039話 夜明け
戦いの翌日、城は静かな緊張に包まれていた。
夜明けとともに帰還した騎士たちは、それぞれ持ち場に戻り、負傷者は治療棟へ運ばれている。私は一人ひとりの様子を確認しながら、治癒魔法を施して回った。
「助かりました、セラ様」
「もう大丈夫だ。休んで」
そう声をかけるたび、皆が深く頭を下げる。
それは敬意であり、信頼だった。
治療棟を出ると、廊下の先にユリウス伯爵の姿があった。鎧は脱いでいるが、疲労は隠せていない。
「……まだ動いていたのか」
「伯爵こそ。休まれていませんね」
そう言うと、彼は小さく息を吐いた。
「騎士団長たちとの報告が長引いた」
「状況は?」
「想定より軽微だ。だが……」
伯爵は一瞬、言葉を切る。
「今回の襲撃は、試しだろう」
「試し……」
「こちらの反応を見るためのものだ。軍ではなく、傭兵を使ったのもそのためだろう」
私は唇を引き結んだ。
「まだ、終わりではない」
「ああ」
伯爵は私を見つめる。
「だからこそ、君の存在が重要になる」
「……治癒、ですか」
「それだけではない」
低い声で、はっきりと告げられる。
「君は、この国の象徴だ。君がここに立っている限り、簡単には手を出せない」
その重みを、私は理解していた。
「……覚悟はできています」
「そうだろうな」
彼は、ほんのわずかに目を細めた。
「だから、俺は君を前線には立たせない」
「でも」
「それは命令だ」
有無を言わせぬ口調。
けれど、その奥にあるのは、確かな気遣いだった。
「……わかりました」
その返答に、伯爵は少しだけ表情を緩めた。
午後、緊急の軍議が開かれた。
騎士団長、レオンさん、補給責任者、斥候隊の代表が集まる。
「敵は撤退したが、痕跡が不自然だ」
地図を指しながら、レオンさんが説明する。
「足跡が途中で消えている。魔術的な介入があった可能性が高い」
「転移か」
「もしくは、隠匿結界」
空気が重くなる。
「つまり、再侵入も可能だということですね」
「ええ」
私の言葉に、全員が頷いた。
ユリウス伯爵が腕を組む。
「こちらも、手を打つ。国境沿いに警戒網を敷く。夜間の巡回を倍にする」
「補給は問題ありません」
「騎士たちも士気が高いです」
「……だが」
伯爵の声が低くなる。
「次は、もっと狡猾になる」
会議が終わると、私は中庭へ出た。
冷たい空気が、火照った頭を冷ましてくれる。
(私にできることは……)
そう考えていると、足音がした。
「セラ」
ユリウス伯爵だ。
「一人にしてすまない」
「いえ……考え事をしていただけです」
「何を」
「……私に、できることを」
伯爵は少し黙り、やがて口を開いた。
「十分すぎるほど、やっている」
「それでも」
私は彼を見る。
「私は、守られるだけの存在ではいたくありません」
「……」
「騎士たちが命を懸けて戦っているのに、私は後ろで待つだけなんて」
その言葉に、伯爵の眉がわずか note to avoid ‘お前’. He uses ‘君’.
その言葉に、伯爵の眉がわずかに動いた。
「君は、十分に戦っている」
「……でも」
「剣を振るうことだけが、戦いじゃない」
静かな声だったが、揺るぎがなかった。
「君が治した命が、どれだけあると思っている」
「それは……」
「昨夜、前線で踏みとどまれた騎士がいた。治癒が間に合わなければ、陣形は崩れていた」
伯爵は私から視線を外し、中庭の石畳を見つめる。
「君がいたから、騎士たちは恐れずに剣を振れた」
胸の奥が、じんと熱くなる。
「……それでも、無力だと感じる時があります」
「無力なら、ここには立っていない」
伯爵は私を見た。
「君は、選び続けている。それが、力だ」
その言葉は、剣よりも鋭く、確かに心に届いた。
その日の夜、騎士団の詰所では、小さな酒宴が開かれていた。
勝利を祝うというより、生きて戻れたことを確かめ合うための場だ。
「セラ様! 一杯どうですか!」
レオンさんが、笑いながら木杯を差し出してくる。
「私はお酒、弱いんです」
「大丈夫ですって! 薄めてますから!」
周囲の騎士たちも、穏やかな表情をしている。
「聖女様が来てから、怪我が怖くなくなりました」
「いや、怖いですよ。でも……戻れる場所があるって思えるんです」
そんな言葉が、何気なく交わされる。
私は杯を受け取り、小さく口をつけた。
「……皆さん、ありがとう」
「こちらこそです!」
そこへ、ユリウス伯爵が姿を見せた。
一瞬、場が静まる。
「……気にするな。続けていい」
そう言うと、彼は壁際に立った。
騎士たちは互いに顔を見合わせ、やがて、さらに和やかな空気に戻っていく。
「辺境伯様」
「なんだ」
「……ありがとうございました」
誰かが、そう言った。
それに続くように、次々と頭が下げられる。
「俺は、やるべきことをやっただけだ」
「それでもです」
レオンさんが、はっきりと言う。
「俺たちは、信じてついていけます」
伯爵は、少しだけ目を伏せた。
「……無事に帰れたなら、それでいい」
その言葉に、誰もが笑った。
夜が更け、宴が終わる頃。
私は詰所を出て、回廊を歩いていた。
「セラ」
後ろから、声がする。
「伯爵」
「……少し、話せるか」
「はい」
中庭に出ると、星が瞬いていた。
「君が騎士たちと話しているのを見ていた」
「……騒がしかったですね」
「いや」
伯爵は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「俺には、できない役割だ」
「そんなことは……」
「できない」
きっぱりと言い切る。
「だから、君が必要だ」
私は、思わず息を呑んだ。
「君がいることで、城はただの要塞ではなくなる」
「……それは、私一人の力ではありません」
「それでも、君が核だ」
伯爵は、私に向き直った。
「今回の戦いで、確信した」
「何を、ですか」
「この国は、君と共に守る価値がある」
静かな言葉だった。
だが、重みがあった。
「……私もです」
そう答えると、伯爵は一瞬、驚いたような顔をした。
「この国を、あなたと一緒に守りたい」
言葉にしてしまうと、不思議と怖くなかった。
「……ありがとう」
この人が、こんな柔らかな声を出すのは、初めてかもしれない。
遠くで、城の鐘が鳴った。
警鐘ではない。
時を告げる、穏やかな音だ。
それを聞きながら、私は思った。
戦いは、きっとこれからもある。
政治も、陰謀も、決して消えない。
それでも——
この城には、剣を振るう人がいて。
背中を預け合う騎士たちがいて。
選び続ける覚悟を持つ人がいる。
ユリウス伯爵と、その騎士団。
そして、私。
夜空の下、静かに並び立ちながら、私は確信していた。
この地は、もう「守られるだけの場所」ではない。
共に戦い、共に生きる場所なのだと。




