未来への一歩
国王陛下への謁見が終わり、一度解散して、わたしとリュカ様は応接室に残った。
騎士に伝言を頼んで、ヴァレンティナ伯爵とお父様、そしてヴァレンティナ伯爵夫人とお母様を呼んでもらった。伯爵夫人とお母様はそれぞれの屋敷にいるので来るのに時間がかかるかもしれない。
リュカ様はどこかぼんやりと紅茶を飲んでいる。
「……これで、勇者としての役目は終わったんだな」
ぽつりとそう呟くリュカ様の気持ちは分からなかった。
「寂しいですか?」
「いや……どうだろう、よく分からない。魔王を討って帰還するか、俺が死ぬか……そのどちらかしか道はないと思っていたから。ハルトは三つ目の新たな道を切り拓いた」
持っているティーカップに視線を落とし、リュカ様が続ける。
「……そういう意味では、真の勇者はハルトなのかもしれない」
その手に触れれば、いつもは温かいのに、今は冷えている。
「リュカ様も勇者です。たとえ勇者様が新たな道を切り拓いた方だったとしても、あの戦いでリュカ様がいなければ、魔王は話を聞くこともなかったでしょう」
たとえ勇者様が『戦争はやめよう』と言っても魔王は聞く耳を持たなかっただろう。
リュカ様と勇者様、二人と戦い、戦況的に不利であったからこそ話を聞くという選択肢が生まれたのだと思う。勇者様が魔王の子の魂を持つ者だと気付かないほど、魔王は怒りを抱えていたのだから。
「勇者様も、リュカ様も、どちらも勇者です」
リュカ様がティーカップを置き、わたしの手を握る。
その手を両手で包み、体温を分け与えた。
二人で手を繋いでいると部屋の扉が叩かれた。
わたしが離そうとした手をリュカ様は引き留め、そのまま「どうぞ」と声をかける。
扉が開き、ヴァレンティナ伯爵とお父様が入ってきた。
「セレス!」
お父様が駆け寄ってきたので思わず立ち上がった。
リュカ様も釣られて立ち上がったが、わたしはそのままお父様に抱き締められた。
「ああ、良かった……」
心底安堵したお父様の声にわたしも片手で抱き締め返す。
「お父様、わがままな娘でごめんなさい」
「いや、間違っていたのは私だった……お前を追い詰めてしまい、すまなかった……」
いつもはちょっと厳しいお父様が、涙ぐんだ声で言う。
それにわたしも涙がにじみそうになった。
わたしが勇者様一行と旅に出ると言い出した時、お父様は本気で止めようと思えばできたのに、わたしの好きにさせてくれた。わがままを許してくれた。
ヴァレンティナ伯爵もゆっくりと近づいてくる。
「……リュカ……」
何と声をかければいいのか迷った様子の伯爵に、リュカ様が目を伏せた。
多分、どちらもどうすればいいのか躊躇っているのだろう。
二人の間に数秒の沈黙が落ち、そして、伯爵が口を開いた。
「……すまなかった、リュカ」
囁くような声だった。
「お前が生きていてくれて、良かった」
「……そうか」
視線を上げたリュカ様が伯爵に近づき、その肩に拳を軽く当てた。
「だが、セレスとの婚約を破棄しようとしたことは許せない。……あの状況を考えれば父上達の思いも分かるが、それでも、最後まで信じてほしかった」
「すまない……」
「許せないけど、理解はする」
二人が微笑み、空気が少しだけ穏やかになる。
それから、また扉が叩かれた。少し勢いのあるそれにリュカ様がまた「どうぞ」と言った。
バタンッと開いた扉からお母様と伯爵夫人が飛び込むように入ってくる。
「セレス!」
「リュカ!」
わたし達の姿を見ると、お母様達が駆け寄ってくる。
お母様にも抱き締められた。
「セレス……ああ、無事なのね? もっとよく顔を見せてちょうだい……」
と、涙まじりに言われてわたしは微笑んだ。
「お母様、わたしもリュカ様もこの通り無事です」
「良かった……本当に良かったわ……」
涙を流すお母様にギュッと抱き締められると、嗅ぎ慣れた香水の匂いがした。
いつもお母様が好んで使っている優しくて甘い花の香りに、帰ってきたことを実感した。
リュカ様のほうも、伯爵夫人が手を取って泣きながら謝っていた。
伯爵夫妻だって息子が死んだなんて信じたくなかっただろう。
それでも周囲の言葉に、態度に──……そして勇者様の件もあって、ああするしかなかったのかもしれない。
泣く伯爵夫人にリュカ様が少し困ったように微笑んでいた。
