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【コミック全8巻】拝啓『氷の騎士とはずれ姫』だったわたしたちへ  作者: 八色 鈴
七章 恋という名の罪

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06.

 リデルが嫁いで来てからというもの、オスカーは何においても彼女を優先するようになった。

 口を開けばリデル、リデル、リデル。


 王都からの長旅で疲労しているであろう身体に負担をかけたくないからと、恐らく彼が最も心待ちにしていたであろう初夜にすら、妻の寝室を訪ねることはしなかった。


「本日は奥さまの体調が優れず……」

「朝からお具合が悪いようです。きっと、環境の変化にお身体がついていかないのでしょう」


 リデルの侍女からそう言われるたび、オスカーは厨房を訪ねて滋養によい食事を用意させた。少しでも気分が明るくなるようにと、お抱えの職人に作らせた小さな硝子細工や、庭で摘んだ花を届けていた。


 跡継ぎの誕生を待ち望む声が早い内に止んだのも、ふたりの結婚が長いこと白いままだったのも、明言はせずともオスカーの強い意志があったからだ。


 ――リデルの弱い身体では、出産に耐えられないかもしれない。


 貴族の最も重要な義務は、子孫を残すことだ。

 それなのに、何もしなくていい、ただ側にいてくれるだけでいいのだというオスカーの究極の愛は――無言の想いは、リデルに届いていたのだろうか。


 マデリーンの目には、とてもそうは見えなかった。


 自分がどれほど願っても手に入れられなかった幸せを既に手にしているのに、彼女はいつも、まるで自分こそがこの世で一番不幸だとでもいうような顔をしていた。


 だから『はずれ姫』などと呼ばれるのだ、と無性に腹が立った。

 事件が起こったのは、そんなある日のことだった。


 いつもリデルが侍女(ミーナ)と共に散歩していた庭の片隅で、マデリーンはある物を見つけた。

 茂みの影で、半ば土に埋まるように置かれた茶色い布包み。

 最初にそれを拾い上げたのは、侍女のひとりだ。


「こんなに汚れて……。それに、泥水で湿っていますわ」


 よく見てみれば、それは泥水が染みこんだせいで茶色に見えるだけで、元は白い布のようだった。

 そういえば先日、雨が数日降り続いたことがあった。この布包みは、その時からずっと放置されていたのかもしれない。雨で地面がぬかるんで、徐々に地中へ沈んでいったのだろうか。


「結構大きな包みですわね。今頃、落とした方が困っていらっしゃるかも。カーソンさんやスミスさんにお伝えして、持ち主を――」

「痛っ!」


 その時、踵を返そうと足を踏み出すマデリーンの声を遮るように侍女が小さな悲鳴を上げ、包みを地面に落とした。何事かと視線を戻せば、侍女の指先から赤い血が流れ出している。


