第130.5話 囚われの大地、そばにいるのは月
「姫様、よくお似合いでございます」
ティエラは、純白のドレスに身を包んでいた。
以前城に居た時に、お針子達が縫っていたものが完成したようだ。
婚礼前に、一度試着することになっていて、本日がその日だった。
ガラスで出来た薔薇の形をしたコサージュ。胸に付けたそれに、ティエラはそっと手を当てた。
以前、記憶を失った頃に自室で見た時には無くなっていたものだ。
今思い返してみれば、部屋は不自然に片づけられていた。あれは、何をきっかけとしてティエラの記憶が戻るか分からないため、ルーナが片づけていたのだろうと思う。
「本番では、髪は結い上げますからね」
そう言うのはお針子ではない。
碧の瞳をした女性だ。紅い髪は肩口までで切りそろえられている。
彼女はソルの実の姉・オルドーだ。
現在、彼女が城に、侍女として戻ってきていた。ティエラの婚礼の儀までという条件付きだ。
オルドーは、ティエラが幼少期の頃に、侍女として働いていた。オルドーが妊娠してからは、城で働くのは辞めて、夫の元で暮らしていた。
彼女の代わりに、ヘンゼルとグレーテル姉妹が、ティエラの元で働くことになったのだった。
グレーテルが不在、ヘンゼルも忙しい。そう言う理由で、オルドーが代打で城に来ることになった。表向きの理由としては。
だが実際の所、ルーナが剣の一族である彼女を城に呼び戻している。それはきっと、人質としての役割があるのだろう。イリョスやソルに下手なことをするなという脅しのようなものだ。
彼女の紅い髪を見ていると、ティエラはソルの事を思い出した。
ルーナからの報告では、彼はエスパシオの街で休んでいると聞かされている。
(剣が折れてしまった。ソルは、大丈夫かしら)
ドレスの試着の際にも、はずしたりせずに身に着けていたペンダント。ティエラはそれを軽く握った。
少し一人だけで、白いドレス姿の自分を確認したいと周囲に声をかける。
お針子達が、部屋から全員出て行った。
ソルの姉も、部屋を退出しようとしたのだが。ふと、何かに気づいた様子でティエラに声を掛けてきた。
「姫様、そちら、弟のものではございませんか?」
ペンダントを握るティエラの手を見て、オルドーはそう言葉をかけた。
そう言われて、ティエラはどきりとした。曖昧に頷く。
「やっぱりそうでしょう。懐かしいですわ。騎士学校に入ると給金がもらえるでしょう? それで買っていたんですよ。ちゃんと姫様にお渡しは出来ていたんですね」
「え? はじめ、ソルが身に着けていたのを、後からもらったのだけれど」
ティエラは、戦前にソルからペンダントを受け取っている。
「ああ。ちょうど手紙で、『最近姫様がルーナ様から贈り物をされて喜んでいるから、渡せそうにない』って書いていましたね。ルーナ様に負けるのは嫌がる子でしたから、渡せなかったのかもしれません」
今、ティエラの胸元に飾ってあるガラスのコサージュ。これをルーナから渡されたのは、ソルが騎士学校に入ってしばらくしてからの出来事だった。
その数月後の祭りの際に、コサージュをティエラが失くしてしまい、ソルに探してもらったのだった。
「そもそも、そちらのペンダントは女性向けではないでしょう? 間違って買ったみたいですけど。諦めてしまって、姫様には渡せていないのだと思っていました。でも渡せていたみたいで、良かったです」
ふふふとオルドーは笑っていたが、その笑顔には少しだけ寂し気な雰囲気があった。
「弟は体調が優れていないと聞いておりますわ。姫様の婚礼に間に合えば良いのですが」
そう話して、彼女は部屋を退出していった。
(ソルは、そんなに昔から、このペンダントを渡そうとしてくれていたの……)
自分は、そんなことは考えもせずに、ずっとルーナからの贈り物を喜んでいた。
ソルは、不器用な人だなと思う。
彼の事を考えていると、少しだけ涙がにじんできた。
感傷に浸っていると、部屋の扉を叩く音がした。
慌てて涙を拭いて、部屋の中に招く。
「どうぞ」
扉が開いた。
「姫様」
部屋の中に入ってきたのはルーナだった。
