約束
ついに結婚式の当日。朝からわたしは大忙しだった。
軽い朝食を摂った後に入浴し、いつにも増して全身を磨かれた。
時間をかけて入浴した後は休憩が挟まれたものの、手足の爪を整えたり。髪もこれでもかと梳られたりして、きっと今日は人生で一番、肌や髪の艶が良いだろう。
結婚式は午後とはいえ、準備の間に昼食を摂る暇はない。
軽く食べれそうなものは用意されているが、侍女やメイド達が忙しなく動き回っている。
「ドレスを運び入れて! そこっ、裾は引きずらないように!」
「はいっ」
「ブーケはギリギリまで綺麗に保たせて!」
「小物類の確認終わりました!」
「良かった、すぐここに持ってきてちょうだい!」
入浴や髪や爪の手入れだけで午前中があっという間に過ぎて、ドレスを着る。
純白のドレスは胸元からスカートまでが一体になっており、首から手首は刺繍入りのレースで覆われている。
背中側を小さな釦で留める。釦を隠すように、背中には二列に並んだ真珠が腰まで続いていた。
上半身の刺繍入りのレースはドレスのスカート部分にまで及んでおり、元は控えめだった白い絹の上を光沢のある糸で作られたレースのスカートが覆い、ふんわりと軽やかな印象を与える。
スカートの下には何枚もペチコートを重ねて少し動きにくいけれど、それは仕方がない。
化粧を施してもらい、編んでまとめられた髪の上からベールがかけられる。
結婚式当日、新婦は異性と直接顔を合わせてはいけない。
そのため、式場まではベールを被っている決まりだ。
ドレスに合わせた刺繍いりの純白の靴を履き、柔らかな赤系統でまとめられたブーケを持つ。
ブーケの色に決まりはないが、持つなら、リュカ様の髪と同じ赤系のものが良かった。
出発の時間直前で身支度が整う。
間に合ったことにわたしより、侍女達のほうがホッとしている様子だった。
「お嬢様、お迎えが到着いたしました」
呼びにきたメイドの声に振り返る。
「お通ししてください」
そう声をかければ、すぐに扉からリュカ様が現れた。
リュカ様はシャツ以外真っ黒だった。
しかし、上着の襟だけでなく、中のベストやタイに繊細な刺繍が施されており、黒一色なのにとても優雅である。左の胸元に青い宝石を使った金細工のブローチがつけられている。
赤髪は後ろに撫でつけられており、左目の傷痕がよく見えてしまっているが、むしろその傷があることでリュカ様の美しさに男性的な格好良さも感じさせた。
お互いに束の間、見惚れてしまった。
ベール越しでもリュカ様のぼうっとした表情が分かった。
「セレス……」
リュカ様が近づいて、跪くとわたしの手を取り、口付ける。
見上げてくるリュカ様の灰色の瞳がわたしだけを見つめている。
「……これほど美しい人は見たことがない……」
それにわたしもリュカ様の手を握り返す。
「わたしも、こんなに素敵な方はリュカ様以外にいないと思います」
「本当に今日、君と結婚するんだな……」
どこかぼんやりとしているリュカ様の頬に手を伸ばし、優しく触れる。
「約束、守っていただけますか?」
立ち上がったリュカ様が優しく、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「ああ、この日のために俺は戦ってきた。……ずっと、君だけを望んでいた」
その言葉に喜びと幸福感で体が満たされる。
目の前にリュカ様の手が差し出される。
「あの日の約束を果たそう、セレス」
その手をわたしも取った。
「はい、リュカ様」
ついに今日、わたし達は結婚する。
* * * * *
馬車に乗って大聖堂に着き、降りるとワッと人々の歓声に包まれた。
「勇者様と婚約者様だ!」
「おめでとうございます!」
「お幸せに!!」
周囲を聖騎士達が囲んで止めているが、人々が祝福の言葉をかけてくれる。
リュカ様と顔を見合わせ、二人で笑った。
「皆、ありがとう!」
「ありがとうございます!」
わたし達が返事をすれば、歓声はより大きくなった。
歓声に押されるように大聖堂に入れば、廊下にいても祈りの間の騒めきが聞こえてくる。
案内の司祭様と共にユウェール様が出迎えてくれた。
「リュカ、指輪を」
「ああ」
リュカ様が胸元から箱を取り出し、ユウェール様に渡す。
「確かに受け取りました」
ユウェール様がすぐに祈りの間に向かった。
わたし達も少しの間を置いて、案内役の司祭様の後について祈りの間の扉の前に立つ。
ドキドキと心臓が高鳴って、思わず繋がっているリュカ様の手を握ってしまった。
それに気付いたリュカ様がわたしを見る。
「緊張しているか?」
「はい、少し……」
リュカ様がフッと微笑む。
「今日は俺達の幸せな姿を見せつける日だ。どうせなら、一緒に楽しもう」
意外な言葉に思わず目を丸くしてリュカ様を見上げてしまった。
……幸せな姿を見せつける日……。
「俺を死んだと言った者達が気まずくなるくらい、幸せになろう」
それがおかしくて、おかげで緊張が解けて肩の力が抜けた。
「リュカ様の件、許したわけではありませんものね」
「そうだ、俺は一生許さないつもりだ」
「まあ」
もう一度顔を見合わせて小さく笑う。
