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後日談:幸福な瞬間






 式の後も夕方は夜会があり、ローゼンハイト侯爵邸に帰宅したのは夜だった。


 さすがに主賓のわたし達が欠席するわけにはいかず、夫婦として初めての夜会で改めて挨拶をしたり祝福を受けたり、のんびりと過ごす暇はなかった。


 リュカ様は『これも勇者の仕事のうちか』と少し呆れた様子で呟いていた。


 でも、結婚したので夜会で三回続けてダンスを踊れるようになった。


 リュカ様と夜会に出席したのは初めてだった。


 初めて二人で参加した夜会で、夫婦として踊ることができたのは嬉しかった。


 勇者様達とも話ができて、どうやらウェンディス砦のある国境沿いの街や村を頻繁に巡って『魔族との和平』について人々に説いているらしい。


 最初は懐疑的だった人々も、魔族からの襲撃が止まったことで少しは話を聞く気になり始めたそうだ。




『まだまだ魔族と人間の間の問題は多いけど、歩き続ければいつかは目的地に着くからな』


『今は無理に話を進めず、街や村の方々と対話を重ねて少しずつ変えていけたと思っています』




 と、勇者様とレイア様は言っていた。


 二人は笑顔で、国境沿いでの活動は大変かもしれないが、充実した日々を過ごしているようだ。


 楽しそうに話す二人の様子にリュカ様もホッとしていた。


 それからディオナ様とアレン様、ユウェール様も夜会に出席していた。




『セレスティア、おめでとう……! とっても素敵な花嫁だったわ……!』




 と、泣きそうなディオナ様に、アレン様とユウェール様が困ったように笑っていた。




『ディオナって気が強いのに、情に厚いっていうか、涙脆いっていうか』


『何よ、仲間の幸せそうな姿に感激したっていいじゃない!』


『俺のことは一言も褒めてないがな』


『あんたはいいのよ。式中もずーっとセレスティアしか見てなかったくせに』


『確かに、リュカは私がしゅの教えを説いている間も奥方様ばかり見ておりましたね』


『あれは確実に見惚れてたよね〜』




 ディオナ様とアレン様、ユウェール様に指摘されて、リュカ様が珍しく押し黙った。


 それがおかしくてわたしは笑ってしまったが──……。




「若奥様、そろそろ出たほうがよろしいですよ」




 侍女に声をかけられ、ハッと我に返る。


 侯爵邸に戻り、やっと入浴をして一息吐いたところだった。




「そうね、これ以上はのぼせてしまうわね」




 湯船から出て、侍女の手を借りて身支度を整える。


 いつもよりレースの多い可愛らしい寝間着を着せられた。


 それから、寝室──わたしとリュカ様に用意された部屋だ──に向かう。


 ……これから、リュカ様と夜を過ごすのよね……。


 寝室はすぐそばだったので、心の準備が整わないうちに、あっという間に着いてしまった。


 侍女が扉を叩き、中からリュカ様の「どうぞ」という声がして、侍女は扉を開けた。


 わたしが中に入ると背後でパタンと扉が閉められる。


 薄暗い部屋の中、脇の棚にランタンが置かれており、ベッドの縁にリュカ様が座っている。


 わたしを見つけるとリュカ様が小さく手招きをする。




「セレスも、一緒に菓子を食べよう」




 予想外の言葉にわたしはキョトンとした。




「お菓子、ですか……?」


「ああ。こんな時間に食べるのは良くないだろうが、今日はお互いに頑張ったからな」




 もう一度手招きをされ、それに釣られてリュカ様に近づく。


 リュカ様の横に腰掛ければ、口元にクッキーが差し出された。


 思わずパクリとかじりつくとバターと小麦粉に、砂糖たっぷりのイチゴジャムの甘い味が口の中に広がった。疲れた体に甘いものが染みるようだった。




「美味しいです」




 リュカ様もクッキーを一枚、頬張りながら頷いた。




「……疲れているからというのもあるが、この時間に甘いものは後ろめたくなるな」


「太っても、明日のわたしがきっと何とかしてくださいますわ」


「はは、そうだな。俺も、明日の俺に任せてしまおう」




 おかしそうに笑ったリュカ様がまたクッキーを差し出すので食べた。


