013話 使者との接見
ルミナリア王国の使者が城門に現れたのは、夕暮れがすっかり山の端に沈んだ頃だった。
私はユリウス様の側に立ちながら、胸の奥が重く沈むのをどうしても抑えられなかった。
(王都を出てしばらく……あの人たちの顔なんて、もう二度と見ないと思っていたのに)
使者の気配が近づくほど、かつて胸をすり減らされた日々が思い出されてしまう。大聖堂の薄暗い廊下、冷たい施療室、リディア王女の苛烈な言葉——すべてが胸を刺した。
「セラ、嫌なら下がっていていい」
隣からユリウス様の低い声がした。
その声の奥に含まれた、分厚く温かな気遣いに胸が揺さぶられる。
「……大丈夫です。逃げるのは、もっと嫌ですから」
そう返すと、ユリウス様はほんのわずかに目を細めた。
その反応が、なぜだか勇気をくれた。
応接室に入ると、そこには既に使者が控えていた。
痩せぎすで、ひどく尊大な顔つき。腰にはルミナリア王国の紋章入りの短剣。
直接話したことないが、過去この男がリディア王女と一緒にいるところを何度か見た覚えがある。
使者は、私をひと目見るなり眉をしかめた。
「……はて。場違いな貴婦人がいますな。いや、申し訳ないが、我らが探しているのは聖女セラ殿です。あのみすぼらしい痩せぎすの——」
笑ってしまう。
どうやら彼は、垢抜けた私を別人だと思い込んでいるらしい。
とんだ失態である。
「私がそのセラです」
静かに、しかし確かに言い切った。
その瞬間、使者は、ぎょっとしたように目を見開いた。
「……は?」
「私がセラ・アッシュタールです。あなたが最後にご覧になった姿とは違うかもしれませんが」
「あ、あの……? しかし、大聖堂で見かけた時は……もっと、その……」
もっと、みすぼらしかったと言いたいんですよね?
喉まで出しかけた言葉を微笑みで押しとどめる。
使者は信じられないというように私を上から下まで見回し、口をぱくぱくとさせた。
「ま、まさか……そのように変わられるとは……。ずいぶんと、見違え……いえ、その……」
何を言っても地雷になると理解したらしく、もごもごと言葉を濁す。
だが、ユリウス伯爵は一歩、前へ出た。
氷点下の気配を帯びた眼差しで、使者を見下ろす。
「……つまらない侮辱だな」
「っ……!」
それだけの一言で、使者はびくりと肩を震わせた。
中庭の空気が、ひやりと凍りつく。
「俺の婚約者に向けられた侮辱は、どれほど些細であっても見過ごさない。……わかるな」
「も、申し訳ありません……!」
使者が額を机にぶつけそうなほど深く、がばりと頭を下げる。
私は慌ててユリウス伯爵の袖を引いた。
「……私、大丈夫ですから」
「大丈夫ではない。君が笑って許しても、俺が許さない」
その声は静かだったが、奥底に燃えるものがあった。
心臓が跳ねる。
こんなふうに誰かが自分のために怒ってくれるなんて、いつ以来だっただろう。
(……こんな扱い、されたことなかった)
胸が痛いほど温かくなり、目頭がじんわりと熱くなる。
恐れを飲み込んだ声で、使者が続けた。
「と、とにかく……聖女殿。ルミナリア王国の外郭結界が破損の危機にあります」
「それが私にどう関係があると?」
「古文書の誤読が発覚し……本来、聖女が一日に癒せる人数は十人程度だったようなのです。つまり——」
初耳だった。
ずっとリディア王女は私を落ちこぼれとして扱っていたが、そうなると——
「セラは天才聖女だったというわけだ」
ユリウス伯爵が代わりに言ってしまう。
使者はさらに肩を縮こまらせ、地面を見つめた。
「……はい。故に、どうか……どうか王都に戻り、結界の修復を……!」
その言葉は、命令ではなく懇願で。
しかしその懇願の奥にあるのは、やはり『自分たちの体裁を守るため』という気配があった。
私はふぅ、と息を吐く。
なんて情けない人達なんだろう。
でも……罪のない市民まで巻き込まれるのはごめんだ。
王都で暮らす罪のない人々の顔が浮かぶ。
大聖堂で治療した患者たち。優しい笑顔で薬草茶をくれた老人。子ども達。
悪いのは彼らではない。
私は、ゆっくりとユリウス様を見上げた。
「……行こうと思います、ユリウス様」
その瞬間、彼の眉がわずかに寄った。
「セラ。無理をするなと言ったはずだ」
「無理ではありません。行かなくて、もし本当に国が壊れたら……私、きっと後悔します」
静かに、しかし確かな気持ちで伝える。
「もちろん、すぐ戻ってきます」
その一言に、ユリウス伯爵の瞳の色がわずかに揺れた。
「ならば俺も同行する」
「え」
使者がぎょっと顔を上げる。
「へ、辺境伯自らですか⁉︎ それは——」
「俺の婚約者が行くのだ。当然だ」
ユリウス様は使者を冷ややかに見下ろした。
「……嫌なら引き取れ。どちらにせよ、セラを一人では行かせない」
「ま、まさか反対できるはずがございません!」
使者は大慌てで頭を下げ、何度も何度も礼をした。
その必死さに、私は思わず呆れてしまう。
(本当に……勝手な人たち)
けれど同時に、少しだけ哀れにも思えた。
結界が破れれば、国は滅びる。
必死にもなるだろう。
「セラ」
ユリウス様がこちらへ向き直り、手を差し出した。
「君が行くと言うなら、支える。だが——もう二度と、あの国に傷つけさせはしない」
その手を見た瞬間、胸の奥で何かが溶けた。
「……はい。ユリウス伯爵と一緒なら、どこへでも行けます」
私はその手をそっと握った。
冷たいと思った指先は、驚くほどに温かかった。




