05
「──お待たせしました。どうぞ」
会話の合間を窺っていたのか、俺が口を閉じたタイミングで店長が注文した物を持ってくる。彼女の前には珈琲が。俺の前には、ココアが。
「……ココア、ですか?」
「悪いデスカ?」
きょとんとした声に、恥ずかしさを覚える。「あの馬鹿店長、ほんとに入れてきた」悪態を吐きながら、コップを呷った。熱い。舌、火傷した。口にしたら余計に恥ずかしいから、しないけれど。
温かいものを飲んで多少冷静になる。さて、この後どうしよう。好き勝手に喋ったから、後先なんて考えていなかった。この微妙な空気、どうやって払拭しようか。
なーんてなー冗談でしたー! なんて言えない。いつもなら、その手でどうとでもなったのに、この件に関してだけは、そうしたくない。
「……か」彼女が、引き攣った声を出した。挑むように強い目で俺を睨む。「彼氏って、誰ですか」
予想外の質問に戸惑いながら「あの金曜の」と答えると、更に予想外だった返事があった。
「あれは弟です!」
「弟!? だって、顔あんまり似てない……」
よくできた嘘ではないか、とさえ思う。似ていない、と言われることには慣れているのか、彼女の顔には苛立ちひとつ見えない。やけに真面目くさった顔で「正真正銘、血の繋がった兄弟です」と断言する。
「でも」兄弟って、あんなに距離が近いものなの? 背中に手を当て、まるで恋人同士みたいだった。「仲、良いんだね」
彼女はまるでわかっていない顔で、小首を傾げながら、はい、と答える。
「そもそもですね!」
まだあるの!?
俺は自然と居住まいを正した。何が飛び出してくるかわからなくて、怖い。
「私、……実のところ、あの、ごめんなさい、私、い、いないんです、……彼氏」
「……………………いない?」
我ながら、間の抜けた声だった。
でも、無理も無いと思う。夢だと言われても、信じる。都合が良過ぎる。
「え、マジ?」
「…………はい」
「ほんと?」
「……はい」
「実は金曜の彼とこの土日で別れたとか」
「あれは弟ですってば! なんなら確認しますか!?」
売り言葉に買い言葉、の勢いで放たれた言葉に、一瞬思考が止まる。
「それって、家に行っても良いってこと?」
「へっ? や、普通に写真とか……ですけど」
「ああ、だよねー」
さすかにそこまで都合は良くない。気を張っていた分、肩を落とす。初めからわかっていたことだ。大体、彼氏が本当はいないとカミングアウトされた、イコール、俺に気がある、なんて、世の中そんなに上手くない。……でも、それならなんで教えてくれたんだろうか。
俺と距離を置くなら、そのまま黙っていた方が得だったはずだ。
それとも俺が話したから、自分も、ということなのか。“フェアじゃない”、彼女はそれを理由に行動できる人間だ。
いや、そんなことは、どうでもよくて。
まず何より彼女に彼氏がいないことが──不謹慎ながら──嬉しい。何度も、いないのか、いないのか、と繰り返していたら、「連呼しないでください」と真っ赤な顔で怒られた。アライグマのようなたらんとした目を、精一杯吊り上げている。
やばい──可愛い。
「ごめん。有り得ない程嬉しくて、つい」
彼女につられて、顔が熱くなる。
「じゃ、あの彼氏の話って」
「全部理想、です」
彼女は恥ずかしさを誤魔化すように指を組む。理想ねえ、と首を傾げた。
「ね、それを教えてくれるってことは、俺にもまだチャンスがあるって、思っていい?」
少し余裕を繕えるようになった俺は、彼女の顔を覗き込む。きみの隣にいるのは、俺でも良いだろうか。
「チャンス、じゃなくて。そうじゃなくて」
湯気さえ出そうな程に赤く染め上げた顔をそのままにして、彼女は真っ直ぐに俺を見つめた。取り繕ってようやく声にできる俺とは、全く違う。そっと響く、掠れた声。
「貴方ともっと、お喋りをしたい、です」
誠実な、重たい言葉。これまでの俺が敬遠し、今の俺が渇望した言葉。
「──篠原先輩と私が過ごした時間が、先輩にとってゲームでなかったのなら」
不安げな顔に、ハッと気付かされる。
俺は肝心なことを口にしていなかった。
俺が、どうしたいのか。嘘偽りなく、どう思っているのか。
「ゲームじゃないよ。ぶっちゃければ、最初はそうだったけど……今は違う。全く違う。きみが、」
名前を口にする権利を、もぎ取る。
「菜月ちゃんが好きだよ。この気持ちの深さをどうやってきみに伝えたらわからないくらい、自分でもどうかしてるなって思うくらい、好きだ」
「……私も」
赤い顔をした彼女はとろりとした顔で口を開き、──不意に我に返った。
「あの、念の為もう一度確認ですけど、ここで私が好きだって返したらゲームオーバーとか、ありませんよね?」
「な、無いから!」
絶対、無い! 有り得ない! 慌てて全力で否定する。
必死過ぎる俺の様子に、彼女は可笑しそうに笑い、
──俺が欲しかった言葉を、俺が見たかった表情で、囁いた。
今度こそ、これで終了です。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
本編を公開してから、これだと情報が足りないなー、と急遽書き足した次第です。楽しんで頂けたら何よりです。
【オマケ】
「菜月ちゃんってさ、アライグマに似てるよね」
「あ、あらいぐまぁ……?」
「ちょこちょこ動くとことか、眠くて船漕いでる時に半口開けてるとことか、何より垂れた目がすごく似てる!」
「…………」
「ほんと可愛いと思う!」
「……そうですか」
「えっ? あれ、どこ行くの!? ねえ!?」
「ついてこないでください」
「ええ!?」
こういう小さな喧嘩を繰り返し、彼と彼女は、二人の形を作っていきます。
※なお、アライグマは模様で目が垂れて見えるだけで、実態(?)はくるくるまんまるきゅーとなおメメでございます。
◆あとがき
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