 今度はオレンジピールとナッツが入ったものだった。




「リュカ様はどのクッキーがお好きですか?」


「ん? ……しいて言うなら、ナッツ入りが好きだ」




 と、言って、リュカ様がまたクッキーを食べる。




「婚約したばかりの頃『訓練中にどうぞ』って、セレスが差し入れてくれた時から好きになった」




 そう言われて、そんなようなことがあったと思い出す。


 リュカ様の好みが分からなくて、甘いものが苦手だったらと思い、甘さ控えめでナッツ入りの香ばしいクッキーを家政婦長から教わりながら作ったのだ。




「……美味しかったですか?」


「ああ、美味しかったが……?」




 わたしの問いにリュカ様が小首を傾げた。




「実は、あれは家政婦長と一緒に初めて作ったものでした。だから、少し形が悪かったり、焼きすぎたりしてしまって……でも、リュカ様は全部食べてくださいましたね」




 失敗というほどではないけれど、ちょっと見た目は良くないクッキーだった。


 それをリュカ様が『ありがとう』と笑顔で受け取って食べてくれた。


 その気遣いが、当時のわたしにはとても嬉しかった。


 リュカ様は目を瞬かせ「ああ……」と頭を抱える。




「もっと、あの時ちゃんと味わって君に感想を伝えれば良かった……」




 あの頃はリュカ様もまだ十五歳で、幼い婚約者にどう接すればいいか分からなかったのだろう。


 それでも、わたしからすればリュカ様は十分良くしてくれたと思う。


 リュカ様の手に自分の手を重ねる。




「お気持ちは伝わっていました。……全て食べてくださって、嬉しかったです」




 微笑めば、リュカ様がホッとした表情をする。


 二年、婚約者として共に過ごしたけれど、リュカ様はいつも忙しくて、なかなか二人で過ごす時間はなかったけれど、だからこそ会える時は嬉しかったし、思い出も覚えていられた。


 わたしの手をリュカ様が握った。




「また作ってくれるか……?」




 期待のこもった眼差しで見つめられ、わたしは頷いた。




「はい、久しぶりなので失敗するかもしれませんが……それでもよろしければ」


「ああ、もちろん。君が作ってくれるものなら、たとえ毒入りでも喜んで食べる」


「まあ」




 あまりに真面目な顔で言うものだから、笑ってしまった。


 リュカ様も笑い、その手がわたしの頬に触れる。


 愛おしそうに見つめられ、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。


 近づいてくるリュカ様の顔に目を閉じた。


 優しく触れた唇が、二度、三度と重ねられる。




「……セレス……」




 低く、掠れたリュカ様の声に息苦しいほど胸が高鳴っている。




「……君を、俺の妻にする……いいか?」




 その問いにわたしは頷いた。


 それがどういう意味なのかくらい、鈍いわたしでも分かる。




「はい、リュカ様……」




 リュカ様の首に腕を回し、顔を寄せれば、愛おしい口付けが振ってくる。


 欲しかった温もりがここにある。愛おしい幸せを、わたしはやっと手に入れた。






* * * * *






 ふと、リュカは目を覚ました。


 厚手のカーテンがかけられていても、朝の遅い時間なのか室内は薄明るい。


 ……こんなに遅くまで寝るなんて、いつ以来か。


 普段は日が昇ってからすぐに目を覚まし、鍛錬を行っているが、今日くらいは構わないだろう。


 まだぼんやりとした思考でそんなことを考えていると、腕の中の存在がもぞりと動く。




「……ん……」




 腕の中を見れば、セレスティアが気持ち良さそうに眠っていた。


 一応、昨夜はリュカなりに気を遣ったし、無理をさせないようにしたが、貴族の令嬢であるセレスティアはあまり体力がないので疲れてしまったようだ。


 気絶するように眠ったセレスティアの体を軽く清拭し、風邪を引かないよう、寝間着も着せた。


 ノアの時はセレスティアの従者としてティータイムの用意をしたり、ちょっとした用事をこなしたりしており、それとは全くやることは違うものの、セレスティアの世話をするのは楽しかった。


