗ってくるな!」
ティエラはソルに叱られてしまう。
そう言えば――。
「ルーナにも、そう言われてたんだったわ……」
ティエラがそう言うと、ソルが怪訝な顔をする。
そう言いながら、ティエラは彼の身体から離れた。
「俺が言ったからじゃなくて、あの変態が言ったから辞めるっているのは、なんか腹立つな」
ソルは、ティエラに背を向けた。
彼がイライラし始めたのが、彼女にも分かった。
昨日は、ルーナもイライラしていたが、今日はソルの番のようだ。
「――あの男の言うことだけ、聞いておけよ。俺はもう知らない」
なんだか昨日から、うっかり変なことばかり自分は口にしているのかもしれない。
ティエラの瞳が涙で潤む。
「……この間は、ずっとみてるって言ってくれたのに……」
哀しいのと同時に、この前のソルの発言を思い出して、本人にそのことを伝える。ついつい非難するような言い方になってしまった。
「お前があいつのとこに嫁ぐまでだ」
ずっとと言っていたから、ティエラは勝手に一生だと思い込んでいた。
だが、ルーナと結婚したからと言って、剣の守護者がいないとティエラは生きてはいけないはずだ。結婚したとたん、自分を見てくれなくなるのだろうか。
「……それなら、結婚するまでは、見てくれるんでしょう?」
ティエラは、言い方を変えてソルに聞いてみることにした。
けれども、返事はティエラにとって期待したものではなかった。
「――義務だからな」
(義務)
ソルの一言に、ティエラは、石か何かで頭を殴られたような気持ちになった。
彼女が生まれた時から、ずっと護衛騎士として自分のそばにいるソル。
ずっと一緒に過ごしているから、彼が自分と義務的に過ごしている可能性を考えたことがなかった。
ルーナと自分の結婚に関しては、その可能性はずっと考えていた。
ルーナもはじめは、とても義務的な対応しかしてくれていなかった。
彼は隠しているつもりだったようだが、ティエラはわりと人の心の機微に敏感だから、彼が表面的に対応しているのが分かっていた。
ただ、最近のルーナは、わりと本心からティエラと過ごすのを楽しそうにはしてくれていると思ってはいる。
そう、ルーナに関しては、そう思っていた。
でも。
まさか、ソルが自分と一緒に過ごすのを義務だととらえているなどと、考えたこともなかった。
「ソルは、義務で、私の事を、ずっとみてるって言ったの?」
ティエラが、そう問いかけると、間髪入れずにソルから「ああ」と返事があった。
急速に、ティエラの頭の中が真っ白になっていく。
潤んでいた涙が、そのまま床に落ちる。
「……なんで、いじわるばっかり……」
そう言ってティエラは泣きじゃくり始めた。
ティエラの様子に気づいたのか、ソルが身体を起こした。
彼女の顔を見て、彼も少し焦った様子になる。
「は? あんた、なんで泣いて……?」
「ソルが、義務とかいうから……」
ソルが今まで、いやいや自分と一緒にいたのかと思って哀しいと言いたい。けれど、彼女はまだ、そのことをうまく伝えることが出来なかった。
「泣くな、言い方が悪かった。謝るから」
そう彼は謝罪してきたが、ティエラの涙は止まらない。
ソルに腕をひかれて、気づいたら抱きしめられていた。
彼は今、成長途中だ。昔に比べたら、かなり大きくなったと思う。ルーナほど大人ではないが、ソルもまた大人になりつつあるのを、ティエラはなんとなく感じていた。
これまで意識していなかったが、ソルが大人になって、子どものティエラから離れていくような感覚が漠然とあった。自分は、それに気づかないようにしていた。
「言い方が悪かった」
一言、ぽつりとソルが口に出した。
「俺は、お前のことを義務でずっとみてるって言ったわけじゃない」
「でも、さっきそう言って……」
ばつが悪そうに、ソルが理由を告げる。
「あんたが、ルーナの言うことは聞くんだなと思って。むしゃくしゃして、適当なこと言った」
なんでルーナの話がそこで出てくるのだろうか。
ティエラは不思議に思った。
昨日もルーナが、突然ソルの話題を出してきたのと似ている気もする。
「すまない、もう一度だけ、ちゃんと言いなおす」
ティエラは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ソルを見上げる。
「俺は、あんたをずっとみてる。たとえ、あんたがあいつに嫁いで、護衛からはずれる日が来たとしても。ずっと、あんただけをみてるから」
ティエラはなぜか、ますます泣いてしまった。
そうして落ち着く頃まで、黙ってソルはティエラを抱きしめていた。
※※※
ティエラと離れてから、ソルは少しだけ彼女に嘘をついたと思った。
嫁いでからもずっとみていると、ティエラにはそう言った。
だけど、実際にそう自分に出来るかは分からない。
今でさえ、彼女がルーナの話をするだけでイライラするのに。
果たして、彼女が彼と結婚して、ずっとルーナと過ごす彼女を、直視することが出来るのだろうか。
自分から離れていく彼女を、考えるだけで、ソルは嫌な気持ちがわいてくる。
自分たちの前にルーナが現れてから、そんな考えで頭がいっぱいだ。
(ずっと妹みたいに思ってたやつを、突然横からかっさらわれたみたいな感じか……)
『俺がいないとダメだからな……』
いつだったか、彼女がまだルーナと婚約する前にそう思ったことがあった。
けれども、実際のティエラは、ルーナのことばかりで頭がいっぱいになっている。彼女の憑依されやすい体質のことさえなければ、別にソルのことなど必要としていなかったのかもしれないとさえ、最近は思っていた。
とにかくティエラが、ルーナの話しかしないのが気に喰わない。
なぜ、ここまで頭の中をあの二人が支配しているのだろう――?
ソルは、自身がティエラに抱く感情がなんなのか、まだ気づいてはいなかった。




