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密かな夜






 夜、コンコンと部屋の扉が叩かれた。


 扉に近寄り「どなたですか」と声をかける。


 そうすれば、扉の向こうから返事があった。



「あたし、ディオナだよ」


「ディオナ様?」




 扉を開ければ、ディオナ様とレイア様がいた。


 二人の手にはお盆があり、その上に飲み物や軽食などが載っている。




「女だけでちょっとお喋りでもしない? 男達がいると話せないこともあるでしょ?」




 ぱちりとディオナ様がウィンクする。


 美人のディオナさんが悪戯っぽい顔をすると、とても似合う。


「どうぞ」と中へ促し、扉を閉めて鍵を閉める。


 テーブルの上にお盆を置き、ディオナ様とレイア様が振り返る。


 わたしも椅子を集め、二人は椅子に、わたしはベッドの縁に座った。




「夜のお茶会なんて初めてです」




 レイア様が紅茶を用意してくれたので、受け取りながら言えば、頷き返された。




「そうですよね。この時間に何かを食べるって、太りそうで罪悪感があります」


「たまにならいいじゃない。どうせ、今頃男達だって酒でも飲んでるんだから」


「そうかもしれませんね」




 レイア様とディオナ様が笑い、わたしも釣られて笑みが浮かぶ。


 王都にいた時は貴族の令嬢として、勇者の婚約者として、いつだってその立場に見合った振る舞いをしてきた。今まではそれが当たり前だった。


 でも、この二人が気軽に話しかけてくれるのが嬉しい。




「まあ、女同士で話でもって気持ちもあったんだけど、ローゼンハイト侯爵令嬢にお礼が言いたくてね」




 ディオナ様の言葉にわたしは首を傾げた。




「わたしに?」


「ローゼンハイト侯爵令嬢はずっとリュカのことを信じて、祈り続けてくれてたでしょ? 『まだ祈りは届いている』って。……それはあたし達にとっても心の支えになったんだ。侯爵令嬢が言う通り、まだリュカは生きているはずだってね」




 ディオナ様が優しく微笑む。




「だから、ありがとう」




 それにわたしは言葉では表現できない感情に包まれた。


 嬉しいとか幸せとか、そういう感情とは違うけれど、悪いものではない。




「わたしも、皆様には感謝しております。……他の方々がリュカ様を諦める中、皆様はずっと探してくださっていたと聞きました。わたしは祈ることしかできなかったので……」


「貴族のご令嬢じゃあ仕方ないよ。それに侯爵令嬢の祈りのおかげで、前よりリュカは格段に強くなってる。……ユウェールが言っていたけど、本当に『愛の成せる業』だね」


「そうです、セレスティア様の信じる気持ちと祈りが天に届いたんです」




 ディオナ様とレイア様に言われ、少し照れてしまう。


 ……愛の成せる業。


 わたしのこの想いがリュカ様のためになるなら、いくらでも愛そう。




「ありがとうございます」




 誰かに認めてほしかったわけではないが、この想いの強さを褒めてもらえるのは嬉しかった。


 ディオナ様がクッキーを食べつつ、訊いてくる。




「ところで、ローゼンハイト侯爵令嬢とリュカはどこまで進んでるの?」


「ディオナ様、どうぞセレスティアとお呼びください」


「そう? じゃあ名前で呼ばせてもらうわ。……で、そこのところ、どうなの?」




 何故かレイア様が期待に満ちたようなキラキラとした目で見つめてくる。


 ディオナ様もなんだか楽しげだ。


 ……どこまで……?


 また首を傾げたわたしに、ディオナ様が更に問いかけてくる。




「お貴族様だと結婚までは色々とうるさいだろうけど、口付けくらいしてるでしょ?」




 それにポッと顔が熱くなる。




「く、口付けなんて……」


「……え? もしかして、まだ?」


「……はい。その、リュカ様はよく額や頬にしてくださいますが……」




 何度か、そういう雰囲気になりかけたことはあるものの、誰かに遮られた。


 最近はリュカ様も唇にしようという感じはなく、代わりに額や頬によくされる。


 他にも頭を撫でてもらったり、抱き締めてくれたりもする。




「でも、唇はまだ恥ずかしくて……」




 ディオナ様が紅茶を飲み干し、ティーカップをカチーンとソーサーに戻す。




「かーっ、甘酸っぱい!!」


「ディオナ様、紅茶をお酒みたいに飲まないでください」




 レイア様が苦笑しながら、ディオナ様のティーカップにおかわりを注ぐ。




「リュカと婚約を結んだのって何歳の時?」


「十二歳です」


「成人前ならともかく、お互いもう大人なんだから口付けの一つや二つすればいいのに」


「……」




 やっぱり顔が熱くなってしまう。


 レイア様が微笑み、椅子に座り直した。




「リュカ様はセレスティア様のことをとても大事になさっていますから」


「大事すぎて手を出せないって?」




 それにふと思い出した。




「そういえばリュカ様とアレン様が、歯止めが効かなくなるから手を出すのはちょっと……という話をしておられました。……レイア様に教えていただくまで、意味が分からなかったのですが」


