第二十三話……饗宴の裏で
総督府に直結する専用駅へと降り立った瞬間、ユリウスは思わず息を呑んだ。
駅構内は総督府の内部とは思えぬほど広大で、天井には重厚な金属装飾と星図文様が施され、白銀色の照明が床の黒曜石を鏡のように照らし出している。
物々しい数の軍人たちが警備についており、空気そのものが張り詰めていた。
そもそも帝国の軍組織は、任務ごとに各地の貴族が保有する私兵を束ね、再編成して運用されるという特殊な体制を取っている。
編成された軍や艦隊を指揮するのは中央政府の将軍や提督だが、皇帝直轄の常備軍は全体の二割にも満たない。
つまり、侯爵家ともなれば――その私兵と艦隊は、もはや一国の軍勢にも等しい規模を誇るのだ。
「子爵閣下へ、総員――敬礼っ!」
正装に身を包んだユリウスの姿を認めるや、将校が慌てて号令を発した。
ずらりと並んだ警備兵たちが一斉に敬礼し、金属音の揃った響きが駅構内に反響する。
その光景に、ユリウスは思わず背筋を正した。
「へへっ、兵隊さんに敬礼されるのは、なかなか気分がいいねぇ~」
一行が緊張気味に歩を進める中、ツーシームだけは相変わらずの調子で、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
「フォックス殿。あまり珍しそうに見渡していると、田舎者と笑われますぞ」
「へいへい」
グレゴールにたしなめられ、ツーシームは頭をかきながら軽く返事をした。
今日の彼女は瓶底眼鏡に地味な外套という完全な変装姿で、表向きの肩書は“惑星ヴァルカンの産業顧問にしてフォックス社社長”という設定になっている。
将校に先導され、長い回廊を抜けていく。
通路の壁は白大理石で磨き上げられ、金糸を織り込んだ深紅の絨毯が足音を柔らかく吸い込む。
天井からは多面カットの水晶照明がいくつも吊るされ、歩むごとに光がきらきらと反射して、まるで星の中を歩いているかのようであった。
やがて扉が開かれ、一行は大広間へと通された。
そこはもはや行政施設の中とは思えぬ、完全なる宮殿の広間であった。
巨大な円柱が林立し、天井には金箔で彩られた銀河と神話の絵巻。
壁際には歴代総管区長の肖像画が並び、床は一切の機械装置を思わせぬほど静謐な大理石の光沢に包まれている。
「アストレア子爵殿、大儀である……」
簡潔な謁見を終え、ユリウスは胸をなで下ろした。
供応役を務めるのは、オズワルド=グリムウッド子爵と名乗る白髪の老貴族であった。穏やかな笑みの裏に、老練なしたたかさを滲ませている。
「公爵様はご多忙ゆえ、長くは時間を取れずに申し訳ない。せめてもの償いとして、山海の珍味を取り揃えました」
そう言って案内された饗宴の間は、さらに壮麗であった。
数十メートルにも及ぶ長大なテーブルには、白磁と金縁で統一された食器がずらりと並び、その上には――息を呑むほど豪奢な料理の数々が所狭しと配置されている。
透明な殻に包まれた深海惑星産の発光甲殻類、香気を放つ異星果実の冷製前菜、宝石のように赤く輝く霜降り肉、黄金色に焼き上げられた巨大な飛翔鳥のロースト。さらに、
星雲酒と呼ばれる虹色の酒が、細身のグラスに注がれていた。
「うは……ありがてぇ……痛ぇ……」
はしゃいで身を乗り出そうとしたツーシームの足を、グレゴールが容赦なく踏みつける。
その様子に、ユリウスと老貴族は思わず笑みをこぼした。
「いくらでもご用意しておりますゆえ、どうぞごゆるりとお寛ぎくださいませ」
「ありがとうございます」
ユリウスと老貴族は上座に案内され、話の合間には次々と他の貴族が挨拶に訪れて、目まぐるしく動くことになった。
一方、少し離れた位置に用意されたツーシームたちの席は、会話に邪魔されることも少なく、食事に集中するにはまさに絶好の場所であった。