でも、その表情は穏やかで、二人を恨んでいるふうには見えなかった。
「父上、母上……ローゼンハイト侯爵ご夫妻」
リュカ様が顔を上げて、わたしを見た。
「セレスティアとの結婚をお許しください」
それに、わたしは息が詰まった。
「一度は違えかけた約束ですが──……これからはセレスのそばにいると誓います」
伯爵夫妻とお父様、お母様が顔を見合わせる。
四人が微笑み、頷いた。
「ああ、もちろん」
「ええ、私達は反対しないわ」
「リュカ殿、どうか、もうセレスを悲しませないでくれ」
「良かったわね、セレス」
結婚を許可する四人の言葉に、リュカ様が嬉しそうに笑った。
振り向いたリュカ様がわたしのそばに来て、跪く。
「セレスティア・フォン・ローゼンハイト侯爵令嬢」
リュカ様から見上げられるのは初めてで、ドキリとした。
「どうか、俺と結婚してください」
その言葉にじわりと視界がにじむ。
「……はい……っ」
繋がる手を握れば、立ち上がったリュカ様に抱き締められた。
「好きだ、セレス……」
「わたしも、リュカ様が好きです……っ」
今度こそ、わたし達は幸せを手に入れる。
二人並んで生きる、大切な未来を。
* * * * *
王都に帰還してから一週間。春斗は忙しい日々を過ごしていた。
魔王との交渉役になったことで、毎日のように国王や貴族と会議が続いている。
貴族はやっぱり魔族に対して疑っていて、なかなか思うように話が進まない。
毎日同じことを繰り返し話してるだけで何の成果もなく、春斗からすると意味のない話ばかりでまったくやる気が出ない。
「ったくさあ、どうやったらちゃんとした話し合いになるんだか……」
思わず、会いに来てくれていたレイアに愚痴ってしまう。
レイアも何となく察してくれたのか苦笑する。
「多分、責任を取りたくないのでしょう。もしも魔族がまた攻撃をしかけてきた時、自分が責められるかもと思うと簡単には賛成できないのかもしれませんね」
「もう魔族は攻めてこない! あれから国境沿いの村だって、砦だって、襲われてないのに……」
魔族も人間も言葉がある。話をして、お互いの意見や気持ちを伝え合うことができる。
「……言葉で分かり合えるのに、そうしないのってなんか違うだろ。オレ達は動物じゃないし、力で全部決めるってわけでもない。分かり合えないところもあるかもしれないけど、それでもお互いに理解する努力をやめたら、それこそ終わりだと思うんだ」
春斗は自分の掌を見下ろし、考える。
魔族も人間も言葉が通じて、そこに感情や意思があるなら分かり合えるかもしれない。
手を取り合えなくても戦わずに距離を置くことだってできる。戦争なんて必要ない。
……戦争は人の命も、心も、生活も、全部傷つける。
「大変でも話し合って戦争せずに済むなら、それが一番みんなのためになるはずなのに」
「ハルト……」
「オレが責任取るって言っても……そりゃあオレなんて大したことないかもしれないけどさ、勇者って呼ぶくせにこっちの話は全然聞いてくれないし……なんかムカついてきたな……」
モヤモヤした気持ちが胸に溜まっていく。
それなのにレイアがおかしそうに小さく笑った。
「ハルトは本当に勇者様ですね」
どういう意味なのかと首を傾げれば、レイアが視線を中庭の花に向ける。
噴水の縁に座って過ごすとほどよい日が当たって気持ちいい。
春斗のお気に入りの場所だった。
「みんな、怖いんですよ。責任もそうだけど、今まで戦争するのが当たり前で、分かり合えるはずなんてないって思ってた相手から『戦争をやめましょう』って言われても疑ってしまうんです」
「魔族が信じられないから?」
「それもあるかもしれません。戦争がないほうが幸せだって分かっているのに、何百年も続いていたものがなくなるわけがないって思い込んで……急に環境が変わるのが怖いのかも」
レイアが目を伏せ、そして困ったように微笑んだ。
「私も治癒の力が目覚めて教会に入ることになった時、同じでした。自分に治癒の力があるって頭では分かっているのに、環境が変わって毎日訓練や奉仕活動するのがつらくて……『聖女様』って呼ばれるのが最初は怖かったです」
「レイア……」
出会った頃のレイアは『聖女』と呼ばれているのに、いつも俯きがちで、物静かだった。
春斗が思っている以上に聖女の立場は難しくて、重いものなのかもしれない。
