後日談:それぞれの話
* * * * *
バターンッと大きな音を立てて、部屋の扉が開かれる。
「アレン! あんた、また仕事ほったらかしてんじゃないわよ!!」
よく響く声と共にディオナが入ってきた。
研究に没頭していたアレンは「あれ?」と顔を上げた。
勇者ハルトが魔族との交渉役になり、魔族の魔法に関する知識も得られるようになった。
魔族の魔法は人間の魔法とは違い、個々で魔法式の形や使い方が全く異なる。
人間の魔法は基礎となる魔法式はある程度同じだが、そこに組み込む言葉によって効果が変わる。
だが、魔族の魔法は種族的に使用できる魔法や個人で編み出した魔法が多く、系統として似ていることはあっても、魔法式がそれぞれに違っていてとても興味深い。
昨日ハルトから新たに魔族の魔法に関する本が送られてきたものだから、つい夢中になってしまった。
「もう朝〜?」
「朝どころかもう昼過ぎよ! ったく、また徹夜して食事も摂らなかったわね!?」
「あはは〜、夢中になると時間の流れを忘れちゃうんだよね〜」
色々な魔法の実験を自身でしたせいで、アレンはほぼ不老になっていた。
まったく歳を取っていないというわけではないだろうが、あまりに老化が遅すぎて、変化がないように見えるのだ。アレンも自分がいつになったら年寄りらしい姿になるのか分からないが。
持っていたペンをペン置きに挿せば、ディオナが眉根を寄せて近づいてくる。
「ごめんって〜、そんな怖い顔しないでよ〜」
「申し訳なく思うなら、規則正しい生活を一人で送れるようになりなさいよ!」
「それはそうだけど……ディオナっていっつも来るよね〜」
アレンが徹夜したり、時間を忘れて研究に没頭していると来るようになった。
これまでは副官が呼びに来ていたが、扉にかけた魔法のせいで入れないことも多かった。
「あんたのところの副官の一人が毎回『部屋から出てこないんですぅ』ってベソベソ泣きながらあたしにお願いしに来るのよ。扉の防御魔法、強すぎてほとんどの人間が入れないわ」
と、呆れた顔でディオナが言う。
アレンの施した防御魔法は、この研究室に他人が勝手に立ち入れないようにするためだ。
長年魔法を研究しているアレンの部屋は魔法士達からすれば宝の山だろう。
そして、他の者達からしても『特別な魔法』というのは価値が高い。
ここにあるのはアレンにとってはもう興味のないものばかりだが、これらを売れば一生暮らせる程度には稼ぐことができる。そういったものを目当てに侵入する者もいる。
「僕の副官なら、そのうち入れるようになるって〜」
「そんなこと言ってたら、あなた、部屋の中で乾涸びるわよ?」
「……そんなことないよ〜」
一瞬、ありえそうだと思ってしまい、目を逸らす。
「視線が泳いでるわよ。……不老のあなたが乾涸びて死んでたなんて、いやよ」
「……ごめん」
ほぼ不老のこの体は頑丈で、数日の徹夜や断食も気にならないのでつい忘れてしまう。
しかし、眠らないことや食事を摂らないことは結果的に研究速度も落ちてしまう。
何より、こうして仲間に心配をかけてしまうのは良くない。
「これからはもっと気をつけるよ〜」
「それも何回も聞いたわ」
「う……」
確かに、アレンはこの言葉をもう何度も言っている。
その度にディオナから『本当に?』と言いたげな顔を向けられる。
けれども、ディオナは小さく息を吐くと眉を下げて笑った。
「まあ、いいわ。あたしが生きてる間は面倒を見てあげる」
「そこまで長く、迷惑はかけないと思うけど……」
「今まで生きてきてこうだったのに、これから変われるの?」
ディオナの言葉がザクリと心に突き刺さる。
そこで『変われる』と即座に断言できないのは、アレンも自分のことが信用できないからだ。
「仲間だもの。あんたが人間らしい生活ができるまで、そばにいてあげるわよ」
ふふっ、とおかしそうにディオナが笑った。
普段は気の強そうな顔立ちをしているが、こうしてふとした時に笑った顔は優しくて、綺麗で、可愛くて──……人前ではまずしないその表情を見られるのは、仲間の特権だった。
……勿体ないな〜。
いつものキリリとした表情も似合っているが、こういう表情も似合っているのに。
この表情を見せればきっとモテるだろう。
それなのにディオナはいつだって相手を睨むような顔つきをして、婚約を申し込まれることも多いようだが、相手と手合わせをして叩きのめしてしまうらしい。
『あたしより弱い男なんてお呼びじゃないわ』
以前、なんとなく結婚しない理由を訊いた時にそう返された。
ちょっと不機嫌そうだったので、あまり深く訊かれたくないことだったのかもしれない。
しかし、ディオナより強い男なんてアレンには『リュカ』くらいしか思いつかなかった。
