準備
王都への帰還から一月後、勇者様はウェンディス砦へ出立した。
魔王と交渉できるのも、転移魔法で魔王城まで行けるのもリュカ様を除けば彼だけだ。
リュカ様と勇者様は『魔族との戦争に終止符を打った功績』として報奨金と騎士爵位を与えられた。
わたしと結婚すれば次期ローゼンハイト侯爵となるため、リュカ様からすれば騎士爵位については名誉職のようなものだが、それでも二人の『勇者』という称号は残るようだ。
それについてリュカ様は微妙な顔をしていたけれど。
『国内で問題が起こった際に「勇者だから」と押しつけられても困るんだが……』
と、言っていたが、きっと助けを求められたら行くのだろう。
勇者様も声をかけられたら駆けつけ、また二人で立ち向かう姿が容易に想像できた。
そして、意外だったのがレイア様だ。
彼女も勇者様についていき、ウェンディス砦に向かった。
……レイア様は強い方だわ。
出発前に一度、ディオナ様とレイア様とお茶会をしたのだけれど、その時に『ハルトに振り向いてもらえるまで諦めません』と笑顔で話していた。
物静かで穏やかそうな方だと思っていたが、実際は芯の強い人だった。
『それにハルトって綺麗な人に弱いから、他の人に心が向かないよう見張ってないと』
とも言っていて、ディオナ様はそれを聞いてお腹を抱えるほど笑っていた。
ちなみにディオナ様は王城で働いている。
元々、前回の旅から戻った際に騎士爵位を得ており、リュカ様を探すために旅に出ていただけで、リュカ様が見つかり魔王討伐もなくなった今は近衛騎士に戻った。
宮廷魔法士団に顔を出しては、魔法研究に没頭してしまうアレン様の様子を見てるらしい。
たまにアレン様の魔法の実験に付き合ったり、一緒に出かけたりもしているそうだ。
リュカ様はディオナ様の気持ちに気付いていたようで、アレン様との関係については静観すると決めているのだとか。周りが下手につつき回すと拗れるから、だそうで、確かにその通りである。
ディオナ様は今の関係でも満足しているようなので、わたし達が口を挟むことではない。
それから、騎士ノイエン・バクスターも勇者様についていった。
その話をレイア様から聞いた時は心配したものの、勇者様が騎士様を説得して、騎士様の意思で同行すると決めたようだ。
『魔族を信用できないなら、オレの仲間として見張っていればいい! もし魔族が人間を襲ったら、その時はオレも戦うから……この国の人達がもう魔族と戦って傷つかないよう、一緒に平和な世界を目指そう!』
と、騎士様に言ったのだとか。勇者様らしいと思う。
勇者様とレイア様、騎士様は使節団と共に行ったが、しばらくは砦で過ごすことになるだろう。
出立の日に見送りに行ったら、勇者様とレイア様が別々にこっそり話しかけてきた。
『セレスティア、リュカとの結婚式、呼んでくれよ? オレだけ仲間外れはナシな』
『セレスティア様、結婚式にはハルトも招待していただけませんか? ……一人だけ招待されなかったって知ったら、きっとハルトは悲しむと思うので』
それぞれが違う時に声をかけてきたのに、内容が同じだったので笑ってしまった。
レイア様は勇者様のことをよく分かっているらしい。
わたしは『勇者様がお嫌でなければそうします』と二人に返したけれど、そばで聞いていたリュカ様は後で『ハルトはいずれ聖女の尻に敷かれそうだな』と呟いていた。
それについてはわたしも否定できなかったので黙っておいた。
そうしてわたし達はというと、結婚式の準備で忙しい日々を過ごしている。
勇者の結婚式なのでひっそりと行うことはできず、教会の協力のもと大々的なものとなる予定だ。
「セレス? どうかしたのか?」
車窓の外の景色をぼんやり眺めていたからか、リュカ様に声をかけられた。
我に返り、横を見ればリュカ様が首を傾げた。
「いえ、何でもありません。最近、忙しいなと思っていただけです」
「すまない、俺のせいで……」
「リュカ様のせいではありません」
招待客は決めたけれど、まさか自由席まで用意することになるとは思わなかったが、教会に声をかけた時にユウェール様から『一般の方々も見られるようにしたほうがいいですよ』と助言を受け、そうなった。
そのため、結婚式は教会本部の大聖堂を借りることになり、王族も貴族も出席する。
今日は結婚式の細かな相談をするために、教会に向かっている。
「しかし、まさかユウェールと国王陛下が立会人になるとは……」
わたしとしては聖人でありリュカ様の友人でもあるユウェール様が立会人になるのは自然な流れのように感じたけれど、リュカ様からすると複雑な心境なのだとか。
勇者の結婚なので国王陛下も立会人となってくださる。
……聖人様と国王陛下が立ち会う結婚式なんてそうでないでしょう……。
「まあ、おかげで異議を申し立てるような者は出ないだろうな」
リュカ様の言葉に笑ってしまう。
「聖人様と国王陛下のお許しがありますものね」
「それについては感謝しておこう」
二人で顔を見合わせ、小さく笑い合う。
向かいの座席に座る侍女は目を伏せ、静かに控えていた。
馬車が教会本部の大聖堂に到着し、降りていると声をかけられた。
「ようこそ。リュカ、ローゼンハイト侯爵令嬢」
ユウェール様が自ら出迎えにきてくださったようだ。
「打ち合わせといっても、大半はこちらで準備を行ってしまいますがよろしいですか?」
「ああ、さすがにこの規模となると俺達だけでは手が回らない」
「お手間をおかけしてしまいますが、よろしくお願いいたします」
ユウェール様がニコリと微笑んだ。
「友人の結婚式を手伝えるのは嬉しい限りです。立ち会いも今から楽しみにしております」
「さあ、中へどうぞ」と促されて大聖堂の中へと入る。
……あら? 人がいない……?