子供の頃から『特別な存在になりたい』と望んで、この世界で勇者になれたことは春斗にとってはラッキーで。でもレイアにとっては『特別になる』のはつらかったのだろう。
「だけど、今は違います。……ハルトと出会えて、聖女で良かったって思います。ハルトと一緒に旅をして、役に立てて、こうしてハルトを好きになれたことが嬉しいんです」
本当に嬉しそうにレイアが笑った。
「ハルトは光です。でも明るすぎて、暗闇の中にいた人達はその光に戸惑ってしまうんです。……今は疑う人も多いかもしれませんが、訓練と一緒で毎日の積み重ねが大事だと思います。ハルトが諦めなければ、いずれ皆さんも分かってくれる日がきます」
モヤモヤした気持ちは変わらないけど、少しだけ納得した。
この世界の人達は、特に王国はずっと魔族と戦い続けてきて、強い疑いや嫌悪感があるのだろう。
春斗は異世界の人間だから魔族に対して何ともないが、王国の人々はそうではない。
だから春斗も焦らず、この王国の人々の心に寄り添いながら変化を手伝うしかない。
「……そうだな、オレも『勇者だから』って急いでたのかも」
顔を上げてレイアを見返す。
「話さなきゃ始まらない。……時間がかかっても、人間同士でだって話し合わないとな」
「そうですね。私もハルトを応援します。必要なら、どんなお手伝いもします」
聖女のレイアが話してくれたら、少しずつみんなの意見も変わってくるかもしれない。
「ありがとな、レイア」
レイアが嬉しそうに、明るく笑った。
「どういたしまして、ハルト」
最初の一歩は小さいかもしれない。
でも、積み重ねていけばきっと明るい未来に向かっていけるだろう。
……レイアにはいつも助けてもらってばっかりだ。
勇者として、一人の男として、ちょっと情けないけど。
でも、こうして支えて助けてくれる仲間がいることが嬉しかった。
「あの、ハルト……」
レイアが一度俯き、何かを決意した表情で顔を上げる。
「もう少ししたら、ハルトはまたウェンディス砦に行くのですよね?」
「え? ……あ、ああ、魔王との交渉役はオレじゃないと難しいしな……」
レイアが唇を引き結ぶ。
レイアの手が、春斗の手を掴んだ。
「私もハルトについて行かせてください!」
その言葉に驚いた。
ビックリしすぎて言葉が出なかった春斗だが、レイアが慌てた様子で続ける。
「あ、もちろん教会の許可を得て、ユウェール様とも話して決めました! 魔族領との国境沿いは魔物も多くいますし、砦の皆さんの治療や近くの村や街での奉仕活動などもあって、そういうことも目的の一つですけど……でもっ、ハルトのそばにいたいんです……!!」
赤い顔で一生懸命、話すレイアに春斗の顔も熱くなる。
セレスティアへの気持ちを完全に吹っ切れたわけではないけど、レイアの気持ちに向き合うと決めてからは、レイアとの関係についても考えるようになった。
「オレ、まだレイアのことが好きになれるか分からないんだ……」
「知っています! これは私のわがままなんです!」
好きな人と一緒にいたいという気持ちは春斗もよく分かる。
……それに、人としてレイアは好きだし、尊敬も信頼もできる。
「オレも……」
顔を上げてレイアをまっすぐに見る。
「オレも、レイアが一緒にいてくれたら嬉しいし、心強い」
気持ちに応えられるか分からないのに、こんなことを言うのは最低だって分かってる。
それでも、この世界に来て最初に仲良くなれた同年代の子で、友達で、仲間で。
一緒にいてくれたら勇気が出る。できれば一緒に笑い合いたい。
「わがままだけど、オレについて来てほしい」
レイアの緑の瞳が煌めき、嬉しそうに細められる。
「はいっ! ありがとうございます、ハルト!」
「オレのほうこそ、ありがとな、レイア」
手を差し出せば、レイアの細い手がしっかりと握り返してくる。
春斗より頼りない手だけど、その温もりを感じると力が湧いてきた。
一人だと難しいことも、二人なら何とかなるかもしれない。
二人でも難しくても、春斗達には背中を預け合った仲間がいる。
「よし! 一緒に王国を変えようぜ!」
だから、きっとこの先の未来も明るくて良いものだと信じていける。
勇者ハルト・カンザキとして、春斗はこの世界で生きていく。
* * * * *