……でもリュカのことは別に何とも思ってなさそうなんだよね〜。
背中を預け合える戦友とは思っているようだが、恋愛対象には見ていない。
そのようなことを考えていると目の前に手が差し出された。
「ほら、ぼーっとしてないで昼食に行くわよ」
「うん? ディオナも一緒〜? まだ昼食摂ってないの〜?」
「あんたに食事させて、昼寝させて、最後に仕事部屋に叩き込むのがあたしの仕事よ」
そういえば、ディオナは旅の間も何かと皆の体調面を気遣っていた。
気が強く、大雑把だったり遠慮がなかったりするけれど、ディオナのおかげで皆が無理をせずに済んだことは何度もあった。不器用だけど優しい。それがディオナだった。
アレンを人間扱いしない者もいる中で、仲間達だけはいつだってアレンを人間扱いしてくれる。
特にディオナはそれが強く、アレンが不摂生をしているとすぐに怒られた。
…… あたしが生きてる間は面倒を見てあげる、か〜。
そこまで生活力がないわけではいつもりだが、嬉しかった。
差し出されている手を掴み、アレンも立ち上がる。
「せっかくなら、お茶かスープくらい一緒に飲んでよ〜」
それにディオナが、仕方ないな、という顔で微笑んだ。
「ええ、付き合ってあげるわよ」
ディオナとこうして過ごす時間は心地好い。
リュカやユウェールと過ごす時間とはまた別の、アレンにとっては愛しい時間だった。
「ちなみに今日はトマトスープよ」
「ええ〜……もしかしてセルリー入ってる?」
「入ってたわ」
「僕、セルリー苦手なんだけどな〜」
ディオナと一緒に研究室を後にする。
「アレンってば、本当に子供っぽいわよね」
おかしそうに笑うディオナに、アレンも笑う。
この穏やかな日々こそがアレンにとっての幸福だった。
* * * * *
砦の渡り廊下を歩いていれば、キンッ、キィンッと甲高い音が響いてくる。
……また騎士達と手合わせしてる。
誰が、なんて考えるまでもない。レイアは音のするほうに歩いていった。
中庭代わりの訓練場には騎士達の姿があり、近づいていくと、その中に黒髪を見つけた。
レイアが声をかけるよりも先に、そばにいた騎士が気付いて声をかける。
振り向いたハルトが軽い表情でこちらに手を振った。
「レイア!」
嬉しそうに名前を呼ばれ、レイアも笑顔になる。
近づいていけば、騎士達が道を開けてくれた。
「ハルト、お疲れ様です。そろそろ身支度をしないと、人魔会議に遅れますよ」
「えっ? ……うわっ、もうそんな時間!?」
丁度鐘が鳴り、ハルトが慌てて訓練場の長椅子に放置していた上着を取りに行く。
人魔会議とは名前の通り『人間と魔族が話し合う場』のことだ。
主にハルトとレイア、ノイエン、使節団、そして辺境伯の副官で魔王城に行き、今後の人間と魔族との関係や付き合っていく上での条件などを話し合うことを目的としている。
前回までは挨拶や互いの状況、これまでの争いの経緯などのすり合わせに時間をかけてきた。
今日からは『人間と魔族の和平』についての話になってくるだろう。
多分、話し合いは簡単には進まない。
人間も魔族も互いに嫌悪感や恐怖心などがある。
前回までですら人間側と魔族側とで戦争の歴史に齟齬があり、これからも話し合っていく中で、また食い違いや価値観の違いなどで問題も起こるかもしれない。
それでも、いつもハルトは明るい表情を崩さなかった。
険悪な雰囲気になれば仲裁に入り、時に人間側の話を魔族に説明したり、逆もあった。
異世界の者だからこそ、ハルトは人間と魔族、両方の言い分や気持ちを理解できるようだ。
視線を戻せば、慌てた様子でハルトが渡り廊下に行き、そして振り返った。
「軽く汗流したら行く!」
「分かりました! 先に行って待っていますね!」
「ああ! 声かけてくれてありがとな!」
と、言ってハルトは駆けていった。
そんな忙しないハルトの様子に騎士達がおかしそうに、そして微笑ましげに笑っていた。
最初は『魔族と和平なんて……』と疑念を持ち、距離を置かれたものの、ハルトの持ち前の明るさとまっすぐさ、何度も魔王城に行って無事に帰還していることもあって、最近は騎士達のハルトに対しての冷たさは和らいでいる。
レイアも騎士達に一礼し、渡り廊下に戻り、待ち合わせ場所になっている砦の正面玄関に向かう。
砦内に入り、廊下を歩きながら、ふとレイアは思い出した。
……セレスティア様、すごく綺麗で、幸せそうだった。
一月前の前勇者リュカとその婚約者であるセレスティアの結婚式に、レイアやハルト達は招待してもらい、王都の大聖堂での素晴らしい式に出席することができた。
ハルトは複雑な心境という雰囲気ではあったようだけど、幸せそうな二人を見て諦めはついたそうだ。