こほん、と司祭様が小さく咳払いをして「よろしいですか?」と問いかけてきた。
それに二人で頷き返す。
扉の左右にいた聖騎士達が両開きの扉を開けて、わたし達の入場を高らかに告げる。
その瞬間、祈りの間にいる人々が静まり返り、全員がわたし達に集中しているのを感じた。
……大丈夫。リュカ様がそばにいてくださるもの。
繋がった手を互いに握り直し、祭壇までの長い絨毯の上を歩く。
歩いている最中、見覚えのある顔をいくつも見つけた。
王国の貴族達に、ローゼンハイト侯爵家とヴァレンティナ伯爵家に関わりのある家の人々。
招待客の大半はそれらの人々だったが、前方に差し掛かると見慣れた顔が増える。
ディオナ様、アレン様、勇者様、レイア様、騎士様もいて、そこから両家の家族がいて、王族の方々も座っている。顔触れも場所も豪華で、まるで王族の結婚式のようだった。
ゆっくりと絨毯を進み、階段を上がり、祭壇の前に立つ。
祭壇にはユウェール様が立っていた。
「本日、この良き日に勇者リュカ・フォン・ヴァレンティナと婚約者セレスティア・フォン・ローゼンハイトの二人が夫婦となります。新郎は勇者としてこの国の平和のために長年貢献し、新婦は新郎を支え──……」
ユウェール様が挨拶と共にわたし達についての紹介を行う。
それを聞きながら、リュカ様と婚約してから今までの記憶が頭を駆け巡っていった。
十二歳の時に婚約してからずっと、わたしはリュカ様だけを見てきた。
最初は政略結婚としての婚約だったけれど、誠実さや優しさなどリュカ様と会う度に、話す度に、リュカ様に惹かれていった。十二歳と十五歳とはいえ子供と大人のような見た目だったのに、リュカ様は常に婚約者としてわたしに接してくれた。
わたしが十四歳になり、リュカ様が魔王討伐の旅に出た時も寂しかった。
手紙のやり取りだけが三年続いた。
離れているのは寂しかったけれど、頻繁に届く手紙が嬉しかった。
大変な旅の中でもわたしのことを忘れずにいてくれているのが伝わったから。
だから、わたしも手紙では決して『寂しい』とか『会いたい』とは書かず、前向きな言葉を書くようにした。
でも、三年後、それを後悔した。
リュカ様が魔王との戦いの末に行方不明となった。
だけど、祈りは確実に天に届いた。
リュカ様は死んでいない。どこかで、まだ生きている。
それだけを心の拠り所にして、わたしは祈り、リュカ様が生きていることを信じ続けた。
婚約破棄の話が出たり、勇者様一行に加わったり、この一年は色々なことがあった。
だけど、全てはこの瞬間のためだったと今ならば思える。
「──……皆様、どうかこの素晴らしい新郎新婦の未来を温かく見守りください」
紹介が済むと、国王陛下が立ち上がり、祭壇の向こうに移動する。
そこから、今度は国王陛下から祝辞を賜り、立会人となることが告げられる。
基本的に国王が立会人となるのは王族に限られるので、これには人々も驚いたようだ。
騒めきを気にした様子もなく国王が頷き、ユウェール様も頷き返した。
ユウェール様が教会の教えを語り始める。
長い話だけれど、要約すると『夫婦とは支え、尊重し合うことが大事』というものである。
教典の引用を行って語られるので、その話だけでも三十分近くかかっていたと思う。
「それでは、最後に誓いの言葉を」
ユウェール様の言葉に、わたし達は顔を見合わせた。
リュカ様が優しく微笑む。
「新郎リュカ・フォン・ヴァレンティナよ、汝はこの者を妻としますか?」
ユウェール様の問いにリュカ様が頷いた。
「はい。私リュカ・フォン・ヴァレンティナは、病める時も健やかな時も、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、命ある限り真心をもって支え合うことを誓います」
ジッと見つめられ、わたしも自然と笑みが浮かぶ。
ユウェール様の声が続く。
「新婦セレスティア・フォン・ローゼンハイトよ、汝はこの者を夫としますか?」
わたしもそれに頷いた。
「はい。わたしセレスティア・フォン・ローゼンハイトは、病める時も健やかな時も、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、命ある限り真心をもって支え合うことを誓います」
リュカ様が嬉しそうに目を細める。
ユウェール様が控えていた司祭様から平らな箱を受け取り、わたし達に差し出した。
そこには同じ意匠の大小の指輪が一つずつ、並んで置かれている。
リュカ様が小さいほうを手に取り、わたしを見た。
左手を差し出せば、そっと手が包まれ、指輪が薬指にスッと通された。
シュル……と指輪が吸い付くようにわたしの指にぴったりとくっつく。
「アレンに魔法をかけてもらった。着用者に合わせて大きさが変わるらしい」
わたしの指には銀色に赤い宝石の輝く指輪がはまっている。
今度はわたしが大きいほうの指輪を手に取った。
リュカ様が差し出してくれた左手に触れ、その薬指に慎重に通す。
こちらもシュルリとリュカ様の指の大きさに合う。
リュカ様の指輪は金色に青い宝石だった。
……あ、もしかしてお互いの髪と目の色……?
