025話 決戦
魔物たちの咆哮が、夜の森を震わせた。
獣の唸り声、硬い爪が地面を削る音。
それらが一斉にこちらへ向かってくるのを見て、背筋が凍る。
「前列、構え!」
ユリウス伯爵の号令が響いた。
騎士たちが一糸乱れぬ動きで盾を構え、魔物の突進を受け止める。
金属と肉がぶつかる鈍い音。
火花が散り、悲鳴が混じった。
「セラ!」
「はい!」
私は馬から降り、後方へと位置を移す。
すでに、負傷者が出始めていた。
「フェルン!」
「はいっ!」
フェルンは人の姿のまま、私の隣に立つ。
その瞳は鋭く、森の奥を睨み据えていた。
「やっぱりおかしいです。魔物の動き……普通じゃありません」
「操られている、ということね……」
私が呟いた瞬間、黒ローブの魔術師が杖を振り上げた。
空気が歪む。
嫌な感覚が、全身を駆け抜けた。
「来ます!」
次の瞬間、地面から黒い触手のような魔力が噴き上がり、騎士たちの足元を絡め取った。
「うわっ!」
「足が……!」
「ユリウス伯爵!」
叫ぶと同時に、私は魔力を解放した。
胸の奥に満ちている、あの温かい感覚。
以前なら制御できなかったほどの力が、今は自然に流れ出す。
「——解けて!」
私の声とともに、柔らかな光が広がる。
触手のような魔力は、霧が晴れるように消えていった。
「……聖女か」
黒ローブの魔術師が、低く笑った。
「噂通りだな。自由意思の聖女、セラ・アッシュタール」
その声を聞いた瞬間、胸がざわつく。
——聞き覚えのある声。
「あなたは……」
「覚えているか? ルミナリア王国・王宮魔術師団副団長、アルヴェインだ」
思い出した。
結界修復を一人で押し付けられていた頃、遠くから私を見下していた男。
「やはり……ルミナリアの差し金ですね」
「差し金? 心外だな」
アルヴェインは肩をすくめる。
「王命ではない。“個人的な依頼”で来ただけだ」
「……私を、連れ戻すために?」
「ああ」
その言葉に、怒りが込み上げる。
「私は、物じゃありません」
「聖女とはそういう存在だろう?」
嘲るような笑み。
「国を守る道具。都合のいい奇跡装置だ」
「違う!」
思わず叫んでいた。
「私は……人間です!」
次の瞬間、私の背後で剣が構えられる気配がした。
「それ以上、彼女を侮辱するな」
ユリウス伯爵だった。
剣先を、真っ直ぐアルヴェインに向けている。
「この地で、彼女に害をなす者は敵だ」
「噂以上だな。氷の伯爵」
アルヴェインは嗤い、杖を振り下ろした。
「なら、まずは騎士団ごと潰してやろう!」
魔物たちが一斉に動き出す。
「フェルン、お願い!」
「任せてください!」
フェルンの体が淡く光り、次の瞬間、巨大な白銀の狼へと姿を変えた。
咆哮とともに、彼女は魔物の群れへ飛び込む。
その姿に、騎士たちの士気が一気に高まった。
「反撃開始!」
剣と魔法が交錯する戦場。
私はただひたすら、治癒と浄化に集中する。
「大丈夫です、今治します」
「ありがとうございます、セラ様……!」
傷が塞がるたび、胸の奥が熱くなる。
私は、ここで必要とされている。
「……厄介だな」
アルヴェインが苛立ったように舌打ちした。
「聖女が前線に立つとは……!」
彼は大きく息を吸い、杖を地面に突き立てる。
「なら、まとめて消えろ!」
空が黒く染まり、巨大な魔力の塊が形成された。
「セラ!」
ユリウス伯爵の声。
(間に合わない……!)
私は反射的に、両手を前に突き出した。
「——守って!」
眩い光が弾ける。
光は壁となり、魔力の塊を真正面から受け止めた。
衝撃で膝をつく。
「……まだ……!」
歯を食いしばると、光がさらに強くなる。
その背中に、温もりを感じた。
「一人で抱え込むな、セラ」
ユリウス伯爵が、私を支えていた。
「君は、もう一人じゃない」
「……はい」
二人の魔力が重なり合い、光が一気に広がる。
闇は砕け散り、夜の森に静寂が戻った。
「な……!」
アルヴェインは後ずさる。
「聖女と……騎士の魔力が、共鳴している……?」
「当然だ」
ユリウス伯爵は剣を構え直す。
「彼女は、俺の婚約者だ」
一閃。
剣が、アルヴェインの杖を真っ二つに折った。
「ぐっ……!」
背後から、フェルンが牙を突きつける。
「これ以上、セラ様に近づかないで」
白銀の瞳が冷たく光る。
「撤退だ……!」
アルヴェインは転移魔法で姿を消した。
操り手を失った魔物たちは、次第に統率を失い、森へと散っていく。
——戦いは、終わった。
「……終わりましたね」
私はその場に座り込んだ。
「セラ」
ユリウス伯爵が駆け寄り、私を抱き起こす。
「無茶をするな。君に何かあったら……」
「すみません。でも……守れました」
そう言うと、彼は小さく息を吐き、困ったように微笑んだ。
「君が無事で、それでいい」
額に、そっと額が触れる。
周囲では、騎士たちが安堵の表情を浮かべていた。
フェルンは狼の姿のまま、誇らしげに尻尾を振っている。
(私は……戦った)
守られるだけではなく、守る側として。
「ユリウス伯爵」
「なんだ」
「これからも……一緒に戦わせてください」
彼は一瞬だけ驚いた顔をした後、静かに頷いた。
「ああ。君は、俺の隣に立つ人だ」
月明かりの下、私は微笑んだ。
この国のために。
大切な人のために。
私は、聖女として——
そして一人の人間として、生きていく。




