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燃え尽き聖女の幸せな休息  作者: タカハシ ヒロ


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018話 狼の恩返し

 翌朝。

 招かれざる客の相手をして疲れたのか、一晩眠っても体の重さが抜けなかった。

 朝食後、ユリウス伯爵から「今日は自由にしていいが、無理はするな」と念を押された。

 とはいえ室内でじっとしている方が気分が悪くなりそうだったので、私は久しぶりに外へ出ることにした。


「少しくらい散歩なら、いいよね」


 城の裏手にある小さな森。

 空気は澄み、木々の隙間から柔らかな光が差している。

 しばらく歩いていると——


「……!」


 草葉の奥で、かすかなうめき声がした。


「誰?」


 音のする方へ近づくと、そこには灰色の狼が横たわっていた。

 かなりの巨体。

 魔獣だ。


「……フェンリル?」


 見れば腹のあたりを深く噛まれたような跡があり、白い毛が血で濡れている。


「ひどい……」


 狼は私を見ると威嚇するように歯をむいたが、だいぶ弱っているらしく声も出ない。

 しゃがんでそっと手を伸ばす。


「治癒魔法をかけるだけだってば。痛くしないから——少しだけ我慢して」


 狼はかすかに震えたが、逃げようとはしなかった。

 私はゆっくりと魔力を流し込む。


 白い光が狼の体を包む。裂けた肉は閉じ、血の跡も薄れていく。

 魔法の詠唱が終わると、狼は弱々しく体を起こし、私をじっと見つめていた。


「もう大丈夫。森に戻っていいよ」


 そう言おうとした瞬間、狼は意外にも私の足元に鼻先を寄せ、ぺたりと額を地面につけるように頭を下げた。


「……お礼のつもり?」


 返事の代わりに、狼は一声低く鳴いた。


 そしてそのまま黒い影のように森へと駆けて消えていった。


「変わった子……」


 動物にあんなふうに礼を言われたことなんて初めてで、しばらく呆然と立ち尽くしてしまった。



 翌日。

 あいにくの雨模様のため自室にこもっていると、メイド長のクララが困惑した顔で訪ねてきた。


「セラ様……大変申し上げにくいのですが、城門に妙な少女が来ております」

「妙な?」

「ええと……ここで働かせてほしいと……」


 首を傾げていると、クララがさらに声をひそめた。


「それが、ですね……ひどく身なりが整っておりまして、一見すると貴族のお嬢様のようなのですが、どこか様子が……妙と言いますか……」


 やけに歯切れが悪い。


「とりあえず、お会いしてみてもいいでしょうか」

「……はい。それがよいかと」


 案内され、城門近くの客間へ向かうと、そこにいたのは、銀髪の少女だった。


 年の頃は十三、十四歳だろうか。

 整った顔立ちで、瞳は淡い琥珀色。

 高価な布で仕立てられたワンピースを着ているのに、靴は泥だらけ。


 少女は私を見るなり、ぱっと顔を明るくした。


「セラ様!」

「え、ええと……あなたは?」


 少女は勢いよくスカートを握りしめ、深々と頭を下げた。


「フェルンと言います! 昨日、森で助けていただいた狼です!」

「……え?」


 一瞬、頭が真っ白になる。


「狼……?」

「はい! 人の姿に戻ったのは今朝になってからで……。あなたに恩返しがしたくて、ここへ参りました!」


 きらきらした瞳で見つめられ、私は固まってしまった。


 後ろでクララが震える声を漏らす。


「セラ様。狼というのは?」

「え、ええと……」


 少女は胸の前で手をぎゅっと握り、子犬のように訴えかけてきた。


「どうか! メイドとして働かせてください! 何でもします!」

「め、メイド……?」

「はい! あなたの傍で働けるなら、掃除でも洗濯でも、お使いでも何でもします!」


 勢いがすごい。

 そして明らかに、ただの狼ではない。

 私は戸惑いながら、思わずつぶやく。


「ユリウス伯爵に相談しないと」


 すると少女は不思議そうに首を傾げた。


「ユリウス……? 人間の雄ですか?」

「人間の雄って……ユリウス伯爵のことです……」

「まあ! 伯爵……? 人間の位階はよくわかりませんが、とても強い匂いがして……なるほど、群れの頂点——アルファオスということですね?」

「……ちがうこともないのですが……」


 クララが青ざめている。

 私の頭の中でも、あらゆる疑問がぐるぐると渦巻いていた。


 ——どうしよう。

 ——この子、本当に狼なの?

 ——どう説明すれば……?


 そんな混乱の中。

 客間の扉が、静かに、しかし容赦なく開いた。


「セラ。朝の報告に——」


 ユリウス伯爵が入ってきた。

 伯爵は少女を見て、ぴたりと動きを止める。

 少女もまた、じろっとユリウス伯爵を見た後——


「……やっぱり、あなた、強い匂いがしますね!」

「……は?」


 ユリウス伯爵がほんのわずかに眉を寄せた。

 少女は一歩、堂々と前に進み——


「あなたが群れの頂点なのは理解していますが、私はセラ様に仕える者です! よろしくお願いします!」


 それを聞いて、私は魂が抜けかけた。


 ユリウス伯爵はゆっくりと私を見る。


「セラ。説明を頼む」

「……あの、その……昨日、森で……怪我した狼を治したら……」

「狼がメイドとして訪ねてきたと?」

「……そうなります……」


 少女は胸を張った。


「はいっ! どうか私を雇ってください!」


 ユリウス伯爵はこめかみを押さえ、深く溜息をついた。


「いいだろう」


 ユリウス伯爵は私を見つめ、低い声でつぶやいた。


「獣とはいえ、忠義の道に生きるならば結構なことだ。シュネーブルクは武人の国。忠節は尊ばねばなるまい」

「ありがとうございます!」

「構わん。何、これもまた一興というやつだ」


 少女はきょとんと首を傾げた。


「一興? 私はただ、お礼がしたいだけなのですが……」

「森の狼が人の姿をとる時点で、人間からすれば異常事態だ」

「ええー? 私の群れはみんなできますよ?」

「それが異常なのだ」


 伯爵は深く息を吐いた。


「セラ。この娘は君の専属メイドということで良いな?」

「は、はい」

「はーい! 私もセラ様にしか仕える気はありませーん!」


 いい返事だ、とユリウス伯爵は笑う。

 あああ〜。この人が悪徳領主系の人だったら、今ごろ首を跳ねられてるシチュエーションですよ。

 私がため息をつく横で、フェルンは上機嫌で尻尾を振っていた。

 ……って、尻尾⁉︎

 

「そっか。完璧に人化できるわけじゃないんだ」

「いやいや。完璧ですってば!」

「人間に尻尾は生えてないよ、フェルン」

「女の子が尻尾を生やしたら、むしろ生えてない状態より良い。完璧だ、ってうちの親父が言ってましたもん。客商売では得になるとかなんとか」

「一理あるかもしれない」


 確かに愛らしい少女にとっては武器になるか……と唸っていると、フェルンはにっこり笑って頭を下げた。


「では本日より、よろしくお願いします!」

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