第二十話……伯爵、落つ
司令室へ踏み込むと、トブルク伯爵は腰を抜かし、床で震えていた。
護衛は蜘蛛の子を散らしたように逃げ去り、伯爵はユリウスの足に縋る。
「ア、アストレア殿! 先のことは謝る! これからは共に、帝国のために――!」
「……」
ユリウスは無言のまま、その哀れさに高周波サーベルをゆっくり納めた――その一瞬。
伯爵の袖口が閃き、毒刃が突き出される。
「死ねええっ――!」
金属が打ち合う音ではなかった。
ゴシュと、何かが深く肉に沈む鈍い感触。
だが、刃はユリウスの喉には届かず、代わりに伯爵の腕へ、ツーシームの重力サーベルがめり込んでいた。
「いかんねぇ、そういうのは」
赤子をあやすような声で、ツーシームは刃を引き抜く。
血が噴き出し、甲板に赤い斑点を散らす。
「今回はアタイの利権も絡んでる。坊ちゃんに“慈悲”で全部持ってかれたら困るんだよ」
二度、三度。
伯爵の胸板に鋭い赤い花が咲き、音が止んだ。
返り血を浴びた彼女の刃を、部下の小男が手際よく布で拭い取った。
「……さて、帰りますか?」
「え? 帰るの?」
「伯爵傘下の領主どもが、本気で牙を剥けば厄介だよ。彼らの領地まで攻め込めば、勝ち戦が泥沼になる。後の面倒は後に回す。今日はこれで充分」
ツーシームは気楽に肩をすくめた。
納得とはいかないが、先ほど命を救われたばかりのユリウスには、逆らう言葉が見つからない。
「ご領主様、あとは婆も手伝いますから、ご安心を……」
いつのまにか、会計係ゾル婆が血煙の中から顔を覗かせていた。
「坊ちゃん、何か忘れてないかい?」
ツーシームが無線の感度を最大に上げる。
ユリウスは小さくうなずき、胸の奥から声を絞り出した。
「先代アストレア子爵の仇――トブルク伯爵を討ち取った!!」
「「おおおーッ!!」」
重巡洋艦ヴァルハラ船内の味方から歓声が湧き上がり、逆に敵兵は武器を投げ捨て、次々と膝をついた。
その日のうちに、帝都への報告は飛んだ。
この件は“合法的な仇討ち”として正式に追認され、辺境のアストレア家は、一躍格上の貴族を打ち破った若き勇者として名を轟かせることになったのだった。
◇◇◇◇◇
――それから四日後。
惑星ヴァルカンの宇宙港バリスタには、旗艦アストレアを先頭に、傷を負った艦艇が次々と帰還した。
焼け焦げた装甲板、黒く煤けた艦首。
だが迎えたのは静寂ではなく、歓声だった。
「ウチのご領主様は強ぇんだ!」
「父上の仇を取って、ようやった!!」
タラップを降りるユリウスは、押し寄せる民衆に手を振る。
その視線の先には、勇者を讃える瞳ばかり。
頬をかすめる風が、なぜか少し重い。
出発のときに比べ、その横顔にはもう少年ではない影が差していた。
――それからさらに十日後。
惑星ヴァルカン中央都市レンドの領主館。
第六総管区を統治するセドリック・アーヴィング侯爵から、正式な裁定通知が届いた。
内容は簡潔だった。
有人星系イーグルの管理には侯爵家の代官を派遣。
そして、トブルク伯爵が有していた領地・利権を除き、現状維持とする――。
「よかったじゃないか?」
厚底眼鏡に作業着姿のフォックス社長ことツーシームが、上品な笑みを作りながら紅茶を一口。仮面のようなその笑顔が、かえって本心を読ませない。
「ええ……これで、ひとまず安心できました」
ユリウスもミルクの入った紅茶をゆっくりと含んだ。
室内の緊張がわずかにほぐれる。
「……鉱区の秘密とか、洩れないでしょうか?」
不安を滲ませて尋ねるユリウスに、ツーシームは肩をすくめて笑う。
「大丈夫さ。秘密をつつけば、アストレア子爵家は武力を使うって、この間しっかり示した。負けた連中には、ゾル婆から脅しも入れておいたしね」
その言葉に、ユリウスの肩の力がようやく抜ける。
だが同時に、ツーシームの手段の苛烈さに胸がざわついた。
政務とは、こんなに闇めいたものだっただろうか。
父から教わった政治は、もっと穏やかで、正しくて――。
それに対し、彼女はすぐ「脅す」「殺す」と口にする。
その表情の変化を察した老臣グレゴールが、少年の耳元で囁く。
「ご領主様。かの女は海賊にございます。そのことを、どうかお忘れなきよう……」
「ああ……そうだったな」
それを思い出した瞬間、少年はどこか力の抜けたような、温かな気分になった。
彼女にこちらの常識を求めるのは筋違いだ。
協力を仰ぐ以上、彼らの流儀も受け入れなくては。
そう自らに言い聞かせながら、
少年と海賊の首領は穏やかに歓談を続けた。
そして日が沈むと同時に、ツーシームは自らの“巣”である銀狐商会へと戻っていった。
◇◇◇◇◇
とある宇宙船のコンテナ室。
白い蒸気が薄く立ちこめる中、冷凍保存されたトブルク伯爵の遺体の前で、男の肩が震えていた。
「伯爵様、口惜しゅうございます…」
男はヴァレンダール商会の商会長だった。かつて栄えた商会は、公爵の代官の命で解体され、今や手元に残るのは僅か一隻の古びた宇宙商船だけになっていた。
冷却装置の低い唸りが、沈黙を際立たせる。
彼は遺体に手を触れられず、ただ拳を握りしめる。
「いつか、あのアストレアの小僧に――煮え湯を飲ませてやる!」
声は低く、しかし刃のように鋭かった。
誓いを呟くと、男は重い足取りで操縦席へと戻っていった。
背中に残ったのは、ほんの少しの灰色の決意だけだった。
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