「これ、めちゃくちゃ旨いね。何ていうの?」
ツーシームは皿を抱え込みながら、そばに控える料理人に気軽に尋ねる。
「こちらは“肘川牛”にございます。古代の石碑には、伝説の炎竜に捧げられた供物として記されておる名品です」
「……へぇ~、竜に捧げる肉かぁ。そりゃ旨いわけだ」
感心しながら、彼女は一切れ、また一切れと遠慮なく口へ運んでいく。
その豪快な食べっぷりを、グレゴールは複雑な心境で横目に眺めていた。
煌びやかな宮殿、絢爛たる饗宴、笑顔の裏に潜む貴族たちの思惑。
この豪華な社交場こそが、第六総管区の「表の顔」なのだと、ユリウスは静かに理解し始めていた。
◇◇◇◇◇
「アストレア子爵殿。――実はですな……」
供応が終盤に差し掛かった頃合いを見計らったかのように、オズワルド=グリムウッド子爵は声を潜め、ユリウスに身を寄せた。
その表情は穏やかでありながら、どこか探るような色を帯びている。
「侯爵家の使節団にお加わりいただき、第五総管区を一度ご視察願えぬか、という話でしてな」
思いがけぬ提案に、ユリウスは目を瞬かせた。
「第五総管区といえば……先日、中央に対して反乱を起こしたと聞いていますが?」
慎重に言葉を選んで問い返す。
老貴族は静かに頷いた。
「第五総管区の主張によれば、討伐対象は皇帝陛下ではなく、摂政ノクターン公爵“個人”とのこと。隣接する我が第六総管区といたしましても、直ちに国交を断絶する理由はない――というのが、表向きの判断でございます」
「……なるほど、難しい立場ですね」
若いながらも、ユリウスはその言葉の裏に潜む“綱渡り”の危うさを感じ取っていた。
「その通りでしてな……」
グリムウッド子爵は、わずかに肩を落とす。
「正直に申せば、あまり深く関わりたくないと考える貴族家も多い。しかし、かといって男爵家程度を名代として送るわけにも参らぬ。中央にも、第五にも、体裁が立ちませぬゆえ……」
つまりは――
侯爵家の名代として“看板”になる神輿が必要なのだと、ユリウスは悟った。
「……わかりました。若輩ゆえ、実務のお役には立てぬとは思いますが……」
そう前置きしたうえで、ユリウスは静かに頷いた。
「名代役、お引き受けいたします」
「おお……お引き受けいただけますか!」
その瞬間、老貴族の顔が一気に輝いた。
どうやら第六総管区内でも、かのクロイツ伯爵討伐の噂は広く知れ渡っており、名声高きアストレア家を名代に、という声が水面下で高まっていたらしかった。
「これは祝いでございますな。――誰ぞ、持ってまいれ。アストレア殿に、秘蔵の六二一年物を」
ほどなくして運ばれてきたのは、老貴族家に伝わる家宝同然のヴィンテージワインであった。琥珀色の液体がグラスに注がれ、甘く重い香りが立ちのぼる。
「こ、これは恐れ多いことで……」
ユリウスは深く頭を下げ、丁重に杯を受け取った。
――だが、後日。
彼の日記には、こんな一文がひっそりと記されることになる。
『正直なところ、評判ほどの味ではなかった』
その二週間後――。
要塞惑星グラウゼンの宇宙港には、特注建造されたアーヴィング侯爵家専用の大型宇宙船が、その威容を誇示するかのように停泊していた。
厚い装甲に覆われた船体、侯爵家の紋章が金色に輝く艦首。
その周囲では、私兵と港湾警備隊が幾重にも配置され、厳重な警戒網が張り巡らされている。
ユリウス、グレゴール、そして“フォックス社社長”に扮したツーシームを含む一行は、その船へと乗り込んだ。
第六総管区・アーヴィング侯爵家の名代として――
反乱の炎がくすぶる第五総管区の総督府へ向かうためである。
少年の胸に芽生えたのは、期待よりも――
これから踏み込む「外交という戦場」への、静かな緊張であった。




