第137話 結婚前夜
刀鍛冶の老人はシデラスと名乗った。
彼に神剣は託してある。
一行は、ルーナの許可がなく、まだ入城出来ない。
そのため、神剣を預けた後は、皆で近くの宿屋に泊まることにした。
神剣が出来たら、明日の夜が、竜退治の本番だ。
今日の夜のうちは眠って、体力をたくわえておきたい。
ただ、その前に一度で良いから、ソルはティエラに一目会いたかった。
ソルが部屋の窓から外に出ようとしていた。
「駄目ですよ、ソル様。貴方方の登城許可は、明日の儀式以降です」
すぐさま、部屋の扉が開き、アルクダが現れた。
「それに、城ではルーナ様が、姫様に今度こそ監視の目を光らせているはずです。抜けるのは難しいかと」
「そうか、じゃあ、なおの事、行きたくなってきたな」
「ソル様!」
アルクダは、ソルに怒りをぶつけた。
「なんで貴方はいつもそうなんですか?! いつもは慎重なくせに、なんで姫様がかかると後先考えなくなるんですか? せっかく、この間ルーナ様に負けて、やっとで戦意を喪失してくれたと思ったのに。明日も竜に止めを刺しに行くだけで良いじゃないですか? むしろ行かないでも、ルーナ様ならどうにかしてくれるかもしれません! なのに!」
「なんか今日は、お前と言い、グレーテルと言い、叱られてばかりだな」
ソルが苦笑した。
「今回の一連のお前の行動も、全部、俺のことも心配したうえでとった行動なのは分かっている。いや、後からわかったようなもんだな」
「貴方にそう言っていただく資格は、僕にはありません」
そう言って、アルクダは俯いた。
「ただ、別に無理してすごい人になろうとしなくていいんです。貴方には貴方の良さを分かってくれる人が、姫様以外にもたくさんいるんですよ」
「剣が折れるまでは気づいてなかったけどな」
しばらく二人とも静かになった。
「……行きたいなら、勝手にしてください。僕も適当に怒られときますから」
「ありがとな」
ソルは、改めて、窓に足を掛けた。
「お前も、ちゃんと、グレーテルに事情は説明しておけよ。一軒家立てて、一緒に住みたいんだろ?」
そう言って、ソルはそのまま外に降りて、走り去って行った。
「簡単に言ってくれますね、ソル様は」
アルクダは、ソルが建物の陰で見えなくなるまで見続けていた。
「だいぶ成長しましたね……」
そして、一言そう呟いたのだった。
※※※
ティエラは、明日の夜更けに婚姻の儀を行うことになっている。
なんだか落ち着かない気持ちだ。ちゃんと眠った方が良いはずなのに、なかなか寝付けない。気持ちが昂ぶっているのだろうと思う。
部屋の窓を開け、夜風に当たっている。ふと、記憶を失っていた頃の事を思い出した。
塔に行くために、三階から飛び降りたのだった。下にウムブラが居なかったら危なかったなと思う。塔に行って、ソルが現れて、外の世界に出た。
数日前の話のはずなのに、なぜだかひどく昔のことのように感じていた。
ティエラは、ソルにもらったペンダントを掴む。
目を伏せて、彼の事を思い出した。
夜風が、彼女の亜麻色の髪を揺らした。
ひんやりとした風が頬を撫でていく。
夜着が薄いために、少し肌寒く感じる。
「ソル」
ティエラは、想い人の名を呼んだ。
彼女の声は、夜闇に溶けて消えていく。
戦争から帰ってきたソルの手を一度は取ったが、結局最後に離れてしまうことは分かっていた。
「ティエラ」
ソルの事を考えていたからだろうか。彼の声が聴こえた気がした。
でも、城の中に彼がいるはずはない。
そう自分に言い聞かせていると、再度名を呼ぶ声がする。
「ティエラ」
(まさか……?)
慌てて、バルコニーの下をのぞき込んだ。
「ソル……?」
考えていた通りの人物が階下に確かに存在した。
ティエラは驚いてしまう。彼はエスパシオの街で療養しているのではなかったか。
焦る気持ちを抑えて、ティエラはソルと話に行こうと、部屋の扉の方に向かおうとする。だが、扉の前には騎士が居たはずだった。このまま外に出ようとしても出してくれるはずはない。
ティエラは、またバルコニーへと戻り、ソルがいる地上を見やる。
(ソルなら大丈夫のはず)
そう考えたテェイラは、欄干に足を掛ける。
「ソル」
一度だけ、彼の名を呼んだ。
そのまま地面に向かって飛び降りる。
ソルが慌てて、空から降ってきたティエラを受け止める。そのまま抱き寄せる形で、二人は地面に倒れ込んだ。
「下に飛んでくるやつがあるか。あんたは、なんで無茶ばかりする」
ソルが呆れた様子で、そう言った。
「ソルの方こそ、大丈夫なの? どうやって入ってきたの? 調子は悪くない?」
矢継ぎ早にティエラが、問いかけると、ソルは一つ一つ丁寧に答えていった。
「俺は大丈夫だ。今、鍛冶屋に神剣を直してもらっている。ここに入ってこれたのは、ネロが手引きしてくれたからだ。それと悪夢にも、うなされていない。ちゃんと眠れてる」
それを聞いたティエラは、安堵した。自然と瞳に涙が溢れてくる。
ティエラの視界に移るソルが滲んで見える。
「あと、今日は、あんたに話があって来た」
「話……?」
少しだけ、ソルが体を起こした。
碧色の瞳で、ティエラの金の瞳を真っすぐに見つめた。
「明日、今度こそ、俺が神剣で竜を倒してみせる。あんたを喰わせたりしない」
さらに抱き寄せられた。ティエラは、ソルの話を聞く。
「俺たちで竜を倒しさえすれば、神器の力も必要なくなる。もう一族の縛りも関係ない。女王になりたくないなら、あの子どもには迷惑かもしれないが、王位を譲って、俺のところに来い。あんたが女王になりたいんなら、なって良い」
ティエラは、黙って話を聞き続ける。
竜が倒れれば、そのような未来もあるのか。
ソルの彼女を抱きしめる腕の力が、強くなった。
「ただ、女王になるなら、ルーナじゃなくて俺を選んでほしい。あんたが律儀な女だってことも知っている。俺は、あんたがルーナと以前していた約束も承知の上で言っている。前みたいに、卑怯だと思ってくれても構わない」
ソルの声が、ひどく甘く感じる。
「俺と一緒になってほしい」
勝手に一人で閉じてしまっていた世界が、開かれたような気がした。
ティエラの髪に、首筋に、ソルが顔をうずめてくる。
一度離れてから、視線を交わす。
ティエラの金の瞳が、ソルの碧の瞳と出会う。
そうして、どちらともなく、二人は口づけを交わした。
※※※
ルーナに気づかれる前にと、ティエラはソルに外へ向かうように伝える。ソルは、「明日必ず迎えに来るから」とティエラに告げて、足早に去った。
しばらくすると、案の定、ルーナが近くに転移の魔術を使って現れた。
「ソルが、ここに来ていましたか?」
ルーナの問いかけに、ティエラは黙っていた。
それを肯定ととったのか、ルーナもそこで押し黙った。
「……姫様、明日は楽しみにしています」
ルーナはティエラを彼女の部屋に戻した後、何も言わずに、彼女の元から去って行った。