夕方の夜会では二人に「結婚おめでとう!」と笑顔で祝福の言葉をかけていた。
そう遠くないうちに気持ちも切り替えられるだろう。
王都からの帰りの荷馬車の中で、ハルトは「あの二人のためにも王国は平和じゃないとな」と言っていた。その横顔は決意に満ちていて、暴走することもあるが、基本的には仲間思いな人だ。
旅の最中は憂いを帯びた表情ばかりだったセレスティアも、結婚式では今まで見たことがないほど幸せそうな笑顔で前勇者を見つめていた。
二人は終始お互いを見ていて、本当に愛し合っているのだと思った。
「私も、いつか……」
……ハルトとあんなふうになれたらいいのに。
そこまで考えて、顔が熱くなった。
思わず立ち止まって頭を振っていれば、後ろから声をかけられた。
「聖女様、何をしていらっしゃるのですか?」
「ひゃいっ!?」
振り向けば、騎士ノイエンが不思議そうな顔で近づいてくる。
「あ、な、なんでもありません……!」
「……顔が赤いですが、体調が悪いのでは?」
「大丈夫です……! ちょっと暑いだけなので……!」
「そうですか」
ノイエンが納得した様子で言うので、レイアは何度も頷いた。
そうして、目的地は同じなので二人で歩き出す。
「そういえば、ハルト様の姿が見えませんが……」
「その、ハルトは汗を流してから来るそうです。さっきまで騎士の皆様と手合わせをしていたので」
「ハルト様らしいですね」
ノイエンが小さく笑う。
ハルトはああ見えて努力家だ。毎日、訓練は欠かさず行っている。
それもあってか最近は目に見えて強くなっているし、体つきも以前より少しがっちりしてきた。
元が細身だったので、筋肉がついてきたのだろう。
玄関前のホールに着いたが、まだ誰も来ていないようだった。
ノイエンと二人になり、レイアは今まで気になっていたことを訊いた。
「あの、バクスター様は……ハルトのこと、どう思っていますか?」
「どう、とは?」
「……嫌いとか、信用できない、とか……」
こういう話題はハルトがいなくて、周りに誰もいない時でなければできない。
レイアの問いにノイエンが困り顔をした。
「ハルト様のことは嫌っておりません。……が、夢見がちというのは否めません」
それについてはレイアも『違う』とは言えなかった。
誰も言わなかった、考えなかった『魔族との和平』の可能性を持ち、本当にここまで周囲を引っ張ってきたハルトの行動力は目を見張るものがある。
それはこの世界の人々からすれば『夢物語』であった。
でも、ハルトはその可能性を実現させるための第一歩となった。
人間と魔族の架け橋となり、今、こうして王国と魔族は不可侵条約を締結した。
「……ただ、ハルト様と共に魔王城に何度も足を運ぶ中で、色々と考えさせられたこともあります。彼らにも意思があり、感情があり、家族がいる。私はこれまで、その事実に目を背けていました」
それはきっと、ノイエンだけでなく王国の者達もそうだった。
魔族は悪だ。魔王は悪を率いる滅ぼすべき存在。勇者は魔王を討つべき。
そんな思い込みを、常識を、考えを、ハルトは打ち壊していく。
「それを目の当たりにしてしまって、私はどうすればいいのか分からなくなりました。……ハルト様にその気持ちを打ち明けたのですが『オレは何も言えない』と返されました。私自身が見て、考えて、納得した道でなければ受け入れられないだろうから、と」
ハルトも同じ気持ちだったのかもしれない。
この世界で勇者になり、人助けをして、それでも魔族を悪だと断じ切れなくて。
人間と魔族の和平もまた、ハルトが自分の意思で選んだ道だから。
「ハルトは意外と物事をよく考えている時がありますよね」
「はは、そうですね。まっすぐすぎて、たまに空回りしますが」
二人で苦笑してしまう。
「まだ心から信じることはできませんが、魔族への偏見は気を付けようと思いました」
きっと、こういう小さな始まりからハルトの蒔いた種は広がっていく。
その種が芽吹いて、広がって、みんなの心に花が咲いた時、ハルトの目指す未来がそこにある。
「私もそう思います」
この胸にはハルトが蒔いた種が芽吹いている。
ノイエンの中にも、騎士達や近隣の街・村の住民達にも、そして辺境伯にも。
……ハルトは本当に『勇者』なんだ。
普通の人では成し得ない、踏み出せない未来を、ハルトは掴んだのだ。
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これにて完結となります!
後日談も含めて最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(●︎´ω`●︎)




