第二十二話……繁栄の影、奈落の底
帝国第六総管区の行政府が混乱の渦に沈むその頃――。
ユリウス少年はツーシーム、そして老臣グレゴールを伴い、イーグル星系に属する鉱山惑星モロの視察に赴いていた。
イーグル星系は、本来アーヴィング侯爵家から派遣された代官が統治する予定であったが、その代官は実務を丸ごとアストレア子爵家へと委託してきた。
名目上は中央の支配網に属しながら、実態はほとんど地方貴族の裁量に任されている、辺境らしい統治形態である。
イーグル星系には有人惑星ハヌマーンのほか、四つの資源惑星が存在した。
そのうちの一つが、この鉱山惑星モロである。資源惑星とはいえ、完全な無人ではなく、採掘・精錬・輸送に従事する者たちが定住し、最低限の行政と治安維持を必要としていた。
元クロイツ家に仕えていた役人が、ユリウス一行を電動ホバーに乗せて案内する。
荒涼とした赤褐色の大地を滑るように進むホバーの先に、やがて“それ”は姿を現した。
――巨大な露天掘り鉱山。
大地は抉り取られ、何層にも重なる環状の斜面が、奈落へと続くように螺旋を描いている。
谷底では、山のような巨躯を持つ掘削機が唸り声を上げ、鋼鉄のアームで土砂と鉱石を引き裂いていた。
空気には金属粉と赤土の微粒子が満ち、太陽光を受けて鈍く輝く粉塵が、薄霞のように漂っている。
磁力索道に吊られた巨大な鉱石コンテナが、断崖の縁を規則正しく往復し、そのたびに低く重い駆動音が惑星の大気そのものを震わせていた。
「子爵様、どうぞこちらになります」
役人がそう告げた先では、無数の小さな人影が、蟻の群れのように斜面に張り付いていた。
「……あの人たちは、何なの?」
ユリウスは思わず眉をひそめた。
掘削機の陰で働く人影は、人間にしては小柄で、胴が太く、ずんぐりとした体格をしていたからだ。
「ノーム人たちですな」
グレゴールが低く答える。
「古の空間異変以来、我ら人類と友誼を結んでおる異星種族です。地底作業と鉱物の見分けにかけては、比類なき才を持ちます」
だが、ユリウスの目に映るノーム人たちは、友邦というよりも――監視され、酷使される労働者であった。
彼らの背には管理端末付きの拘束具が装着され、周囲には武装警備兵が等間隔に立っている。
岩粉にまみれたその背中は、あまりにも小さく、あまりにも重かった。
その視線の意味を察したかのように、ツーシームが肩をすくめる。
「まぁね。法的には二級市民って扱いさ。ノーム人は」
ユリウスは言葉を失った。
「……地球を祖とする我ら人類とて、帝国中央に歯向かえば、等しく二級市民に落とされまするぞ」
グレゴールはそう言って、鉱山の一角を指差した。
そこではノーム人に混ざり、人間の囚人たちが重労働に従事していた。
顔には識別刻印、足には作業用の拘束具。彼らは政治犯、あるいは重税滞納者――すなわち、帝国に「不要」とされた者たちであった。
「二級市民に落とされれば、職業選択の自由は剥奪。人の嫌う仕事にのみ就かされます」
その淡々とした説明に、ユリウスの胸は重く沈んだ。
彼はこれまで、領主の子として何不自由のない日々を生きてきた。帝国の繁栄の“裏側”など、誰も教えてはくれなかったのだ。
露天掘りの奈落の底で、粉塵にまみれて働く無数の影。
その一つひとつが、帝国の繁栄を支える「無名の犠牲」であった。
「……まぁ、宇宙海賊は二級市民以下だけどねぇ」
ツーシームは安煙草をくわえ、白い煙を吐き出しながら、どこか乾いた笑いを浮かべた。
「だから、あたしらは最初から最下層さ。ははは……」
冗談めいた笑い声とは裏腹に、鉱山から吹き上げる粉塵と重機の咆哮が、その言葉の重さを否定することなく、惑星モロの空に反響し続けていた。
◇◇◇◇◇
四つの鉱山惑星を巡る視察を終え、ユリウスはグレゴールの助言を得ながら、当面の各地の人員配置を定め、従来より提出されていた予算案を正式に追認した。
さらに、今後の行政施策の実務については、極低周波通信網を通じ、惑星ヴァルカンの行政官たちへと細かく指示を送り出す。少年にとっては、これが子爵家当主として初めて行う、本格的な統治行為であった。
その後――。
ユリウスは小型の星間航行用宇宙船に乗り込み、第六総管区を統べるアーヴィング侯爵家への挨拶に向かった。
アストレア子爵家当主への正式就任が認められたことへの、礼を尽くすためである。
各総管区長は、その管区内においては皇帝の代理とも言うべき絶大な権限を持ち、人事、財政、立法にまで及ぶ広範な統治権を行使していた。
辺境宙域を統べる第六総管区長といえど、その威光は一国の王に等しい。
そして――小型船が降下した先に広がったのが、第六総管区の中枢都市であった。
「……すごい繁栄ぶりだね」
思わず漏れたユリウスの呟きは、決して大げさなものではなかった。
第六総管区の総督府が置かれるのは、難攻不落と名高い要塞惑星グラウゼン。
だが、その名の持つ重々しさとは裏腹に、宇宙港の周囲には無数の超高層ビルが林立し、漆黒の宇宙を背景に、光の塔のようにそびえ立っていた。
ビルとビルの間には無数の空中航路が走り、輸送艇、通勤シャトル、貨物ポッドが光の帯となって縦横無尽に行き交う。
上空には広告映像が幾重にも投影され、企業ロゴと煌びやかな立体映像が夜空そのものを塗り替えていた。
宇宙港駅からリニア鉄道の特別急行に乗り換えると、車窓の外には、さらに巨大な都市景観が流れ去っていく。
幾層にも重なる高架道路、ネオンに染まる商業区、空中庭園を備えた富裕層向け居住区――夜であるにもかかわらず、街は昼と見まごうほどの明るさに満ちていた。
「わぁ……」
ユリウスは窓に顔を近づけ、目を輝かせてその光景を見つめていた。
辺境の鉱山惑星とはまるで別世界の、圧倒的な富と技術の結晶。それが、帝国の中枢級都市の姿であった。
だが、その横に座るグレゴールは、まったく別のものを見ている。
彼の視線は常に車内を巡り、乗客の細かな仕草、視線の動き、衣服の膨らみにまで注意が払われていた。
不審者が紛れ込んでいないか、暗殺者が潜んでいないか――老臣の警戒は一瞬たりとも緩まない。
「……ぐがぁぁ」
一方、その隣では、ツーシームが座席にだらしなく体を預け、豪快な寝息を立てていた。
深く座ったまま、口を半開きにして熟睡しているその姿は、まるで緊張感の欠片もない。
「……こ、この女……いずれ確実に寝首をかかれますぞ……」
グレゴールは引きつった声で呟いたが、ツーシームはぴくりとも反応しない。
都市の光はなおも車窓を流れ去り、やがてリニアは減速音を響かせながら、総督府へと直結する専用駅へと滑り込んだ。
この巨大都市の心臓部で、いままさに――
第六総管区の運命を左右する政治の歯車が、静かに、しかし確実に回り始めようとしていた。




