帰還
それから、リュカ様の転移魔法で勇者様は何度か魔王城に向かった。
魔王と話し合いを行い、魔族側の不可侵条約を取りつけた。
砦の騎士達は微妙な心境であるかもしれないが、恐らくもう魔族が国境を越えて王国を襲うことはないだろう。
条約については書面でも、ということとなり、リュカ様が魔王を国境まで連れてきた。
辺境伯と魔王が不可侵条約を取り交わし、それは辺境伯から国王陛下に伝えられた。
当然、王城は大混乱に陥っただろう。
魔王を討伐すると思っていた勇者が魔王と和解し、不可侵条約を持ってきた。
王国としては魔王を討ち、確実に平和を得たかったのかもしれない。
だが、勇者様はそれを良しとしなかった。
不思議な方だと最初は思ったが、異世界から来たからこそ『人間と魔族、どちらも傷つけたくない』と考えられるのだろう。
もしも魔王を討伐していたとしたら、魔族は怒り、人間と魔族の戦争は終わらなかった。
そういう点では勇者様の『和解』という選択肢は大きかった。
同時に、この不可侵条約は人間側も守らねばならない。
魔族が王国に攻め込まないように、王国も魔族領に攻め込むことは禁止となる。
……王国はどう考えるかしら。
魔王城から帰還して二週間後。わたし達も王都に帰還しようということになった。
「魔王とのやり取りもあるので、また戻ってきてくれると助かる」
見送りに出た辺境伯の言葉に、リュカ様が頷いた。
「ハルトに転移魔法を覚えさせる予定だ。そうすれば、ハルトが橋渡し役として動けるだろう」
「げっ……オレに全部押しつける気か!?」
「魔族との和解はお前が言い出したことだ。最後まで責任を持て」
「それはそうだけどさあ……」
リュカ様と勇者様が軽口を言い合い、どちらからともなく小さく笑う。
それに辺境伯も微かに口角を引き上げた。
「騎士についてはいいのか」
一度捕縛した騎士様だけど、砦に連れ帰り、不可侵条約が結ばれてからは静かになった。
王都に帰還するからと牢から出しても、もう暴れることはない。
その代わり、気力を失ったように俯いたままだ。
それにリュカ様も勇者様も少し困った顔をしたものの、何も言わなかった。
来る時は勇者様、レイア様、騎士様、アレン様、わたし、そしてノアの六人だったけれど、帰りはもっと多い。
「ちょっと、ユウェール! もっと詰めなさいよ!」
「あなたこそ、大剣を何とかしてください。それに鎧が当たって痛いです」
「仕方ないでしょっ?」
荷馬車に乗りながら、ディオナ様とユウェール様が喋っている。
そこにアレン様が「まあまあ」と笑いながら近づいていった。
そんな様子をリュカ様が眩しそうに目を細めて見ていた。
リュカ様の横に立ち、そっと手を繋ぐ。
「帰りましょう、リュカ様」
今度こそ、本当に。
「ああ、帰ろう……セレス」
ギュッと握り返してくれた大きな手の温もりが心地好い。
「ハルト! リュカ様、セレスティア様も、乗ってください!」
荷馬車の後ろからレイア様が顔を覗かせる。
アレン様が御者台に乗り込み、こちらに手を振った。
「ああ、今行く!」
駆け出した勇者様の後をわたし達も追う。
よく晴れた、真っ青な空がどこまでも綺麗な昼下がりのことだった。
* * * * *
「リュカ様!」
「わあ、リュカ様だ!」
「ああ……ご無事で何よりです……!」
エランディークの街まで戻ってくると、リュカとセレスティアが街の人々に囲まれる。
その様子を少し離れたところで春斗は眺めていた。
……本当、リュカってすごい慕われてたんだな……。
砦まで行く間の街や村でもリュカの話は嫌というほど聞いたけど、帰る時はもっとすごい。
リュカの姿を見つけた人々が集まり、それがまた人を呼んで、二人の周りは動けなくなりそうなほど人であふれている。その誰もが嬉しそうな笑みを浮かべていた。
それだけ、リュカが以前の旅で沢山の人達を助けたということなのだろう。
「リュカ様、果物持っていって──……」
「旅の途中に荷物が増えるのは困るだろ。また立ち寄った時はうちの店に来てください!」
「うちも是非! 旅で必要なものがあれば、格安にしますよ!」
「タダじゃないのかよ!」
「タダより高いものはないってな!」
「ははは、確かに!」
街の人達が楽しそうに笑い、リュカが微かに口角を引き上げる。
そのリュカを見て、セレスティアがふわりと嬉しそうに微笑んだ。
セレスティアの幸せそうな姿を見ると春斗の胸はツキリと痛むが、微笑むセレスティアに気付くとリュカも目元を和らげて優しい笑みを浮かべ、二人はどこからどう見てもお似合いだった。
