第96話 月は大地に再びまみえる
「……ルーナ……」
『なぜここが分かったの?』
ティエラは、ルーナにそう問いかけたかった。
けれども、少しだけ彼女の身体が震える。彼の視線に射られ、動けないのだった。彼の蒼い瞳に、視線を引き寄せられる。
気づけば、ティエラはルーナの腕の中にいた。
いつの間にか、彼女は彼に口付けられていた。彼の舌が、彼女の口の中に侵入してくる。
(息が出来ない……)
ルーナの抱き締めてくる力が強く、ティエラは抗えなかった。
「……ティエラ」
唇が離れた時、熱い吐息とともに、彼女は名を呼ばれる。
ティエラは目を見開いた。
(名、前……)
お互いの唇が、また一度離れた。だが、息継ぎをするので精一杯だ。ソルに助けを呼びたかったが、またすぐに、ルーナに口を塞がれてしまう。
ティエラの思考もままならない。
(せっかく、記憶が戻ってきているのに……)
そんなに長い時間ではないはずなのに。
気が遠くなる程、時が経った気がした。
その時――。
――大きな音を立てて、扉が開く。
「ティエラ!」
ソルの声が室内に響いた。
ルーナは視線だけソルに送る。ルーナはそのまま、ティエラの舌に、自身のそれを絡ませた。
「やっ――」
ソルにみられていると思うと、ティエラに羞恥が走る。
彼に聞かれたくないのに、声が漏れてしまった。
ソルが、ティエラとルーナの近くに走ってくる。
それを確認したルーナは、やっとティエラを解放した。
彼女は、ようやく息ができるようになった。乱れた呼吸を整えようとする。脚に力が入らない。そのまま崩れそうなティエラの体を、ルーナが抱いて支えている。
「姫様との逢瀬の途中だ」
ルーナの声がいつもより低い。
ルーナに向かって、怒りを孕んだ声でソルが告げた。
「ティエラを離してもらおうか」
そう言われ、ルーナはほくそ笑む。少しだけ、彼の声の調子が戻る。
「私が婚約者のはずなんだがな……」
ティエラは、ルーナの胸の内でぐったりしている。呼吸はだいぶ落ち着いたが、まだ声が出せそうにない。
「あ……」
ルーナは、ティエラを横抱きに抱きなおした。
機会をうかがっているソルをルーナは暗い蒼い瞳で一瞥した後、ティエラの瞳をみつめる。
「これまで通り、多少は目を瞑っておきます」
その口調は、瞳の暗さに比べて柔らかいものだった。
「今日は近くに寄っただけですので」
ルーナはそう言って、ティエラを抱いたまま、ソルの方へゆっくりと歩む。
「お前が迂闊な馬鹿で、弱いままだと困る」
そう毒づいた後、ルーナはティエラを捧げるようにして、ソルの前に差し出した。
ソルは相手の意図が分からず一瞬戸惑ったが、すぐに自分も両腕を出した。
「自分と神剣の力を、今一度思い出せ」
ルーナはゆっくりと、力が入らないままのティエラを、ソルの腕に降ろす。
ソルがティエラを抱えたのを確認すると、ルーナはまた彼女に微笑みかけた。
「姫様……準備が終わったら、迎えに参ります」
「それでは」と言い、ルーナは二人から距離をとる。
彼は月明かりに照らされたまま、夜闇へと熔けて消えていった。
「剣の力……?」
ルーナはもう、魔術でどこかに行ってしまっている。
ソルの疑問がルーナに届くことはないのだ。
部屋はティエラとソルの二人だけになり、静寂が戻ったのだった。