「セレスティア様が純粋すぎて、私は少し心配です」




 レイア様が困ったように小さく笑う。


 ディオナ様が目を瞬かせ、それから「なるほど」と笑った。




「そりゃあ、手なんか出せないわね」


「そういうディオナ様も、アレン様とはどうなのですか?」




 レイア様の質問にわたしだけでなく、ディオナ様も目を丸くした。




「女の勘ってのはすごいわね」




 否定しなかったので、わたしは更に驚いた。




「ディオナ様はアレン様をお慕いしていらっしゃるのですか?」


「まあね。でも『慕う』なんて可愛いものじゃないかもしれないけど──……」




 勇者の仲間として集められ、共に戦い、背中を預け、旅をしていく中で好きになったという。


 詳しい話は「恥ずかしいから秘密よ」と言われたが、アレン様は基本的に穏やかで優しいから、さっぱりした性格のディオナ様とは気が合いそうだ。




「アレンってああ見えて、あたし達の中で一番の年長者なのよ」


「その話、聞いたことがあります。魔法で寿命を伸ばしているって」




 レイア様の言葉にディオナ様が苦笑する。




「正確に言うと『伸びてしまった』なんだけどね。本人があの通り魔法馬鹿で、自分の体で色々実験しているうちに気付いたら老いなくなってたらしいわ。沢山の魔法を試したせいで、どれが原因なのかも分からないなんて……本当、馬鹿よね」




 その表情は切なげで、寂しそうで、でもどこか愛おしげで。




「どんなに好きになっても、あたしのほうが早く死ぬのよ。もしかしたら、あたしがおばあちゃんになってもあいつは今のままかもしれないなんて、腹立つわよね」




 そんな言葉とは裏腹に優しい表情をしていた。




「ディオナ様は、アレン様にお気持ちを伝えないのですか?」




 気付けば、そう問いかけていた。


 ディオナ様はそれに「ええ、言わないわ」とはっきり答えた。




「気付くまで黙っているつもり。今はあいつの中で一番仲の良い女友達でいられればいいわ。いつか──……鈍感だから、あたしが死んでから気付くかもしれないけど、その時に後悔すればいいのよ」


「……よく分かりません……」


「そうね、あたし自身もよく分からないわ。ただ、あいつの中で『忘れられない存在』になれれば、それで十分なの。……恋心って必ずしも受け入れられるとは限らないでしょ? それなら、あたしは『背中を預けられる戦友』のままいたほうがいいわ」




 そうして、ディオナ様が困ったように微笑む。




「あたし、実は臆病なのよ」




 その表情があまりに綺麗で、それ以上は何も言えなかった。


 ……こんなふうに思う人もいるのね……。


 レイア様が、はぁ……と溜め息を吐く。




「恋愛は人それぞれですよね。……でも、やっぱりセレスティア様が羨ましいです」


「レイアは勇者ハルトが好きなのよね?」


「はい。告白もしたのですが、振られました」


「あなた、意外と度胸があるのね」




 ディオナ様が驚いた顔でレイア様を見る。




「ハルトはセレスティア様のことが好きだけど、セレスティア様は絶対にハルトを選ぶことはありませんから。……何もしないで後悔するより、行動して後悔したほうがスッキリします」