辺りを見回しているとユウェール様が笑みを深めた。
「二時間ほど、人払いをしております。そのほうが話しやすいでしょう?」
「よくそんなことができたな」
「ふふ、これも聖人の特権ですよ」
大聖堂は基本的にいつでも公開されており、観光客や信徒がよく来るのだが、それを止めることができるとは知らなかった。
大聖堂の広い祈りの間に、わたしとリュカ様とユウェール様がいる。
ユウェール様は大聖堂のあちこちを示しながら、何を置くか、どんな花を飾るか、人々がどれくらい出席するか、式の進行についてなどを細かく説明してくれた。
新郎新婦のわたし達がすることは少ないけれど、長時間立ち続けることになりそうだ。
「──……最後に、お二人には結婚の誓いを立てていただき、指輪を交換します。指輪は当日、私がリュカより預かりますので、ご安心ください」
結婚式はお母様が嫁入りの時に使った婚礼衣装を手直しして、それを着る予定だ。
形は流行に関係なく昔からあるもので、そこにレースや刺繍、真珠などを足して、とても華やかなドレスになる。わたしよりもお母様のほうが張り切っていた。
リュカ様も婚礼衣装を仕立ててもらっているそうなので楽しみである。
……ここを、リュカ様と共に歩くのね……。
人気のない祈りの間は静謐で、美しく、神秘的で。
式を想像するだけで胸がいっぱいになる。
これほど広い祈りの間が、当日は満員になるだろうというのだから不思議な話だ。
「そういえば、式の後のパレードは断ったそうですね?」
ユウェール様の問いにリュカ様が頭を掻く。
「王族でもないのにそこまでする必要はないだろう? 式の後には王城の夜会にも出席しないといけないんだ。……パレードなんてしたら体力が持たない」
「なるほど」
何故かリュカ様とわたしを見て、ユウェール様が訳知り顔で頷く。
……確かに、そんなに予定を詰められたら夜会に出席できなくなりそうね。
「結婚式を祝ってくださる夜会の途中で、眠くなっては大変ですものね」
と、言えば、リュカ様とユウェール様が微笑んだ。
「……ええ、そうですね」
「……そうだな」
微妙な間があったのは気のせいだろうか。
* * * * *
王都に帰還してから二月が経ち、リュカは忙しい日々を送っていた。
次期侯爵になるための勉強、勇者として国政にも参加し、結婚式の準備も行う。
式についてはユウェールが教会を動かしてかなり負担してくれているので助かっているが、それでも本人達がやらなければいけないことも多く、セレスティアと過ごす時間も減った。
ウェンディス砦にいるハルトとはアレンを通じて連絡を取っていたが、最近はハルトの魔法の腕が上がってきて、転移魔法での手紙のやり取りも可能となった。
それもあって、なおさらリュカは『魔族との不可侵条約や今後について』という問題に参加せざるを得なくなっている。毎日、会議に呼び出されては延々と実りのない話に付き合わされてうんざりしていた。
「……セレスティア……」
ここ三日ほど、セレスティアに会えていない。
ノアだった時の影響か、それともこれまでの気持ちがあふれているのか、毎日セレスティアの顔を見ないと落ち着かなくなってしまっている。
もう日が暮れてからかなり時間が経った。
就寝時間にはまだ早いが、セレスティアはきっと読書をしているだろう。
……以前は寝る直前まで祈りを続けていたが。
魔王と不可侵条約を結んでから、セレスティアは少しずつ自分の時間を持つようになった。
読書をしたり刺繍をしたり、貴族の令嬢としてはごく普通のことだが、今までのセレスティアはそれすらしてこなかった。本当にセレスティアはずっとリュカを想って祈り続けてくれた。
その姿をノアとして見続けてきた。
だからこそ、セレスティアが自分の時間を持てていることが嬉しくもあった。
……会いたい……。
