第六話……戦果は紙の上で
反乱鎮圧から七日後、惑星ヴァルカンの子爵館。
焼け焦げた壁の匂いがまだ残る広間に、元家臣たちが列をなし、少年の前にひざまずいていた。
「このたびは誠に遺憾な事件でございましたな、若君」
「我らはあくまで平和を保ち、館を守っておりました」
「戦後の秩序維持のためにも、何かしらの褒賞を――」
ひとりが言えば、続くように皆が頭を下げる。
その衣の袖には血の匂いではなく、贅沢な香油の匂いがした。
「……それと、閣下」
一人の家臣が、恐る恐る口を開く。
「クロイツ殿は反省しておられます。何かの誤解があっての反乱であったと聞き及んでおりまする。旧来の功績もございますゆえ、どうか寛大な処置を――」
ざわめき。
少年の拳が静かに震える。
彼の父母を殺し、館を焼いた男の名が、その場で平然と口にされたのだ。
「……誤解、か」
少年の声はまだ幼く細い。だが、その静けさに誰もが息を呑んだ。
「では、父の首を掲げたのも誤解だったと?」
怒りの言葉が空気を震わせた。
少年は立ち上がり、玉座の階段を踏み鳴らす。
「父の仇を赦せと言うのか! そんな理があるものか!」
そのとき、年長の老臣が一歩前に出た。
「……若君」
低く、しかし明瞭な声だった。
「この惑星は、アストレア子爵家お一人のものではございません。領地の統治は、古来より家臣団の合議により成り立っております。彼らの協力なしには、ヴァルカンの政も産業も、何ひとつ動きませぬ」
少年の瞳が揺れる。
怒りは理解に変わり、理解は無力の苦味へと沈んでいく。
「……では私は、父の仇にも頭を下げねばならぬのか」
その呟きに、老臣は答えなかった。
広間に沈黙が落ちる。
家臣たちは互いの顔を見合わせ、誰も言葉を継げぬまま、ひとり、またひとりと退室していった。
残されたのは、焦げた旗と、少年の影だけ。
◇◇◇◇◇
翌日、子爵館の大広間では合議が開かれた。
乾いた議論は長く、果てしなく無常であった。
反乱の首謀者クロイツ準男爵は、二割の領地削減にとどまり、家臣団への恩賞として、子爵家の直轄地からも広大な土地が分割された。
会議が終わる頃には、アストレア家の地図は見る影もなかった。
北方の鉱山群は戦傷者への補償に、南方の牧地は分与、宇宙港湾税も家臣団の共同管理へ。
合議が終わった夜、館の灯はほとんど消えていた。
広間の机の上には、焼け焦げた地図と、帳簿の断片だけが残る。
領地は四方に分割され、子爵家の印が残るのは、わずかに鉱山跡と一つの港町だけだった。
扉が開き、ツーシームが現れた。
焦げ跡の床に、長い外套の裾が音もなく擦れる。
「聞いたよ」
彼女は机上の帳簿を見下ろした。
「準男爵は二割の削減、家臣には恩賞、で――私への報酬は、白紙のままか」
少年は唇を噛んだ。
「……出せない。合議で決まってしまったんだ。財庫も、もう何も……」
ツーシームは笑わなかった。
机に片手をつき、もう片方の指で少年の胸を軽く押す。
「――あんた、私をタダ働きさせたのか」
その声には怒鳴りも嘲りもなく、ただ冷たかった。
「戦士の血は、財貨で埋め合わせるのが道理だ。それを守らなきゃ、誰も次は戦ってくれない」
少年は顔を上げる。
「でも……守りたかったんだ。皆を。領地を……」
ツーシームの目が細くなる。
「守る? 誰を? 自分の保身に忠実な連中をか? あんたが流させた血は、紙切れ一枚の合議で帳消しにされた。それが、あんた流の“秩序”だよ」
少年は言葉が出なかった。
机の端に手をつき、肩を震わせる。
ツーシームは一歩だけ離れ、視線をそらした。
「この戦いで死んだ私の部下の家族はどうなる?――物乞いでもしろっていうのか!!」
その声は静かで、痛烈だった。
そして彼女は、何も言わずに背を向ける。
外套がひるがえり、焦げた空気を切り裂いた。
扉が閉まる。
少年はその場に崩れ落ち、拳で床を叩いた。
音が響くたびに、涙が一粒ずつこぼれ落ちる。
燃え残った地図が風に揺れ、ひとすじの灰が蝋燭の炎に吸い込まれていった。
――その夜、少年は泣き疲れて眠るまで、誰にも聞かれぬ声で何度も呟いた。
「……父上、助けてください。父上、父上」




