第102話 月と共に歩く
ティエラはルーナと一緒に、連なる岩の上をしばらく歩き進めた。
彼女は、彼の背を見ながら、先程の会話に思いを廻らせる。
『貴女にはこの国の最期の姫――いや、女王になっていただきたいのです』
ルーナはティエラに向かって、確かにそう言っていた。
皆は、彼が彼女に害する可能性はないと、いつも口にする。
けれども、やはりルーナは、ティエラを騙していたようだ。いや、本人に騙していたつもりはないかもしれない。
最期の女王と、彼は言っていた。
ルーナは国自体を壊そうとしているのかもしれない。
――そのために、たくさんの人の命を奪っているのだろうか。
その件について、ティエラは、国の姫として許容することができない。
でも――。
(なぜ彼は、この国をこんなにも嫌っているのだろう?)
宝玉の守護者に選ばれ、人生が縛られてしまったのが嫌だったのだろうか――?
それとも何か理由があるのだろうか――?
(私との婚約も――)
政略結婚でしかない。
嫌々、ルーナはティエラの結婚相手に選ばれたのだろう。
しかも、思い出す限り、ティエラもソルが好きだったようだ。
婚約者がいるにも関わらず他の男にうつつを抜かすティエラを、ルーナは嫌っていた可能性もある。
(私が勝手に期待していただけだわ……)
――周囲の言うように、ルーナはもしかしたら自分のために、悪事に手を染めているのかもしれない。そう思いたかった自分がいた。あまり記憶が戻っていないので断言は出来ない。
だが、記憶を失う前のティエラは、ルーナに対して、年上の男性としての憧れや尊敬を抱いていたようだ。
異性に対しての好意という意味では、彼女はソルに恋をしていた。
ただ、記憶を喪ってからのティエラは、甘い言葉を毎日囁いてくる婚約者のルーナに淡い恋心を抱いていた。
もちろん、婚約者であるルーナしか頼れる相手がいなかったのもある。
雛が親鳥を認識し、ついて回るような感覚にも似ていた。
でも、ティエラは、確かにルーナが好きだったのだ。
ルーナもティエラを慕っているなんて――。
虫が良すぎる考えだっただけだ。
少なくとも、ソルに気持ちを向けている自分は、そんな事を考えても良い立場ではなかった。
※※※
二人は無言のまま、しばらく歩いた。
(ソルは大丈夫かしら――?)
ティエラは、ソルの心配をした。
――一応自分にはルーナが一緒だが、彼はセリニと一緒なのだろうか?
途中、次の岩まで距離のある場所に二人は差し掛かる。続く岩の幅も狭い。足を踏み間違えたら落下しそうだ。下を覗きたくないが、勝手に下が見える。ティエラの脚が震えた。
「姫様、こちらに」
そう言って、ルーナがティエラに手を差し出してきた。
その手をとっても良いかどうか、彼女は逡巡する。
――そもそも手をとっても、歩いて渡れるか分からない。
「気が利きませんでした」
そう言われ、ティエラは先程のようにルーナに横抱きにされた。
抱き寄せられた時、ティエラの頬に彼の白金色の髪が触れる。少しだけくすぐったくて、一月ほど前の出来事を、彼女は思い出した。
――今も、ルーナが何を考えているのかが分からない。
恐怖や悲しさもある。ただ、過ごしていた頃を思い出すと、この人を待つ日々は幸せだったとも思う。
ルーナはそのまま、小さな岩の上を歩ききった。
広い岩に移った後も、しばらくティエラはルーナに抱えられたまま移動する。
ほとんど会話がなかったが、ティエラは思いきってルーナに声をかけた。
「ルーナは、どうして国が消えればいいと思っているの? ルーナは、国を滅ぼして一体どうしたいの?」
「私は……」
そうとだけ答えた彼は、一度瞬きをした。
しばらく間があった。
だけどルーナは、ティエラの質問にそれ以上は答えてはくれない。
そうしていると――。
「きゃっ――!」
――突然ティエラの首元に、ルーナが顔を埋めてくる。亜麻色の髪が揺れた。
突然のことに、ティエラは驚く。
以前のように口付けられたらどうしようかと身構えた。
だが――。
そのような事はなかった。
「姫様……少しだけ、こうしていても良いでしょうか?」
ルーナの吐息が洩れ、ティエラの首筋に触れる。ぴくりと彼女の身体が跳ねた。
ティエラを抱えたままのルーナは、しばらくの間、その場で立ち尽くしていた。
※※※
(どれぐらい、歩いたのかしら――?)
ルーナから降り、並んで歩いていたティエラはそう考えた。
降りてから、やはり二人に会話はなかった。
ティエラ達がいる空間は、薄ぼんやりとした場所で、時間の経過が分からない。
ソルに本当に会えるのか、不安だ。
「あれは……」
ルーナが何かに気づく。
誰かいる。
ソルかもしれない……
そう思って、ティエラは駆け出した。
「姫様!」
ルーナが後ろから叫んできたが、そのまま前に走る。
目の前に人が見えた。
「ソル!?」
だが、そこにいたのは――。
ティエラと同じ亜麻色の髪。
金色の瞳を持った壮年の男性。
ティエラは記憶を疑う。
だが、見間違うはずが、ない。
彼女は、絞るようにして声を出した。
「お父……さま……」
その人は、テラノ・オルビス・クラシオン。
亡くなったはずの国王。
ティエラの実の父親が、そこには立っていた。