 基本的にリュカは誰かの世話を焼くということがなかった。


 勇者として人助けはしていたが、だからといって世話焼きというわけではない。


 むしろ『自分のことには自分でやれ』という考えだった。


 だが、ノアとして従者をしていたことで、セレスティアの世話だけは素直に楽しいと思える。


 セレスティアの世話はいくらでもしたいし、ずっとそばにいたい。


 手を伸ばし、乱れた金髪を手櫛でそっと整えてやる。


 細く柔らかな金髪は絹のように滑らかで触り心地がとても良い。


 ……ずっと、こうしていたい……。


 やっとリュカはセレスティアと約束を果たし、夫婦になった。


 婚約をしてからここまで八年もかかってしまった。


 昨日、二十歳の誕生日を迎えたセレスティアだが、こうして眠っていると幼く見える。


 婚約当時、リュカは十五歳で、セレスティアは十二歳だった。


 成長期で背がグンと伸びたリュカにとって、十二歳のセレスティアは子供で、婚約者というには幼すぎた。たった三歳しか離れていないのに、その差の大きさに驚いたものだ。


 しかし、セレスティアはあの頃からしっかり者であった。


 リュカが騎士達と訓練をしていれば差し入れを持ってきてくれて、忙しい時は無理に会おうとはせず、でも、会う度に純粋な青い瞳がまっすぐにリュカだけを見つめた。


 政略であるはずの婚約なのに、セレスティアの健気な姿が、想いが、リュカを支えた。


 あの頃は恋愛感情ではなく、人としての好意しかなかった。


 リュカが十七歳になり、魔王討伐の旅に出ることになった時もそうだった。


 ……まあ、それもそうか。


 セレスティアは十四歳で、成人すらしておらず、婚約者とはいえ恋愛対象には見れなかった。


 それでも、ずっと慕って支えてくれるセレスティアは大切な存在だった。


 三年間の旅の間、一度も会うことはなかったが、手紙のやり取りは続いた。


 心配をかけまいとリュカは自分にあったことをできるだけ軽く書いて、嫌な思いやつらい経験についてはあえて記さなかった。伝えたところでセレスティアの心の重荷になるだけだ。


 セレスティアからの返事も、いつも穏やかで前向きな言葉であふれていた。


 ……気遣われていたんだろうな。


 セレスティアに『寂しい』『会いたい』と言われたら、リュカは困っただろう。


 もしかしたら会いに戻ってしまったかもしれない。


 けれども、セレスティアはそれを良しと思わなかった。


 手紙にはいつもリュカか仲間達を気遣う言葉、リュカが旅先であった話への明るい反応、たまにセレスティアは自分の日々について書いていたが、それらはいつも友人や家族とのことだった。


 リュカはそれを読んで『自分がいなくても婚約者は大丈夫だ』と安心していた。


 ……本当は寂しいはずなのに。


 出立の日も、セレスティアは最後まで笑顔だった。


 十四歳の少女が、婚約者と最後の別れになるかもしれないのに。


 きっと寂しさや悲しさ、つらさを押し込んで笑みを浮かべたのだ。




「……すまない、セレス……」




 勇者として多くの人々を助けた。いくつも命を救い、戦い、導いた。


 でも、一番大切な婚約者の気持ちまで察することはできなかった。


 ノアとなってセレスティアのもとに戻り、従者として仕えるようになって、ようやくリュカはセレスティアの本心を知った。


 セレスティアは隠していたが、周囲から『勇者は死んだ』と言われる度に夜、密かに泣いていたし、いつもどこか物悲しげで、寂しそうで、自分の時間を全て祈りに捧げていた。


 ……俺はセレスから本当の笑顔を奪ったんだ……。


 貴族の令嬢らしく淑やかに微笑むことはあっても、それは心からの笑みではない。


 憂いを帯びたセレスティアは美しく、それが男達の視線を引いたが、セレスティアは夜会に出てもいつだって壁の花だったらしい。一度も異性と踊ったことのない令嬢。


 もしかしたら、そういう揶揄もあって『祈りの乙女』と噂されたのかもしれない。




「……もう、君を悲しませないと誓う」




 そっと、顔を寄せて眠るセレスティアの額に口付ける。


 この腕の中の細く、か弱い存在がリュカにとっての全てだった。


 最初は勇者として魔王を討伐し、王国に平和をもたらしたいと思っていた。


 だが、いつからか魔王を討ってセレスティアに会いたいという気持ちに変わった。


 セレスティアとの手紙のやり取りだけが心の拠り所で、支えて、生き甲斐だった。




「……ん、りゅか……さま……?」




 寝起きのぼんやりとした声と共にまぶたが開き、青い瞳が見つめてくる。




「ああ……おはよう、セレス」




 ずっと望んでいた幸せな時間が、存在が、腕の中にある。


 数秒ぼうっとしていたセレスティアがふわりと微笑んだ。




「おはようございます、リュカさま……」




 幸せそうな、嬉しそうな笑みでセレスティアがリュカに口付けてくる。


 キョトンとしたリュカに、セレスティアがすり寄ってきた。




「……あったかい……」




 そうして、そのままセレスティアは寝息を立て始めた。


 可愛らしくて、綺麗で、愛おしい、大切な妻がここにいる。


 ……確かに温かいな……。


 それはリュカ一人では感じられない、優しい温もりだった。






* * * * *

本日は後日談の2回更新となります!

夕方の更新にて本作は完結です( ˊᵕˋ* )

是非最後までお楽しみくださいませ。

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― 新着の感想 ―
夜会も大成功で良かったですね~ 初めての日にクッキー食べて大丈夫だったのかなと、余計なことを考えてしまいました。 クッキーの思い出は二人の宝物なんですね。 式の間リュカがずっとセレスティアに見とれてい…
しばらく感想を書けず、失礼しました。 毎日、拝読しておりました。 完結、おめでとうございます! 「この世界に、もう少し浸っていたい」と、 毎回思わせてくれる作品を、生み出して下さる事に、感謝です。 …
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