顔を上げれば、リュカ様が嬉しそうに微笑んで小さく頷いた。
リュカ様がわたしのベールに触れ、ゆっくりとそれを持ち上げる。
目が合うと、小声で囁かれた。
「ああ、やっぱり……とても綺麗だ……」
リュカ様の手が頬に触れ、顔が近づいてくる。
目を閉じれば唇に柔らかな感触がした。
ほんの一瞬の口付けなのに、永遠に続いてほしいと思う。
離れた唇に目を開ける。
「ここに新郎新婦の誓いは成りました。未来ある二人の新たな一歩に、皆様どうか祝福を」
ユウェール様の言葉に、祈りの間全体に招待客の拍手が響き渡った。
リュカ様の手がわたしの手を握る。
「長い間、待たせてすまなかった」
指同士を絡ませ、しっかりと互いに手を繋ぐ。
「君をずっと愛している」
「リュカ様、わたしもあなたを愛しております」
フッとリュカ様が微笑んだ。
「誕生日おめでとう、セレス」
そう言われて、今日がわたしの二十歳の誕生日であることを思い出した。
あまりに最近忙しかったので、すっかり忘れていた。
……ようやく、結婚できた……。
リュカ様と婚約してから八年。
やっと、わたし達はあの日の約束を果たすことができたのだ。
拍手の中、ゆっくりと絨毯の上を歩き、出口に向かう。
途中、勇者様とレイア様が笑顔で手を振ってくれたり、ディオナ様が泣きそうになっていてアレン様が慌てていたり、お父様とお母様、ヴァレンティナ伯爵夫妻と恐らく領地から来たのだろうリュカ様のお兄様が温かく見守ってくれて、幸せな気持ちでいっぱいだった。
廊下には聖騎士達が並んでおり、外に出れば、入る時よりも大きな歓声に迎えられた。
「勇者様、婚約者様、ご結婚おめでとうございます!!」
「お幸せに!! おめでとうございます!!」
「勇者様、生きていてくれてありがとうー!!」
と、様々な声の中で、聞き取れたのはそれくらいだった。
リュカ様はキョトンと目を瞬かせ、そしていきなりわたしを横向きに抱き上げた。
「きゃっ!?」
慌ててリュカ様の肩に触れれば、リュカ様が幸せそうに笑った。
「俺が生きていると信じてくれたこと、こうして祝福してくれること、本当にありがとう! 今日のことは一生忘れない!! 妻を愛し、守り、幸せになると誓う!!」
それに人々が更に歓声を上げ、小さな花々が投げられる。
リュカ様が小さく詠唱を呟くと沢山の花がふわふわと風に舞い、美しく降り注ぐ。
「……綺麗……」
「ああ、本当に」
リュカ様が花の舞う空を見上げて頷いた。
でも、わたしが美しいと思ったのは花のことではなかった。
王都の人々が、砦までの道のりで出会った人々が、リュカ様が生きていることを信じて、願ってくれたことが。勇者として戻ったリュカ様をこんなに大勢が祝福してくれるこの光景が、美しい。
リュカ様の首に手を回し、振り向いたリュカ様に口付ける。
「……おかえりなさい、リュカ様」
それにリュカ様が目を細めて笑った。
「ただいま、セレス」
わたしも、両親も、ヴァレンティナ伯爵達も、そして街の人々も。
大勢が、あなたが還るこの日を、ずっと待っていた。
──あなたが還る日を、ずっと待っていた。(完)──
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
残り2話は後日談となります。