せめて顔を見るだけでもと思うのだが、もうこの時間に訪問するのはあまりに非常識だ。
そう分かっているのについ体が動いてしまう。
転移魔法で侯爵家の敷地の外に出て、もう一度飛んでセレスティアの部屋のバルコニーに着く。
厚いカーテンの隙間から、微かに光が漏れていた。
それに釣られて窓に触れた瞬間、ギシ……と思いの外大きく窓が軋んだ。
夜の静けさの中で、その音は酷くよく響いた。
ハッとしたが、身を引くよりも先にカーテンが揺れ、僅かに開けられる。
カーテンの隙間から顔を覗かせたセレスティアと目が合った。
暗闇の中でもセレスティアの美しい金髪と青い瞳は見え、目が合うと、驚いた顔をされた。
しまった、と思うのと、セレスティアが顔を引っ込めたのは同時だった。
……嫌われたか……?
こんな時間に突然バルコニーにいたら、嫌われても当然だが。
しかし、すぐにまたカーテンが揺れると大判のショールを羽織ったセレスティアがカチャリと鍵を開けて、そっと窓を開けた。
「リュカ様、その、こんな格好で申し訳ありません……」
と、気恥ずかしそうにセレスティアが言う。
バルコニーに出てきたセレスティアが静かに窓を閉めた。
寝間着だろう、裾の長いゆったりとしたワンピース姿はノアの時にも何度も見ているというのに、こうしてリュカとしてその格好を見るとドキリとした。
「あ……いや、俺のほうこそ、こんな時間にすまない。……セレスティアの顔が見たくて、つい」
「わたしもリュカ様の顔が見たかったので嬉しいです」
伸ばされたセレスティアの手がリュカの頬に触れたので、それにすり寄った。
セレスティアに触れられると嬉しくて、安心できて、とても心地好い。
ノアの時もセレスティアに頭を撫でられると同じ気持ちだった。
「セレス、抱き締めてもいいか?」
と、訊けば、嬉しそうにセレスティアが微笑んで両手を広げた。
「お好きなだけどうぞ」
そっと抱き寄せれば、ドレスの時よりも柔らかくて温かな感触がした。
寝間着の薄い生地越しに感じるセレスティアの存在に心臓が早鐘を打つ。
セレスティアの手が背中に回され、隙間を埋めるように身を寄せてくる。
「セレス……」
頬に触れれば、青い瞳が月明かりを反射させて見上げてくる。
それに吸い寄せられるように顔を寄せれば、目が閉じられた。
触れるだけの、優しい口付けを交わす。
……やっと、できた……。
これまで旅の間も、王都に帰還してからも、常に人の目があって思うように触れられなかった。
一度触れれば、再現なく求めてしまいそうだった。
だが、こうして触れて感じたのは多幸感だった。
心が震えるほどの喜びと幸福感、そして大切にしたいと思う気持ち。
「……リュカ様……」
囁くように名前を呼ばれる。
「すまない、口付けは式まで控えておかなければと分かってはいたが……君との初めての口付けを、他の者達に見せたくなかった」
正直に言えば、セレスティアがニコリと笑う。
「謝らないでください。わたしも、リュカ様と二人きりの時が良かったので……嬉しいです」
心から幸せそうに笑うセレスティアが愛おしい。
目を閉じたセレスティアが「ん」と顔をこちらに向けてくる。
その可愛らしい催促にリュカは誘われるまま、もう一度口付けた。
「……わたし達だけの秘密ですね」
美しい満月のもと、二人だけの密かな口付け。
「ああ……」
抱き締めたセレスティアの細さと温かさにリュカは目を閉じる。
……これは夢ではなく、現実だ。
あまりに幸せすぎて、これが本当は夢なのではと時々思うことがある。
本当はまだノアの体に封じられていて、リュカだけが見ている都合の良い夢なのではないか。
けれども、しっかりと背中に回された腕がリュカを抱き締め返す。
「結婚式が楽しみですね、リュカ様……」
……夢であってたまるものか。
「ああ、楽しみだ」
今度こそ、セレスティアとの約束を果たす。
* * * * *




