第十七話……帝国艦隊を支えた星
聖帝国暦644年7月――。
惑星ヴァルカン、アストレア子爵家館・応接室。
重厚な扉が開き、一人の壮年の軍人が姿を現した。
整えられた銀髪、深い青の軍装。
その立ち居振る舞いは、あくまで静かで嫌な威圧感はない。
彼が帝国第八外征艦隊司令官レオンハルト=トラヴァース提督であった。
「……アストレア子爵殿。急な寄港となり、申し訳ない」
落ち着いた声。
その瞳には、先の戦勝の傲りも見えない。
ユリウス少年は緊張しながらも頭を下げた。
「いいえ……惑星ヴァルカンは、皇帝陛下の軍の御役に立てることを誇りに思います。ご帰還の途中と伺いました。どうか、お力になりたい……!」
レオンハルトは小さく微笑む。
「感謝する。艦隊は長期戦闘と宙域紛争で、損耗が激しくてね。兵も船も限界だ……、どうにか補給と応急修理を施したい」
声は疲労を帯び、どこか悲しみすら滲む。
ツーシームはその声色に嘘を嗅ぎ取れなかったが、疑念に眉をひそめた。
(本当に……“ただの帰還”だけなのかい?)
◇◇◇◇◇
――数日後。
ヴァルカンの港湾都市と工廠区は、歴史にない賑わいとなった。
空を覆う無数の傷だらけの戦列艦群が着陸し、何千人もの帝国兵と技術士が惑星に降り立つ。
「資材搬入急げ! オルビタス級の推進炉だ、手を抜くな!」
「医療班、急患搬送! 前線帰還組だ!」
「飯はまだかー! 暑い! ビール寄越せー!」
ヴァルカンの町は、他星系からも大量の労働者が流れ込み、修理工員、物資商人、飲食店が怒涛の勢いで増え、景気は爆発的に上向いた。
ツーシームの銀狐商会も例外ではない。
工廠は常にフル稼働、資材がいくらあっても足りなかった。
「社長ー! リベットが尽きます!」
「じゃんじゃん発注しな! 稼げるうちに稼ぐよ!」
汗と笑いが飛び交い、工員たちの顔は輝いている。
◇◇◇◇◇
ユリウスは感慨深げに街を見渡した。
「ツーシーム……、惑星ヴァルカンが、こんなに賑わうなんて」
「ああ。坊っちゃんの城下町、きっと歴史上で今が一番華やかだね」
ツーシームは手すりに肘を置き、宇宙港を見つめる――その眼差しはまだ鋭い。
「……ただし、勘違いするなよ。軍艦と兵隊は、金を落として帰ってくれる客なんかじゃない。生存と物資が全てさ。その裏に意図がないと、まだ言い切れない」
しかし、ユリウスは静かに首を振る。
「提督は……悪い人には見えなかった。兵士たちも、皆疲れていて……。ただ、家に帰りたいだけなんだよ」
ツーシームは少年の横顔を見やり、少しだけ柔らかく笑った。
「ま、あたい達の小さな工廠が役に立ったなら、それはそれで悪くないけどね」
港に停泊した巨大な艦影が、夕日を受けて金色に輝いていた。
惑星ヴァルカンは今、活況の中心で呼吸している。
――帝国の大艦隊を支える“心臓”として。
◇◇◇◇◇
二か月後の夜――政庁バルコニー。
修理の灯がまばゆく輝く宇宙港を見下ろしながら、ユリウスとレオンハルト提督は並んで立っていた。
「提督……ヴァルカンの地が、少しでもお役に立てて良かった」
ユリウスが誇らしさを隠しきれずに言う。
レオンハルトは穏やかな銀の瞳を向けた。
「戦い続きで、船も兵も疲弊していた。君たちの厚意がなければ――この艦隊は無事に帝都へ帰れなかったかもしれない」
ユリウスは少し頬を赤らめた。
「私も帝国の一員ですから。困っている家族を助けるのは当たり前です」
その言葉に、レオンハルトは静かに微笑む。
「帝国全土を守るのが我々の役目だが……。時に、守られることもあるというわけか」
「小さな星だけど、きっと毎日、帝国のためにできることもある気がします」
「うむ。それこそ、帝国を支える大きな力だ」
レオンハルトの声音は深い敬意を帯びた。
「君と君の星に、感謝する。修理が完了し次第、すぐ帰還するが――この恩は決して忘れない」
夜景に無数の艦影が浮かぶ。
その光のひとつひとつが、惑星ヴァルカンの再興への希望になっていた。
ユリウスは強く頷く。
「安全な航路と勝利を。どうか、ご武運を」
「ありがとう、アストレア子爵」
銀髪の提督は丁寧な敬礼をひとつ――
帝国の勝利の英雄たちは、確かにこの小さな星に救われたのだった。
◇◇◇◇◇
聖帝国暦644年10月初旬。
夜明けの薄紅色が港を照らし始めた頃――
帝国第八外征艦隊は帰還準備を終えていた。
整備された戦列艦群が立ち並び、巨大な推進翼が静かに展開していく。
ユリウス少年は、ツーシームやグレゴールらと共に、宇宙港の見送りデッキに立っていた。
銀髪の提督レオンハルトが、タラップ越しに歩み寄ってくる。
「アストレア子爵。では……」
「第八艦隊のご武運を祈っています!」
二人は固く手を握り合う。
その姿を見て、兵士たちからも自然と喝采が湧き起こった。
レオンハルトは敬礼し、静かに命じる。
「第八外征艦隊――発艦」
轟音。
地響き。
光の柱が天を突き、数百の艦影が大空へと上昇した。
「……行っちゃったね」
ユリウスがぽつりと漏らす。
ツーシームが安煙草を咥えながら笑った。
「ま……しばらくは静かでいいさ」
しかし――
辺境惑星ヴァルカンは“静か”には、とてもならなかった。




