第139話 婚礼の儀
ティエラはルーナの隣を、彼に手をひかれながら、ゆっくりと歩く。
結い上げられた髪に、小さな冠が飾られる。顔はベールで覆われていた。
白いドレスの長い裾が、歩みとともに、静かに引きずられる。
ドレスの胸元にはペンダントが、少し離れた場所にはガラスで出来た薔薇のコサージュが添えられている。
いつも紅い絨毯が敷いてある場所だが、今日だけ白いものに取り換えられていた。周囲には白い華々も飾られてあり、いつもの玉座の間とは様子が違っていた。白い絨毯を取り囲むように、貴族たちが並んでいる。
途中歩んでいると、フロースとセリニの姿が見えた。今は、アリスはフロースの後ろに控えている。
部屋の奥には騎士達が並んで控えていたが、平素よりも数が少なかった。イリョスやネロの姿も見える。他の騎士らは、戦争の準備に向かっているのだろう。
さらに、奥の方に進むと、ウムブラとヘンゼルの姿も見えた。
(ソルはいない、みたいね……)
グレーテルも、アルクダも来ていない。
神剣を打ち直して、竜の復活に間に合わせると話していたが、どうなったのだろうか。
『俺と一緒になってほしい』
ソルには、そう言われた。しかし、結局自分はルーナの手をとって、そのまま結婚しようとしている。先程もルーナから、竜を倒せば、女王の座を捨ててしまって構わないと伝えられた。だけれど、どうしても国を、女王となって良い国にしていきたいという思いを、ティエラは捨てることはできない。
(それに、ルーナとの約束も……)
先日のことだ。
竜に付けられたルーナの傷。
ティエラは、その傷の手当てが出来ないかどうか試していた。その際に、ティエラはルーナに関する記憶を思い出していた。
もしかしたら、ルーナにとっては取るに足らない約束の一つだったのかもしれない。
彼は、竜と国を滅ぼし、新たに国を興したいと言っている。
あの約束も、国を乗っ取るためについた嘘なのかもしれない。
だから、交わしていた約束など、無視しても良いのかもしれない。
(思い出さなければ、こんなにも苦しまなかったのに……)
そうでなければ、もしかしたら、竜を倒した後、ソルと一緒に過ごせたかもしれない。
(ソルに、ずっとそばにいてほしい)
でも。
(ルーナを切り捨てることもできない)
昨晩、ソルが来てくれて本当に嬉しかった。この人を好きで本当に良かったと思った。彼がまた元気になってくれて、心の底から安心した。
彼は周囲に恵まれている。きっと、自分がいなくても、幸せにやっていけるはずだ。
竜の一件が終われば、騎士として復帰することになるだろう。彼が他の女性と結ばれていく姿を近くで見ないといけないのは辛いに違いないが、自分もルーナと一緒にいるのだから、おあいこだろう。
ルーナを選ぶのが正しい選択だと自分に言い聞かせたくせに。
どこかでソルを諦めたくない自分がいて、昨日は返事をしなかった。
(私の方こそ、ずるいわ)
昨日の夜は、最後のつもりで、ソルと口づけを交わした。
そう自分が思っていたとは、彼は気づかなかっただろう。
ティエラの胸は、まるで何か重石でも乗せられたかのように苦しかった。
気付けば、玉座の脇に設けられた祭壇の前に、ティエラとルーナは立っていた。
神父から、何かしらの説明を受ける。
だが、ティエラの頭の中には、全く入ってこない。
(だめね、集中しなきゃ)
自分にしっかりするように言い聞かせ、前をしっかり見た。
誓いの文言などを尋ねられ、なんとか「はい」と答えることが出来た。
「それでは、誓いの口づけを」
ティエラはルーナと向き合う。
ルーナから、ベールを持ち上げられ、声を掛けられた。
「姫様、前を」
そうルーナに声をかけられる。前を向いたはずだったのに、ルーナと向き合った後、自分がまた俯いていたことに気づく。
ティエラの両腕に、ルーナの手が添えられた。
ゆっくりとルーナの顔が近づいてくる。
ティエラの唇に、ルーナの唇が重なった。
しばらくして、彼が離れる。
ティエラの胸は軋んだ。
そうして、次の題目に進もうとした時――。
「父を差し置いて、婚礼の儀を執り行うとは、寂しいな、ティエラよ」
そう言って、玉座の方から男の声が聴こえた。
ルーナが苦々し気に笑う。
「もう外に出て来たか、無粋だな」
ティエラは、声の主に目をみやる。
玉座の前には、国王の姿を借りた竜が立っていた。
亡くなったはずの国王が現れたことで、周囲からはどよめきが起こる。
中には悲鳴を上げる貴族たちの姿もあった。
ルーナは、ティエラを抱き寄せる。
彼は、彼女に囁く。
「姫様、ここにはまだ人がいます。あの場所へ。入口をお願いできますか?」
「わかったわ」
日付が変わり、ティエラが成人してすぐに竜が現れた。
まだソルの姿は見えない。
剣の神器なしで対抗できるのか不安はあったが、他の者達を戦闘に巻き込むわけにはいかない。
ティエラは、ペンダントについている鏡の神器を握った。
貴族達が慌ただしく広間から走り去っていく。
騎士達は、イリョスの指示で武器を構える。
神器から光が零れ出した。
その時――。
「ティエラ!!」
彼女の名を呼ぶ声がした。
いつも聞きなれた彼の声。
呼ばれた方を振り向く。
広間の入り口に、人々が殺到しているのが見える。
その流れに逆らって、こちらに向かってくるのは――。
「ソル!!」
紅い髪の青年を視界に捉えた。
思わずティエラは叫び、彼の方に手を差し出す。
光は、広間を包み込んでいく。
ティエラの手が、ソルの手に触れるかどうかといった時。
光が弾けた。
※※※
ティエラは眩しさに目を閉じ、しばらく開けることが出来なかった。
そうして、また、眼を開いた時――。
不思議な空間へと、ティエラはまた誘われていた。
辺りにはいくつもの岩場が浮いている。
咄嗟に、ティエラは周囲を確認した。
近くにルーナとソルの姿が見えた。
ティエラは、ほっと溜息をつく。
今回は三人一緒の場所にこ来れたようだ。
ほっとしたのも束の間――。
「また三人揃ったか」
前方から、懐かしい優しい父の声がした。
でも、それは父ではないと分かっている。
男が口をゆっくりと開いた。
「剣と玉を片づけようか。その娘を早く喰いたいからな」
彼女たちの前には、国王の姿をした竜が、再び立ち塞がったのだった。