相思相愛の二人を引き裂いて、春斗がセレスティアと付き合うことなんて無理だ。
それにリュカも勇者として本来の立場を取り戻したから、セレスティアとの結婚は確実だろう。
噴水の縁に座って眺めていると、そっと手に温もりが重なった。
振り向けば、レイアが横にいて春斗の手に触れている。
レイアもリュカ達を眺めており、特に何も言われなかった。
レイアは出会った時からずっと春斗を気遣い、仲良くしてくれて──……告白を断ってしまったのに、こうしてそばにいて慰めてくれる。自分にはもったいないくらい良い子だと思う。
……オレも、ちゃんとレイアと向き合わないとな。
「……レイア」
名前を呼べば、レイアがこちらに顔を向ける。
「オレ、ちゃんとレイアの気持ちとも向き合うから」
「ハルト……」
「今までごめん」
謝れば、レイアが優しく笑った。
「いいんですよ、ハルト。……私のことも考えていただけて、とても嬉しいです」
その優しく、明るい笑顔にドキリとした。
見惚れていると人混みの向こうからディオナの声がする。
「ハルト、レイア! 二人もこっちにおいで!」
「美味しいジュースがもらえるよ〜」
ディオナとアレンが手を振ってきたので、春斗は立ち上がった。
セレスティアへの気持ちを整理するのはまだ時間がかかるかもしれないけど、それでも、幸せそうなセレスティアを見ると『やっぱりリュカが一番なんだ』と分かったし、それを実感できて良かった。
それに、もし無理にセレスティアと婚約していたら、レイアのことをも傷つけていた。
……何より、リュカが怖いしな……。
重なっていた手を握り、振り返る。
「行こう、レイア!」
レイアの緑の瞳が輝き、嬉しそうに笑う。
「うん!」
立ち上がったレイアの手を引き、ディオナとアレンのもとに駆けていく。
繋がった、この優しくて華奢な温もりを傷つけたくないと春斗は思った。
* * * * *
どこの街や村でも歓迎を受けて、行きよりも帰りのほうが時間がかかってしまった。
それでもわたし達は無事に王都に到着し、王城に向かった。
荷馬車の中、横に座ったリュカ様の表情はどこか強張っているように見えた。
そっと手を握ればリュカ様の視線がこちらに向く。
「リュカ様、何か心配事があるのですか?」
頬に手を伸ばせば、リュカ様がわたしの手にすり寄った。
「一度は死んだと思われていた身だから、色々な……」
そこでわたしは王都でのことを思い出した。
誰もが『前勇者は死んだ』と言い、リュカ様の両親であるヴァンレンティナ伯爵夫妻まで、わたしとリュカ様の婚約を破棄してほしいと言った。
……頷かなくて良かった……。
もしもあの時に諦めていたら、永遠にリュカ様と再会することはなかっただろう。
両親の決めた誰かか、勇者様と婚約を結び直していたかもしれない。
想像するだけでもゾッとする。
貴族ならば政略結婚は当たり前だが、リュカ様を想い続けたまま、誰かと添い遂げるなんて。
「セレス、信じていてくれてありがとう」
「いいえ……わたしは自分の心と祈りに従っただけです」
祈りが天に届いていたから、わたしも折れずにいられた。
リュカ様に抱き寄せられる。
「誰が何と言おうと、君との約束は守る」
わたしはそれに「はい」と頷いた。
五年前に誓った約束。あの頃のわたしはまだ幼かったけれど、今は違う。
「リュカ、そういうのは二人きりの時にしなさいよ」
わたしの額にリュカ様が口付けたので、ディオナ様が呆れた顔をする。
「これまで俺達を二人きりにしてもらえた記憶はないが」
「当たり前でしょ? 狼の目の前に子羊を放っておけるわけないじゃない」
「……矛盾してないか?」
眉を下げたリュカ様に、ディオナ様が小さく息を吐いた。
「ったく、らしくないわね。前のあんたはわがままで、強くて、自分勝手で、でもそういうあんたにあたし達はついて行くって決めたんだから。それに勇者は国王陛下と面と向かって話せる立場なのよ? もっと堂々としてなさいよ」
びしりとディオナ様に指差され、リュカ様が目を丸くする。
「セレスティアが正しかったって見せつけてやらなきゃ。そうでしょ?」
「……ああ、そうだな」
リュカ様が目を細め、小さく笑った。
ギュッとわたしを抱き締めたリュカ様は、もういつものリュカ様だった。
「あんたが死んだって吹聴してた奴らに後悔させてやりなさいよ」
「もちろん、そのつもりだ」
ディオナ様と目が合うと、パチリとウィンクをされる。
