第五話……帝都は踊り、辺境は燃える
二時間後――。
夜空を焦がす砲火の光が、アストレア子爵家館の外壁を断続的に照らしていた。
空から放たれる収束光線が次々と命中し、シールド発生器が火花を散らす。
レッドベア率いる地上部隊の強襲に、クロイツ準男爵が命じた防衛線は、もはや形を保っていなかった。
「西ゲート突破! 敵部隊、南側通路に侵入!」
「なに!? まだ内壁の防御区画が――」
「――沈黙しました!」
報告の声が飛び交い、館内の照明が赤く明滅する。
焦げた金属の匂い、崩落する天井の音。
戦況の趨勢は明らかだった。
中庭では、ツーシーム率いる小部隊が到着していた。
飛竜の紋章を肩章に掲げた海賊兵たちが、煙の中から姿を現す。
先頭の女――ツーシームは、片手に鞘を払った剣を持ち、もう片方の手で少年ユリウスの肩を軽く押した。
「行くよ、坊ちゃん。あんたの仇の顔、見せてやる」
ユリウスは唇を噛み、うなずいた。
彼女の背後で、火の粉が舞う。
崩れ落ちた外壁を抜け、二人は館の中へと踏み込んだ。
――廊下の両脇には倒れた私兵たち。
床には焼けた鎧の残骸と、焦げた旗印。
ゆっくりとであるも、ツーシームの足取りは止まらない。
奥の広間、最後の自動防御砲座が火を噴いた。
その瞬間、ツーシームの瞳が淡く光る。
彼女は一歩も迷わず、音もなく後方へ滑る。
空気がわずかに歪み、弾丸は彼女の戦闘服を掠るに留める。
彼女は周囲の重力の歪を“読んだ”のだ。
砲座が沈黙し、広間の扉が破られる。
爆煙の向こう、クロイツ準男爵が震える手で拳銃を構えていた。
その頬には疲労と焦燥、そして恐怖が刻まれている。
「こ、ここまで来たか……! 貴様、海賊風情が……!」
ツーシームは片眉を上げ、剣を軽く傾けた。
「……ん? 海賊? あたい達は、正当なご領主様の側なんだけどね……」
彼女の後ろで、ユリウスが一歩進み出た。
乱れた髪に焦げた服、だがその瞳は揺れていない。
「――父上を殺したのは、お前だな」
クロイツは言葉を失い、銃口が震えた。
「お、おのれ……!」
その瞬間、金属音が短く鳴り、銃が床に落ちる。
ツーシームの剣が、その手首の直前で止まっていた。
「殺すかどうかは、坊ちゃんが決めな」
広間に沈黙が落ちる。
炎に照らされる中、ユリウスは目を閉じた。
震える唇が、小さく動く。
「……父上の名にかけて。お前を法で裁く」
その言葉にツーシームは少し躊躇うも、静かに剣を下ろした。
飛竜の紋章が、炎の中で金色に輝いていた。
◇◇◇◇◇
かつて、地球と呼ばれた惑星があった。
その民は、知を極め、宇宙の法則を己の手のひらで弄ぶまでになった。
そして、ある計画が立ち上がる――《ルシフェル計画》。
彼らはこの宇宙の外側、“隣接する他次元”との通信実験を試みたのだ。
それは最初、単なる信号のやり取りだったという。
だが、その応答は返った。
その瞬間、観測網は暴走し、量子層の位相が乱れ、宇宙の膜が裂けた。
地球は焼け、恒星は軌道を失い、時間の流れすら歪んだ。
光と闇は反転し、あらゆるものが断片化していった。
後に“第一の崩壊”と呼ばれるこの災厄によって、栄華を誇った文明は滅び、宇宙は無数の“破片の世界”へと分断された。
通信も航行も途絶え、各星ではわずかな生存者たちが、壊れた装置や記録を“聖遺物”として祀り上げた。
やがて、それらの遺構を再稼働させ、“人類の正統”を名乗る勢力が現れる。
それが〈銀河聖帝国ノヴァ〉の興りである。
帝国は千年を超えて星々を統べたが、その内部では既に、かつての地球文明と同じ腐敗が芽吹いていた。
失われた叡智を求め、星々の覇を競う者たち――。
それが、今という時代である。
彼らは知らぬ。
その果てに、かつて地球を滅ぼした“干渉の残響”が、いまなお宇宙の底で蠢いていることを――。
◇◇◇◇◇
聖帝国暦六四三年、第一総管区F‐七一二。
――銀河聖帝国ノヴァ、帝都ネオ・ベルゼブブ
大聖堂のドームが、光ではなく煤と光子スモッグを吸い上げている。民家の赤褐色の屋根は剥げ、再生材のパッチで縫い合わせられている。
裏路地の石畳は油と雨水で黒く光り、裂け目から旧配線の銅線が覗く。
辺境星系において、惑星総督たるアストレア子爵家が襲撃を受けたとの報告は、極低周波通信を経て、三日後に帝都の帝国監察院へ到達した。
報告官と貴族官僚たちは、ゴシック調の帝城内の尖塔の最上階にある執務室で、昼食を取りながら案件を処理していた。
香草酒の瓶が無造作に並び、皿には焼いた禽獣肉の骨が山をなす。
報告端末の上には油染みのついたナプキンが被せられている。
「また反乱か?」
「F‐七一二宙域です。人口二十万、資源ゼロ、輸送航路なし」
「辺境だな。放っておけ」
笑いながら杯を傾け、ソースを拭い、承認印を押す。
赤い印が画面に滲む。それは“観測記録済”――つまり、不介入を意味した。
報告書は束ねられ、ワインの染みを残したまま書類箱に放り込まれる。
「それより例の舞踏会の招待状、届いたか?」
「ええ、上院議員閣下の娘君が直々に。これは行かねばな」
笑い声が響き、食器の触れ合う澄んだ音が室内に散る。
外では、帝都上空を貴族の宴遊艦の光翼が横切る。
その航跡は、夜空に長い銀糸を引きながら消えた。
誰も、辺境の惑星ヴァルカンで起きた小さな反乱劇に興味など持たなかった。
その星で、ひとりの少年がすべてを失うことも――
やがて、その悲劇が帝国の命運を揺るがす導火線となることも、この時、誰ひとり予想だにしなかった。
お気に召しましたら、ブクマやご評価を頂けると恐縮です。