ティエラは、エガタと共に城に連れてこられた。しかしながら、ルーナはティエラの元にほとんど姿を現していなかった。時々、事務的な連絡に来てはいたが、今日も何か報告だろうか。
ルーナがティエラに向かって口を開いた。
「姫様、大変美しいですね」
ルーナは近づき、ティエラを抱き上げた。
彼は青い瞳をすがめる。口元も綻んでいた。
(これは本当に嬉しそうだわ)
ルーナには、嘘や本音が混ざっていることがあり、とても分かりづらい。でも、なんとなくではあるが、この言葉は本心だと思った。
竜に出会った時は、ルーナに話しかけても反応に乏しかった。それに、最近では事務的な対応も多かった。そのため、久しぶりにルーナが人間らしい気がしていた。
「ルーナ、今日は一体?」
「今日が貴女様のドレスの試着日だとうかがっておりましたので。つい仕事を抜けて、こちらに来てしまいました」
ルーナが、ティエラのドレスで光る、ガラスのコサージュに目をやった。
「以前、姫様にお渡ししていたものです。私が持っておりました。そう言えば昔、婚礼の時に身に着けたいとおっしゃっていたので、飾ってみました。いかがでしたか?」
そう言って、とても幸せそうに笑っている。
彼が自分を騙しているのか、そうでないのか。
(やっぱり、よくわからなくなる)
ほとんどの記憶が戻ってはいるが、やはりルーナのものだけが曖昧で気持ちが悪い。
「え、ええ。良いと思う」
正直にそう答えてみた。
しかし、なかなかルーナはティエラを床に降ろしてはくれない。
「ルーナ、そろそろ、おろしてもらえるかしら?」
少し困った調子でティエラがそう伝える。
ルーナははっとした様子で、「申し訳ございませんでした」と答えた。ティエラをゆっくり床に降ろした。彼女の胸にかかっていたペンダントが、しゃらりと揺れる。
ルーナの視線が、ティエラの胸元にかかるそれに移った。
彼の先程までにこやかだった表情が、一気に曇る。
「ル――」
彼の名を呼ぼうとしたところ、ティエラの首に掛かるペンダントの鎖を、彼の手で掴まれる。
「何を」
ルーナの手がティエラの首筋を這ったかと思うと、そのまま留め具を外された。
鏡の神器が、彼の手の中で鈍く光る。
「返して!」
隙を作ってしまった。
つい、ルーナが穏やかだったからと、以前のように会話ができるのではないかと、心の片隅で思っていた自分を恥じる。
ティエラが叫ぶが、ルーナは手からペンダントを離そうとはしない。
「お願い……!」
瞳がじわりと熱くなってきた。
鏡の神器が大事なこともある。だが、それ以上にソルから貰ったものを奪われたくなかった。
そんな彼女を見て、硬い表情のルーナが口を開いた。
「返しても構いません。ただ、私の願いを、一つだけ叶えてくださいますか?」
勝手に人の物を奪っておいて何を言うのか?
そうは思ったが、恐らくこのままではルーナはペンダントを返してはくれないだろう。
唇を噛みしめた後、ティエラは彼に問いかけた。
「何を叶えたら良いの?」
ルーナは彼女を見て、暗い笑みを浮かべた。
「貴女から、私に口づけてくださいますか?」
「え?」
ティエラは聞こえなかったわけではない。
以前も数回あるし、城に連れ戻される際にも、彼から口づけられたのを覚えている。確かに、彼に心惹かれていた頃には嬉しかったこともある。だけれども、今はあまりそうは思えない。
黙るティエラを少しだけ眺めたルーナは、「それでは失礼いたします」と言って、ティエラの近くから離れた。
すぐに、ルーナの袖を引いて、彼が出て行こうとするのを止めた。
「待って」
「なんですか?」
不機嫌そうにルーナは、ティエラを見た。
彼女は、彼に告げる。
「貴方の願い通りにする。だから返して」
ティエラは、ルーナに近づく。
ゆっくりと、彼の唇に自分のそれを重ねた。
しばらくして離れる。
「これで良い?」
そうティエラがルーナに尋ねると、彼はティエラの手にペンダントを載せた。
「結構です、姫様」
穏やかな表情で、ルーナはそうとだけ答え、部屋から出て行った。
残されたティエラは、ペンダントを手に、自分自身に少しだけ嫌悪感を抱いた。