「そういう割り切りの良さはユウェールに似てるわね。……でも、腹黒いところは真似ちゃダメよ?」


「まあっ」




 小声で言うディオナ様にレイア様がおかしそうに笑う。


 ……こうして誰かと楽しくお茶会をするのはいつぶりかしら。


 リュカ様が旅に出てから、いつだって心の中に心配があった。


 そのせいかお茶会も夜会も、心の底から楽しむことはできなかった。


 しかしリュカ様と再会し、共に過ごすようになって、余裕が生まれたのかもしれない。




「勇者ハルトについては、押し続ければ押し切れそうな気がするわ」


「ディオナ様もそう思いますか? ハルトって意外と押しに弱いんですよね」


「その点で言えばリュカもそうだと思うわ」


「リュカ様も?」




 思わず話に交じれば、ディオナ様が頷いた。




「ええ、普段は自分から押してるのに、セレスティアのほうから迫られたら狼狽えるでしょうね」


「わあ、なんだか想像できます……!」




 ディオナ様とレイア様が笑って頷き、わたしも考える。


 ……自分から……。


 と、想像してみて、気恥ずかしくなってしまった。


 熱くなった顔を両手で挟めば、ディオナ様とレイア様がこちらを見る。




「セレスティアは初心うぶね」


「婚約者と五年も離れていたなら仕方ないかと……」


「そうだったわ」




 二人に微笑ましげな顔をされて少し落ち着かない。




「リュカもこれだけ一途に想われていたら嬉しいでしょうね」




 ……だって……。




「わたしは、リュカ様しか知らないので……」




 十二歳で婚約してから七年、ずっとリュカ様が婚約者で。


 将来、この人と結婚するのだと決まって──……決めていたから。


 他の男性に目を向ける暇なんてないくらい、わたしはリュカ様でいつもいっぱいだった。


 ディオナ様が目を丸くして、フッと笑う。




「これはリュカがべた惚れになるのも当然ね」






* * * * *






「──……ディオナ? こんな時間に一人〜?」




 セレスティアの部屋で二時間ほど過ごし、食器を片付けに食堂に行けばアレンがいた。


 どうやら少し前まで酒を飲んでいたのか、食堂内には微かに酒の匂いが残っている。


 まだ厨房にいる料理人に声をかけ、食器を引き取ってもらう。




「ええ、さっきまでセレスティアとレイアと三人でお茶会をしてたのよ」


「そうなんだ〜」




 アレンも立ち上がるとカップを厨房に返却する。




「部屋に戻るなら、僕も一緒に戻ろうかな〜」


「……アレン、あなた結構酒臭いけど、ちょっと飲み過ぎじゃない?」


「大丈夫だよ〜。今日は解毒の応用で酔いにくくする魔法を試してるから平気〜」




 そう言ったアレンの足取りは確かにしっかりしている。


 リュカやユウェールに付き合って酒を飲むくせに、それほど強くはないアレンだが、その足取りの軽さからして無理をしている様子はない。


 それについて行けば、アレンがすぐに振り返った。




「そういえば、三人でどんな話をしていたの〜?」


「セレスティアとレイアの恋愛話よ」


「あ〜、なるほどね〜」




 と、アレンが納得した顔で頷く。


 二人で人気のない廊下を並んで歩く。




「最近はレイアちゃんがグイグイいくから、ハルト君もレイアちゃんのことが気になってるみた〜い」


「そうなの? それなら、レイアに振り向く可能性は高いわね」


「まあ、セレスティア嬢はリュカしか見てないし〜」


「今日の昼間、砦の騎士がセレスティアに見惚れていたんだけど、それに気付いたリュカがその騎士と手合わせをしていたわ」


「あはは、その騎士も災難だったね〜」




 アレンがおかしそうに笑う。


 ちなみにリュカの容赦ない剣の打ち合いに、騎士は涙目になっていた。


 カツ、コツ、と二人分の足音が静かな廊下に響く。




「……こんなこと僕が言うのもどうかと思うけど、本当に良かったの〜?」


「何が?」


「ユウェールもディオナも、もう魔王討伐の責務を負ってないのに僕は君達に声をかけた。二人が命をかける理由はないし、今回だって確実に勝てるって保証もない。無視することだって──……」


「それ以上言ったら張り倒すわよ」




 ディオナは考えるよりも先にアレンの言葉をさえぎった。


 ……あたしがあんたの声を無視するわけないじゃない。


 ユウェールだって戦友の無事と再戦の声を聞けば、駆けつけるに決まっている。




「あたし達が来た理由なんて一つよ。あんたとリュカが……大切な仲間が戦うからに決まってるじゃない」


「ディオナ……」


「何年経ったってその気持ちは変わらないわ。あたしもユウェールも、あんたから手紙が届いた時、どれほど嬉しかったか……またあたし達に背中を預けてくれる、その信頼に応えたいのよ」




 握った拳をアレンの胸に押し当てる。




「だから、余計な罪悪感なんて持たないでよね」


「……ありがとう」




 嬉しそうに笑うアレンにディオナの心臓がドキリと揺れる。


 二年前、共に旅をしていた時と同じ明るい笑みにディオナも口角を引き上げた。




「どういたしまして。アレン、今回もあんたの魔法に頼らせてもらうよ」


「僕こそまた頼らせてもらうよ、ディオナ」




 互いに握手を交わし、ニッと笑う。


 ……あたし達の関係は恋愛じゃないけれど。


 揺るぎない絆で繋がっているというのも、悪いものではないだろう。






* * * * *

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『王都にいた時は貴族の令嬢として、勇者の婚約者として、いつだってその立場に見合った振る舞いをしてきた。今まではそれが当たり前だった。 でも、この二人が気軽に話しかけてくれるのが嬉しい。』 こんな表現…
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