「大変! 誰か、彼女を医務室へ」

「わ、わたくしは大丈夫ですわ、お嬢さま。そんなことより、包みの中身をご覧くださいませ」

「何を言っているの、早く処置をしないと黴菌が入って大変なことになりますわ」

「ですが、このオルゴールやお花は……!」


 なおも食い下がる侍女の言葉に、マデリーンは彼女が落とした包みに初めて目を止める。

 落とした衝撃のためか、しっかり結ばれていた包みの口が解けており、地面の上にその中身が散乱している。

 土の上できらきらと光る、赤や青、緑の色つきガラス。原型を留めないほどに砕かれたオルゴール。枯れて色あせた花。切り刻まれたリボン。


 マデリーンはペネロペの制止も聞かず、それらへ手を伸ばした。

 嫌というほど、見覚えのある品々だった。


 ――旦那さまが奥さまのために用意した品物ばかりじゃないの……。


『リデルへの贈り物だ。今日も具合が悪いそうで、少しでも気晴らしになるといいのだが』


 そうやって、少し照れたように笑いながら、オスカーが手ずからリボンを掛けて用意した贈り物だ。それがどうして無残に壊され、布に包まれ、こんな場所で泥に塗れて。


「なんて酷い……! まさか、旦那さまからのせっかくの贈り物をこんな……ゴミのように捨てるなんて!」

「元王女だからって、やっていいことと悪いことがございますわ!」


 侍女たちのいきりたった声が、マデリーンの抱いた予感を後押しする。

 この包みは、雨でゆるくなった地中に埋もれたものではない。被せていた土が強い雨のせいで抉れ、埋めたはずの包みが地表へ現れてしまったものだ。 


 侍女たちに止められるのも無視し、マデリーンはその場へ跪いた。粉々に飛び散ったオスカーの贈り物を拾い集め、広げたハンカチの上にのせていく。


 ――こんなの、あまりに酷いわ。


 ひとつひとつ、オスカーの想いの欠片を拾い集めている内に涙が滲んできた。

 それと同時にどす黒い感情が吹き出し、溢れていく。もう止められなかった。


「旦那さまに言いつけてやりましょう!」

「そうです! これを知ったら、旦那さまだって……」

「だ、だめよ!」


 いきりたつ仲間たちを止めたのは、一人の侍女だった。


「そんなことをすれば、旦那さまはどんなに傷つくか……」

「……そうね。これはわたくしの部屋に隠しておきましょう」


 リデルの悪行を暴くのだけであれば別にいい。けれど、オスカーの心をこれ以上苦しめることは誰であろうと決して赦さない。


 包みを侍女たちに預けたマデリーンは、その足でリデルの部屋へ向かった。

 そうして挨拶もそこそこに、刺繍の練習をしていたリデルへ問いかける。


「奥さま、旦那さまからの贈り物をどうなさいましたの?」


 問いかけに、リデルは瑠璃色の瞳をまたたかせながら小首を傾げた。

 それがもどかしくて、マデリーンは更に付け加える。


「贈り物をいただいたでしょう! 香水瓶やオルゴール。綺麗なお花も!」

「マデリーンさま……? 何を仰っているのか、よく……。贈り物というのは、なんのお話でしょう」


 そのおどおどと怯えたような表情がますます勘に障り、かっと眼裏が熱くなった。

 この期に及んで、まだとぼけようと言うのか。


 綺麗な顔をして。

 何の罪もないような顔をして。

 世界一不幸そうな顔をして。


 あの品々は、オスカーの想いそのものだった。それを平気で踏みにじって打ち砕いて切り刻んで、己のした悪行を隠すため、土の中へすべて埋めるような真似をしたくせに。


 ――どうして平気そうにしていられるの。


 オスカーの真心を打ち棄てるのなら、要らないと言うのなら、なぜ結婚に頷いたのか。素直に嫁いできたりなどしたのか。


 オスカーは命がけだった。リデルを娶るため命を賭し、異民族討伐という危険な任務に赴いた。そんなオスカーの偉業を知っていながら、なぜ。

 

 ――いいわ。旦那さまの妻になったのが不本意だというのなら、わたくしが追い出してあげる。


 アッシェンにいたくないと思うほど嫌な目に遭えば、甘ったれのお姫さまはすぐに王都へ帰りたがるだろう。そうすれば、国王も離縁を認めざるを得ない。


 それからのマデリーンは、思い返せば悪魔のささやきにとりつかれたかのようだった。毒蛇が敵に対して牙を剥くように徹底的にリデルを追い詰め、嫌がらせをする。


『ねえ、奥さまご存じ? 旦那さまの愛人の噂。わたくしも一度見たことがありますけれど、それは美しい女性でしたわ。――階下の者たちも申しておりましたわ。旦那さまは、本当は彼女を妻にしたかったのではないかと』

『奥さまは夜会はお嫌いですの? あら。旦那さまはいつもパートナーとして、わたくしをお連れになりますので、てっきりお誘いを断っていらっしゃるのかと』


 シャーロットがオスカーの恋人でないことくらい、ふたりの様子を見ていればすぐにわかったはずだ。

 オスカーとマデリーンが共に夜会へ参加していたのだって、パートナーを務めるためではない。彼はアーサーと共にエヴァンズ男爵を牽制するため、護衛役として付いてきてくれていただけだ。

 いくらあの図々しい男爵でも、マデリーンが『アッシェン伯爵の愛人』と噂されている間は手出しできないと踏んで。


 それを、周囲が勝手に勘違いして噂を広めただけ。オスカーがマデリーンのためにあえて噂を否定しなかったのをいいことに、マデリーンは侍女たちも巻き込み、リデルが勘違いするよう狡猾に振る舞った。


『ねえ! いっそのこと、マデリーンお嬢さまが跡継ぎを産んで差し上げたらいいんじゃないかしら』

『そうよ、それこそが奥方として一番大事なお役目じゃない。名案だわ!』


 いい気分だった。

 自分は決して間違っていない。オスカーの幸せのために、正しいことをしているのだと、そう信じていた。


 けれど時折、ふと、胸に過ぎる思いがあった。

 リデルに嫌がらせをすれば、胸の奥に溜まった澱のようなものも少しずつ消えてなくなると思っていた。それなのにどうして、自分の気持ちはこんなにも暗く淀んでいるのだろう。


 エミリアが生まれ、その小さな命を目の当たりにした時から、淀みはますます強くなっていった。

 そしてリデルがアッシェンへやってきて丁度一年が過ぎた頃、あの悲劇が起こる。


 別荘に向かうリデルとその護衛たちを狙った、盗賊による襲撃事件。

 それにより御者と五十余名の騎士たち。そしてリデルと、隊列の指揮を任されていたアーサー()までもが帰らぬ人となったのだ。

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