第十一話……終戦と始まりの値段
――三日後。
アーバレストの新政庁の玉座の間は、煙と静寂に包まれていた。
帝国の紋章が焼け落ちた壁の前で、鎖に繋がれたひとりの男が引きずられてくる。
クロイツ男爵。
その顔には疲労と絶望の色が濃く刻まれていた。
彼の肩を支えるのは、彼のかつての側近たち。
彼らの軍服からは、すでに男爵の紋章が剥がされている。
「……貴様ら、何をしている。私を誰と心得る――!」
男爵が吠えるが、誰も目を合わせない。
副官のマルセルが淡々と告げる。
「我らは、もはや貴殿の部下ではありません。降伏文書はユリウス閣下に提出済みです。」
その声に、クロイツは言葉を失った。
膝が崩れ、鎖が床に鳴る。
広間の奥から、ツーシームと少年ユリウスが現れる。
少年はまだ若いが、今は凛とした領主の面をしていた。
ツーシームは煙草をくわえ、軽く片手を挙げた。
「よう、男爵。三日ぶりだね。まさか部下に縛られて会うとは思わなかったろ?」
クロイツは顔を上げた。
その目には怒りよりも、どこか空虚なものが漂っていた。
「……トブルク伯爵に……見捨てられたとき、運は尽きていたのかもしれんな……」
ユリウスが一歩前へ出た。
「あなたは父の名を辱め、ヴァルカンの民を虐げた。帝国の法も、あなたをもはや庇わない」
「法……? ハッ、子どもの口から法とはな……」
男爵は乾いた笑いをこぼす。
「お前もいずれ知るだろう。権力の裏は、いつも汚泥なのだ」
ツーシームは無言で一歩進み、男爵の前に立った。
「説教は結構。あんたの部下は、すでに投降済みだ。街も宇宙港も、もうアンタのもんじゃない」
クロイツは悔しさに唇を噛み、血を滲ませる。
「……おい、海賊ツーシーム。貴様も金のために動く女だったはずだ。なぜ、あの小僧に肩入れする?」
ツーシームは肩をすくめた。
「金のためさ。――あんたから奪った権益で、坊っちゃんが払う。それ以上に筋が通る話は、他にないだろ?」
一瞬、沈黙ののち、クロイツの目に、敗者の光が宿る。
「……なるほど、筋は通っている。」
ユリウスは背筋を伸ばし、静かに命じた。
「ルシアン=クロイツ。あなたを反逆と殺人の罪により拘束する。裁きを受ける覚悟を」
男爵はうなだれたまま、静かに呟いた。
「……帝国の法の裁きか。結末としては、悪くない」
ユリウスは黙して見つめていた。
ツーシームは無言で煙草を指先で回す。
その目は、勝者のものではなく、敗者を見送る者の目だった。
クロイツは微かに肩をすくめた。
「最後に、一つだけ……」
その言葉と同時に、彼はそばに立っていた元副官の腰の拳銃を、信じられぬ速さで抜き取った。
レッドベアの巨体が動いたが、間に合わない。
「――!」
銃口が一瞬だけ宙を彷徨い、次の瞬間、閃光と乾いた破裂音が響いた。
クロイツ男爵の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
黒衣の肩口に血が滲み、鎖が床にぶつかって鈍い音を立てた。
男爵は冷たい床に頬をつけながら、微かに呟いた。
「……我が野望は……未だ……消えず……」
彼はそのまま、息絶えた。
広間には、誰の声もなかった。
ただ、ツーシームが静かに煙草を床に押しつける音だけが響く。
「……楽には死なせないつもりだったんだけどね」
ユリウスは拳を握りしめ、唇を結んだ。
「復讐を果たしても、心は少しも軽くならないな……」
ツーシームが彼の肩を軽く叩いた。
「それが戦争だよ、坊っちゃん。勝っても決して、心の闇は消えない」
レッドベアが無言で敬礼をし、衛兵たちが遺体を引き取る。
薄く差し込む夕光が、新政庁の床に血の筋を照らしていた。
ツーシームは立ち上がり、短く命じる。
「……片付けろ。――戦は終わりだ」
その声は冷たくも、どこか哀しげに響いた。
◇◇◇◇◇
アーバレストの新政庁の大会議室は、まだ焦げた石と硝煙の匂いが残っていた。
壁にかけられたクロイツ男爵家の旗は引き裂かれ、その代わりに簡素な布が掲げられている。
そこには――新たな統治者、ユリウス・アストレアの紋章。
ツーシームはその下で、腕を組みながら一同を眺めていた。
そこには、降伏して少年ユリウスに恭順を誓った地方領主たちが列する。
皆、どこか安堵と緊張の混じった顔をしている。
ユリウスが席を立ち、声明を読み上げた。
「――これら各位の旧領は、降伏の誠意をもってそのまま安堵とする。戦後の混乱を抑えるためにも、領地の割譲などは行わない」
ざわめきが広がる。
ツーシームは煙草を咥えたまま、ふっと笑った。
「やっぱり、“あたいの取り分”は削られたってわけだね」
隣でゾル婆が苦笑する。
「そりゃそうだよ船長。いまさら地方領主どもに手のひら返されたら困るじゃないか」
「……まぁ、あたいが策を巡らしたんだし、今回は筋は通ってるさ」
ツーシームは煙を吐き出し、宙を見た。
「もともと取りすぎだったかもな。――四割、最初の契約どおりってとこだな」
レッドベアがぼそりと呟く。
「四割って言っても、惑星の主要権益の四割だ。充分すぎるぜ」
「そうでもないさ。例の鉱区も維持費用やらがかかる。儲けは薄くなるさ、まぁ――ツケを取り返せただけでも上等だ。」
その時、ユリウスが彼女に歩み寄った。
「ツーシーム。君の働きに、言葉では尽くせぬ感謝を、こうして父の仇は討てた……」
少年の声はまだ幼さを残していたが、確かな威厳があった。
ツーシームは肩をすくめ、軽く敬礼した。
「いいっての。すべては仕事だよ、坊っちゃん。報酬はきっちり貰った――“利息込み”でね」
会場の空気が少し和む。
だが彼女は、どこか遠い目をしていた。
「ただな、覚えときな。力を持つ者ってのは、今日は味方でも明日は敵だ。恩を売るより、借りを作った方が長持ちするかもしれない」
ユリウスはわずかに笑い、うなずいた。
「肝に銘じよう。――その教えは、金貨百枚の価値がある」
「……なら、次の契約で請求しようかね?」
ツーシームの冗談に、笑いが起きた。
だが彼女の胸の内には、冷たい現実の計算がすでにあった。
報酬は確かに手にした。
だが、それ以上に――“勝者の席”を維持するための新たな駆け引きが、もう始まっているのだった。
ツーシームは最後の煙を吐き、窓外に広がるヴァルカンの空を見上げた。
「……さて、坊っちゃん。この平和ってやつ、どのくらい保つと思う?」
ユリウスは笑みを浮かべた。
「僕が統治する領地には、平和しか望まない」
ツーシームは肩を揺らして笑った。
「いうねぇ~。まったく、民衆のための領主様は偉いねぇ……」
こうして――ヴァルカン奪回戦は終わりを告げた。




