第十二話……位相鉄の峡谷で
冷えた風が吹き抜ける峡谷を、二人を乗せた小型ホバー車が滑るように進んでいた。
車体の横にはツーシームの海賊団の徽章、〈モリガン〉の赤い翼が描かれている。
「……ここが、ヴァルカンの災いの源だよ」
ツーシームの声に、ユリウスは前方を見つめた。
谷底の暗闇の中に、無数の光点がちらついている。
それは採掘灯だった。
そして光の下では、金属のように青白く輝く鉱石の筋が、地殻を走っている。
「……これが、位相鉄鉱石?」
ユリウスは息を呑む。
「そう。普通の鉄鉱石と違って、強靭な“位相”を持つ。要するに、存在してる座標さえも安定してない。加工などは普通の設備じゃ無理さ」
ツーシームは岩肌に埋め込まれた管制装置に手をかける。
パネルが光り、地下深くから機械の唸りが響いた。
「クロイツがこれを欲した理由は単純だ。――帝国のどの星にも、これほど純度の高い鉱脈はなかなか無い」
ユリウスは黙って頷き、岩壁の裂け目に近づく。
近くで見る位相鉄の結晶は、まるで液体金属が凍ったように揺らめいている。
指先を伸ばすと、結晶の輪郭が微かにずれた――
まるで現実と幻の境目に触れたようだった。
「……これが、父が皆に隠し、そして守ろうとしたものか。」
ツーシームは肩をすくめる。
「守ろうとしたのか、隠そうとしたのか。どっちにしても、持ち主を選ぶ代物だね。皆に知られれば、再び戦争の種になる」
ユリウスは静かに振り返った。
「――なら、僕が守る。この星の富を、再び誰かの血で汚さないために」
ツーシームは片眉を上げ、煙草を咥えた。
「坊っちゃん、綺麗ごとを言うには、鉱石の量が多すぎるぜ……」
「それでも構わない」
少年の瞳には、確かな光が宿っていた。
ツーシームはしばらく黙り、やがて苦笑した。
「……やれやれ。ま、いいさ。それを聞きたくて、あたしはここまで案内したのかもね」
奥の坑道では、採掘機が鈍く唸り、光る結晶が青白く空気を照らしていた。
その光に包まれながら、ツーシームは呟く。
「さて、人間の運命は、位相鉄より重いのかな……」
◇◇◇◇◇
ヴァルカン南極圏、帝国地理院の地図にも載らぬ灰色の峡谷。
その地下深くに、位相鉄鉱の採掘施設が静かに稼働していた。
外見は旧式の採掘プラントに見えるが、内部はツーシームが再編した独立運営体制だ。
採掘ロボットの管理から鉱脈の採掘計画まで、帝国の監査網には一切の信号が漏れないよう暗号化されている。
「……いいか、ここは資源がある鉱山じゃない。〈廃棄鉱区86号〉だ。帝国の役人に尋問されても、帳簿上は死んでる鉱山だ。忘れるなよ」
ツーシームが冷ややかに告げると、イカツイなりの現場監督たちは無言で頷いた。
鉱区を出ると、上空には銀灰色の輸送艇が待っていた。
機体には一見すると帝国公社の登録番号があるが、実際は星間ギルド「トリス商会」――帝国当局の管理外の非合法の交易網だった。
ツーシームは通信端末を開き、スクリーン越しにギルドの担当者と繋がった。
画面の向こうの男は笑顔を作っていたが、目はまるで氷のように冷たい。
「いやぁツーシーム船長、また珍しい品を。高純度の“位相鉄”ですか」
「噂のままで頼むよ。帝国政府の耳に入ったら、鉱脈ごと吹き飛ぶからな……」
「取引ルートは例の“リュシアン回廊”を通します。お支払いはエーテル兌換札でしたね。そして鉱石の出所は――」
「ああ、値段を負けてやるから、名前を出すな」
男がうなずき、端末に契約データを送る。
ツーシームは指先で確認し、軽くサインを入れた。
「取引成立。積み込み急げ。まぁこの量なら、帝国の査察船が通過しても感知されねえだろうがな」
貨物リフトが唸りを上げ、赤茶けた鉱石を積んだコンテナが次々と輸送艇へ運ばれていく。
位相鉄は光を受けるたびに微かに揺らぎ、まるで現実の境界を震わせるようだった。
ふと、ユリウスが後ろから声をかけた。
「ツーシーム、非合法な商社と取引を?」
彼女は煙草を咥え、淡々と答える。
「合法な商社なんて、帝国の犬さ。この鉱石を売りたいなら、裏で回すしかない。坊っちゃんの理想は立派だが、金も燃料も“理想”じゃ手に入らないんでね」
少年は苦い顔をしながらも、やがてうなずいた。
「……君に任せるよ。だけど、あの鉱山の存在は、僕も帝国政府に知られたくない」
ツーシームは笑みを浮かべた。
「安心しな。あたしの秘密は、墓場まで持ってくさ。」
やがて輸送艇が低い唸りを上げ、峡谷の夜空へと消えていった。
光の残滓が風に溶け、ブロックチェーンが生み出す伝票を確認したツーシームは、煙を吐きながらぽつりと呟く。
「まったく……坊っちゃんの理想は高いが、鉱石の値段はもっと高いねぇ」




