第十話……約束は紙屑、信頼は灰
惑星ヴァルカンの夜側軌道上。
ツーシームは旗艦〈モリガン〉の通信卓に座り、光の粒のようなホログラムをいくつも立ち上げていた。
それは――クロイツ男爵に加担している地方領主たちの通信アドレスだ。
「さて、連絡を回すよ。内容は“選択の自由”ってやつさ。」
ツーシームは煙草を咥えながら、短く指示する。
送信される通信文には、こう書かれていた。
『クロイツ男爵の敗北は時間の問題だ。いま離反すれば、領地の保全と戦後の地位を保障する。だが、固執すれば――家も血も、ヴァルカンの大地に残らぬだろう。次の朝を迎える選択をせよ』
短い文面、しかし決定的だった。
彼女は同時に、各地の村や都市に噂を流した。
「クロイツ男爵を守る私兵たちの家族が、海賊の略奪に遭っている」
「海賊たちは女や子どもも容赦しない」
「抵抗した家は、跡形もなく焼かれた」
最初はただの流言だった。だが、ゾル婆が工作班に指示を飛ばす。
「“真実味”が足りん。火の手を上げりゃ、皆信じる。」
そして――本当に幾つかの屋敷が襲われた。
標的は慎重に選ばれ、被害はクロイツの私兵の家族や親族筋の屋敷ばかりだった。
全体を考えると被害は軽微、しかし血の跡は確かに残された。
それはやがて、惑星各地で怯えと不安が広がる。
各地の地方領主たちは動揺し、兵たちは帰郷を強く望むようになった。
通信報告が次々とモリガンに届く。
「クロイツ派の第三地域、旗を下ろしました!」
「西岸防衛隊、離反!」
ツーシームは薄く笑い、スクリーンの煙草の煙を見上げた。
「戦争ってのはね、撃ち合うより“疑わせる”方が早い。――人間の信頼は、時に紙屑より脆いからねぇ」
レッドベアが腕を組み、重々しくうなずいた。
「……で、次はどうする?」
「アーバレストの包囲網を徐々に縮める。やつらの補給線を断てば、あとは勝手に崩れるさ」
そう言ってツーシームは立ち上がった。
背後の星々の光が、彼女の瞳に反射する。
「――恐怖と欲。どっちも人を動かす最高の燃料だね」
◇◇◇◇◇
惑星ヴァルカン首都アーバレスト。
厚い防爆壁に囲まれた新政庁の作戦室では、赤い警告灯が断続的に点滅していた。
クロイツ男爵は机に両手を突き、報告を浴びるように聞いていた。
「……なんだと? 妻の親戚筋の第三地域まで旗を下ろしただと!」
「はっ、はい。領主ガドール騎士爵殿、ツーシーム側に寝返った模様です。彼女は味方した者の財産と地位を保証すると……」
「保証? 海賊風情が?」
クロイツは唾を吐くように言い捨て、拳で机を叩いた。
分厚い木製の卓上地図がたわみ、金属製のカップが床に転がる。
「南部の治安部隊はどうした! 反乱分子を鎮圧せんか!」
「そ、それが……隊の大半が故郷へ戻ると称して離脱を……」
「貴様らの家族が人質にでも取られたのか!?」
叱咤が飛ぶが、参謀たちは沈黙したままだ。
彼らも知っている。ツーシーム一味が流した“噂”――
クロイツの私兵たちの家族が次々と襲われている、というあの話を。
最初は馬鹿げた流言だった。だが今では、誰も否定できない。
実際に焼かれた屋敷、消えた家族、残された血の跡。
「馬鹿どもが……海賊の脅しに屈するとは!」
クロイツは怒鳴ったが、その声には焦りが滲んでいた。
トブルク伯爵への援軍要請は、未だ返信がない。
通信網の一部はすでにゾル婆の手によって陥落しているが、彼はまだ知らない。
◇◇◇◇◇
――二十日後。
「クロイツ様……」
老参謀が恐る恐る進み出る。
「領民の動揺も広がっております。敵にすべての幹線道路を封鎖された影響で、食料と医薬品が……」
「黙れ!」
男爵の怒号が新政庁の壁に響く。
「下々の暮らしなど後回しだ! 幹線道路を奪還すればいいだけの話だろう!」
だがその声は、どこか空虚だった。
報告を携えて駆け込む伝令の数は減り、代わりに逃亡兵の名簿が机の上に積み上がっていく。
クロイツは椅子に深く腰を下ろし、荒い息を吐いた。
「……この惑星は、私のものだ。海賊などに渡すものか」
だがその声も、すでに誰に向けたものなのか分からなかった。
窓の外、遠くの稜線には火の手が上がっていた。
◇◇◇◇◇
政庁作戦室の空気はすでに沈鬱を通り越していた。
クロイツ男爵は、報告書の山に押し潰されそうな机に突っ伏していた。
そこへ、通信士が青ざめた顔で駆け込む。
「ク、クロイツ様! 外部通信が――トブルク伯爵家からです!」
クロイツは顔を上げた。
その目に、ようやく希望の光が宿る。
「ようやくか……やはり閣下は我らを見捨ててはおられぬ!」
通信モニターが点灯し、暗い背景の中に壮年の男が姿を現した。
整った口髭と冷たい瞳――トブルク伯爵であった。
「久しいな、クロイツ君」
その声は柔らかかったが、どこか機械的でもあった。
「閣下! どうか援軍を! 卑しい海賊どもが我が館に迫っております! ツーシーム率いる海賊どもが、惑星全域を――」
「聞いているよ」
伯爵は彼の言葉を軽く遮った。
「実に遺憾だね。だが――援軍は送れない。」
「な……に……?」
「中央では、君の惑星統治に関して“過剰な権限行使”と“統治能力の欠如”が問題視されている。これ以上支援すれば、我が家まで巻き添えを食う。――つまり、君の計画は“失敗した”と判断するしかない」
クロイツは愕然とし、握りしめた拳から血がにじむ。
「ふ、ふざけるな! 貴殿の指示で動いたのだぞ!? アストレア子爵を殺したのも、鉱区を奪ったのも――すべて貴公の命令だったではないか!」
トブルク伯爵の表情は変わらない。
ただ静かに、冷ややかな笑みを浮かべる。
「証拠でもあるのかね? 君の名で発令された命令書しか、記録には残っていないはずだがね?」
「貴様……!」
クロイツが立ち上がり、怒りのあまり机を叩く。
通信士が怯えて身をすくめた。
「君の後任として、帝国中央から監察官が派遣されるそうだ。それまでの間、せいぜい持ちこたえてくれたまえ。……もっとも、持ちこたえられればの話だがね」
それだけ言い残すと、通信は無情にも途切れた。
沈黙――。
クロイツはしばらく動けなかった。
そして、絞り出すように呟く。
「……トブルクの狐め……ひょっとして最初から……切り捨てるつもりだったか……」
外では遠雷のような砲声が鳴り響く。
クロイツは虚ろな目で、拳銃を机の上に置いた。
「この惑星は……まだ……私のものだ……」
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
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