【正史】0-2 月と大地は義親を思う※R15
ルーナが十九の頃のことだ。
ある時、国王テラノ・オルビス・クラシオンと大公プラティエス・オルビス・クラシオンの二人から呼び出された。二人とも、ティエラと同じ王族の証である亜麻色の髪に金色の瞳をした人物である。
ただ、対照的な二人だ。
兄のテラノは、ティエラと同じように絹の様になめらかな長髪をしている。いつでも柔和な表情を浮かべており、細い淵の縁の眼鏡をかけている。口調もゆっくりとしていて、穏やかな人物である。病弱であり、痩せた身体をしていた。
一方、弟のプラティエスは、髪は短く刈り上げている。金色の瞳には野性味が感じられる。さらに、長身で引き締まった体格をしている。話し方も粗野な人物だ。騎士と間違えられてもおかしくはないが、実際は高名な魔術師である。ルーナに魔術を指導した、従兄弟のセリニ・セレーネの師に当たる人物だ。
呼び出され、二人から聞かされた話によって、ルーナの心は千々に乱れた。
「姫様が、竜の生け贄……ですか?」
ルーナは目を見開いたまま、彼の義父になる予定の人物と相対した。
「神器の使い手と、王族にしか知らせることができない話なんだ」
穏やかな口調でテラノが、ルーナにそう告げた。
それから、竜に関する色々な事を説明された。
ルーナの頭に入りはした。が、それよりも、ティエラが十七になると竜に生贄になるということで心が大きく揺れ動いている。
(そんな……それじゃあ、私と姫様が夫婦になることなど……)
そんなルーナの様子を分かった上かどうかはしらないが、プラティエスがルーナに話しを継ぐ。
「お前を婚約者にしても、ティエラと歳も離れているし、あんまりあいつに肩入れもしないで、色々なことを冷静に判断してくれると思ったんだ。つまるところ、色々計画がうまくいかなかったとしても、ソルほどは悲しまないだろうって。もちろん、玉の一族の機嫌を取りたいって思ったのもあって……」
プラティエスの話は続いていたが、頭に入ってこなくなった。
そして彼は、ルーナにこういった。
「なあ、お前も、ティエラの婚約者なんて嫌だって思ってただろ?」
そう問われ、愕然とした。
確かに、婚約者に選ばれた当初は間違いなくそうだった。
プラティスに見抜かれていたことも驚いたが、それだけではない。
彼らに、自分がティエラが死んだとしても何も思わないと考えられていたことが、なんだかとても悲しかった。
「わ、私は、姫様を……」
家族だと思っている。
ルーナは混乱する中、必死に思いを二人に伝えようとしたが、舌が回らず、言葉にならない。
だが、そもそも家族になる未来を想定して婚約者に選ばれたわけではなかった。
一人で勝手に、ティエラは自分の家族になるのだと、浮かれていただけだったのだろうか。
将来、親族になるのだと思い込んでいた二人の顔をみることができず、ルーナはうつむいていた。
「姫様が亡くなったら、私は……」
動悸がして、苦しい。
息がしづらい。
いつもの冷静さが失われているルーナを見て、その反応が予想外だったのか、テラノとプラティエスは顔を見合わせていた。
プラティエスが、ルーナのそばに近づく。プラティエスは、その大きな手をルーナの肩に置いた。
「お前は、ティエラの事を救いたいか?」
そう声をかけられ、ルーナははっとして顔を上げた。
「は、はい……」
少し、動揺しながらも、そう答えることができた。
「そうか。俺たちも、ティエラを助けたいと思っている。ルーナ、俺たちのやっている研究の手伝いをしろ。できそうか?」
「研究、ですか?」
「ああ、そうだ。人の道理に反することにも平気で手を出している。それでもあいつのために、手を貸せるか?」
(彼女のいない世界で、私は生きることが出来ない)
(人の道理? そんなものどうでも良い。私は彼女以外、どうなろうと知ったことではない)
大公プラティエスに問われたルーナは、ゆっくりと彼の問いに頷いた。
※※※
しばらくして、前・玉の守護者であり宰相だった義理の父が亡くなった。