いつも通りのリュカ様にホッとしつつ、少しだけディオナ様に嫉妬してしまった。
……そんな気持ちを抱くほうがおかしいかもしれないけれど……。
リュカ様の仲間として信頼されているディオナ様が羨ましい。
でも、同じくらいディオナ様のような方がリュカ様の仲間で良かったとも思う。
荷馬車は城壁の門を潜り、敷地に入る。
王都の外壁の門を越えた時に先触れが出ていたようで、城の前に着くと使用人や騎士達がいた。
「勇者様方、お疲れのところ申し訳ありませんが……」
馬車から降りたわたし達に声をかけてきた騎士に、リュカ様が頷いた。
「分かっている。我々も陛下にご報告申し上げたいことがある」
帰還したばかりだが、荷物を馬車に残したまま、謁見の間に向かう。
あの日『勇者様一行についていく』と言い、王都を出た数ヶ月前のことが懐かしい。
……ノアと一緒に帰ってくることはできなかったわね……。
しかし、ノアがリュカ様であったことは本当に奇跡的だった。
もうノアに会えないと思うと寂しいけれど、仕方がない。
チラリと横を見上げれば、すぐにリュカ様が気付いて小首を傾げた。
それに何でもないと首を横に振り、前を見る。
もう、誰にも『前勇者は死んだ』なんて言わせない。
騎士の案内で謁見の間に通される。
謁見の間には国王陛下だけでなく、多くの貴族達もいた。
突き刺さるように集まる視線をリュカ様はまったく気にしていない。
歩き出したリュカ様と勇者様の後を追って玉座の前まで進み、全員が片膝をついた。
「勇者リュカ・フォン・ヴァレンティナならびに勇者ハルト・カンザキが帰還いたしました」
凛としたリュカ様の声が謁見の間に響く。
貴族達の「本当に生きていたのか」「以前と見た目が変わった……」という囁きが聞こえる。
しかし、国王陛下が「静粛に」と言えば囁きは止まった。
「勇者リュカ、勇者ハルトよ。……よく戻った」
国王陛下の言葉にリュカ様が一度頭を下げる。
それに勇者様も慌てて真似をして、同じように頭を下げた。
「して、魔族と『不可侵条約を交わした』とはどういうことか説明を」
恐らく、国王陛下だけでなく貴族達も気になっていることだろう。
リュカ様は顔を上げるとこれまでの経緯を説明した。
ただ、勇者様が魔王の子の魂を持つことだけは伏せられた。
もしもそれを知れば、人々は勇者様を『魔族』と認識するかもしれないから。
魔王と戦い、決着がつかず、そこで互いに剣を収めて条約を結ぶことになった。
簡単に言えば、そのような流れだったという話である。
「魔族が……信じられぬ……」
国王陛下の難しい顔に、リュカ様が続けた。
「魔王は遥か昔、我が国の王が行ったことを許してはおりません。ですが、それからもう長い時が経ち、人間も魔族も多くの血を流しすぎました。そろそろ禍根を断ち切る時ではないでしょうか」
そうして、リュカ様は『魔族との交渉には勇者様が立つ』と言った。
帰りの道中でリュカ様は辺境伯に言った通り、勇者様に転移魔法を伝授した。
かなり魔力も消費する上に難しい魔法らしく、厳しいリュカ様の教えに勇者様は『もうちょっと優しくしてくれてもいいだろ!?』と言いながらもしっかり覚えたようだ。
これでリュカ様がいなくても、勇者様は砦から魔王城に行ける。
貴族達は「魔族を滅ぼさなければ平和は訪れない」「魔族なんて信用できない」と騒いだものの、国王陛下が手を上げれば、全員がその言葉を待った。
「そうであるか……」
そう、国王陛下は一言呟いた。
だが、その声音から国王陛下は過去の王が犯した罪を知っているのだと分かった。
「魔族との不可侵条約を受け入れようぞ」
「陛下、ですが……!」
「皆の言い分も理解できる。しかし、これ以上争って何になる?」
国王陛下が小さく息を吐いた。
「勇者リュカ、勇者ハルト、大義であった。そなた達の働きは我が国を良き方向へと導くであろう」
「勿体ないお言葉でございます、陛下」
「あ、ありがとうございます……!」
「旅で疲れている中、すまなかった。色々と話さねばならぬことはあるが、今は休むが良い」
そして、わたし達は謁見の間を後にした。
勇者様が嬉しそうに言う。
「これからは魔族と戦わなくて済むな! やっぱ、戦争なんてしないのが一番だ!」
それにレイア様が「そうですね」と微笑んだ。
ホッとした様子のリュカ様に寄り添えば、抱き寄せられた。
……魔族と人間が争わない時代がくる。
それは夢物語のようで、でも、きっとそう遠くはない未来なのだろう。