セレーネ本家の長男であり、ルーナにとって義理の兄に当たるノワ・セレーネが、次の宰相の座に就くこととなった。
亡くなった宰相は、ルーナの婚約者であるティエラの義父になる予定だったが、そうなる前に亡くなってしまった。権力欲の強い人だったので、王族の義父になれるのを大層楽しみにしていたが、夢は叶わなかったようだ。
ルーナは養子に入ってからも自身を利用してきていた義父が亡くなったことで清々した気持ちになっている。義父は、ルーナの実の父と同じような対応を、ルーナに強いてきた。ルーナに貴族の夜の相手をさせて、人の弱みを握ることに邁進しているような人だった。いなくなって安堵している自分に気づく。
あとは、義母が問題だ。自分の夫が亡くなって落ち込んでいるのは間違いないのだが、やたらとルーナを部屋に呼ぶ回数が増えてしまった。一応彼女は、玉の一族においては重要な人物だ。角を立てたくないこともあり、最低限訪問している。
義父への感情と義母との行為。
どちらもティエラには気づかれたくなかったルーナは、とても慎重に振る舞っていた。
ルーナが彼等から受けて来た仕打ちについて。
ティエラは、あの不思議な空間で追体験している。
(もし、彼女が宝玉によって記憶を封じされていなければ……。彼女は自分と一緒に彼らを嫌悪してくれただろうか?)
ルーナから、乾いた笑みが零れた。
考えても意味はないと分かっているが、彼の頭にそんな思いが浮かんでくる。
ルーナの婚約者は、無暗に人を蔑んだりするような人間ではないと分かっているのに。
今日は休日だった。ティエラとルーナは、彼女の部屋で一緒にお茶を飲んでいた。お茶は今日もティエラが淹れている。以前に比べたら、渋みは減ったようだ。強い花の香りがする。
ちなみにソルに関しては、今は適当に用事をつけて出て行ってもらっている。
物思いに耽っていた彼に、幼いティエラが声をかけた。
「ねえ、ルーナ、亡くなった方にこういうのは失礼かもしれないんだけど……」
湯気が立つ茶器を持ち、息を吹きかけている。
彼女の亜麻色の髪が陽光に照らされて光り輝いているのが、ルーナはなんだか眩しく感じた。
「どうなさいましたか?」
ルーナが柔らかく笑むと、ティエラの表情が少しだけ陰る。
「前の宰相さま、ルーナの義理のお父さんなんだけど。私、あの人のこと、あまり好きじゃなかったの。なんだか、いつも誰かをおとしめたりするような人だったわ。ルーナに対しても、なんだか嫌な態度で、それがとても嫌だったの。……だめね、亡くなった人に対して失礼だったわ」
ちょうどルーナと同じように、前宰相のことを彼女は考えていた。
同じ人物のことを考えて、彼女も自分と同じように彼に対して否定的だったようだ。
(あの時の記憶があってもなくても、彼女はちゃんとルーナとその周囲の人物を見定めている)
少しだけ、ルーナは救われたような気持になった。
※※※
(ルーナに、嫌な人間だと思われなかったかしら)
仮にもルーナにとっては義理の父にあたる人物だ。死者を冒涜するような発言だったかもしれない。
そう考えていると、ティエラは手にしていた茶器を落としてしまった。
彼女の白い手に、まだ熱い茶がかかる。
「きゃっ」
ティエラは小さな悲鳴を上げる。
ルーナが慌てて、水の魔術を彼女の手にかけて対応する。
ティエラが少し落ち着いてきた頃に、癒しの魔術を行使できそうかどうかルーナがティエラに尋ねた。
ティエラは呼吸を整えて、癒しの魔術を使う。
術がかかった後も、少しだけ彼女の手の甲が赤い。
「跡、残っちゃ――」
そう言おうとすると、ルーナがティエラの手の項に口づけていた。
「ルーナ?!」
驚いて、ティエラは声を上げた。
みるみる彼女の顔は赤くなっていく。
自分の手の甲にしばらく唇を寄せているルーナの顔を見る。
彼の長い白金色の睫毛が目に入る。
心臓がどきどきしてしまう。
「姫様、ありがとうございます」
どうしてルーナが彼女に感謝したのかは分からなかったが、しばらくルーナがそうしているのを、ティエラは黙って眺めていた。




