226 マギーの近況
本日は、225話を先に投稿しております。まだそちらをご覧になっていない方は、前話に戻ってください。
後書きには、オマケもありますので、そちらもどうぞご覧ください。
5月に入った沿海州では……
中華大陸連合とロシアが領有を巡って血で血を洗う抗争を繰り広げている沿海州では、本格的な雪解けの後に、陸と空で両軍の激しいぶつかり合いが発生していた。
そもそも沿海州はロシア領と国際的に承認されており、豊富な資源を産出するこの地には大勢のロシア人が居住している。かつての中華人民共和国とロシアの間には、幾多の国境紛争を経て領土条約が締結されており、その後の両国間では平和的な貿易や経済交流が行われていた。
だが、中華人民共和国の跡を継いで成立した中華大陸連合は、この領土条約を不正義と不信義に基づいた公正を欠くものと主張して破棄したのちに、大軍を侵攻させて今日に至っている。
この中華大陸連合のロシア侵攻に対して、国際社会の大半は表立った反応を見せなかった。
通常ならば、国際社会全体が合意を形成して、中華大陸連合の平和と秩序を侵す行為に国際的な非難と制裁の集中砲火を浴びせるところであったが、米英仏独などの主要国をはじめとしてその他の各国とも、敢えて黙殺を決め込んだ。
その理由は、そこに至るまでのロシアの行いに原因を求められる。強硬な主張と軍事力を背景にして、東欧諸国や中央アジアの各国に対して恫喝や武力侵攻を繰り返してきた歴史的なロシアの行いが、国際社会からそっぽを向かれた。
中華大陸連合と密接な関りを持つドイツに至っては『クリミア半島問題を解決する絶好の機会』と、公に表明したくらいであった。
要するに国際社会、殊に欧米諸国からすると、『中華大陸連合とロシアという問題児同士で勝手にやってくれ』という、突き放した見方が大勢を占めていた。
唯一、地理的に日本海を挟んだ向こう側で中露両国が実際に砲火を交える様を目の当たりにしている日本だけは、『地域の安定のために紛争が早期に解決することを望む』と、当たり障りのない声明を出した。
この声明には、『戦禍がこちらに飛び火しないように、国家として全力を尽くす』という国内向けのメッセージと、『この際だから、中露でとことん消耗してくれ』という国家戦略上の思惑が込められていた。
だが実際には、日本も中華大陸連合との戦争に巻き込まれており、平和を望む大多数の日本国民の願望は、結果的には踏みにじられたのであった。
現在の中露の戦線は、ウラジオストクを含む、ハンガ湖からナホトカを結ぶラインの南側を占拠している中華大陸連合と、これを何とか取り返そうとするロシアの間で、膠着状態にある。
地上発射式の地対地ミサイルが敵陣に向けて炎の尾を引いて飛び立ち、着弾した一帯は地獄のような爆発の衝撃に包まれる。旧ソ連が第2次大戦中に世界に先駆けて開発した、多連装式ミサイルランチャー(通称、カチューシャミサイル)を発展させたタルナードやウラガンが猛威を振るい、土嚢を積み上げた陣地や塹壕に身を隠す中華大陸連合兵士を、地形が変わってしまう勢いで吹き飛ばしていく。
対する中華大陸連合も、自走ロケット砲や榴弾砲をぶっ放す。局面制圧を目的に開発された装備だけに、その被害は双方とも只事では済まない状況であった。装甲車や戦車の乗員はまだしも、歩兵に至っては生身で爆発の衝撃を浴びることとなる。命が助かれば儲けものとさえ言えるような、地獄の惨状が繰り広げられるのであった。
空では、ロシア航空宇宙軍のSU27やSU35に対して、中華大陸連合空軍のJ20やパクリスホーイと呼ばれている中国製SU35が飛び交い、この区域の制空権を握ろうとミサイルを撃ち合う。
それだけではなくて、電子戦機の投入によって敵のレーダー網の攪乱や、電磁波による電子機器の破壊など、様々な手段を試みるものの、基本的な武器性能がほぼ同等のため中々決着が付かずに、いたずらに兵士の損耗だけが繰り返されていくのだった。
こうして、投入された師団の損耗率が50パーセントを超えるような、果てしない消耗戦がこの3週間続いた。この辺りから目に見えて、中華大陸連合が優位に戦況を運ぶようになってくる。
その主たる原因は、補給の距離に起因する。中華大陸連合は、旧満州区域にある牡丹江市、吉林市、長春市を補給基地としており、最前線までの距離は最も遠い長春市からでもおよそ400キロ。しかもウラジオストクをほぼ無傷で手中に収めたため、港に船で揚陸が可能となっている。食料や弾薬を運ぶ船舶には日米とも干渉してこないため、黄海と日本海の海運を用いた補給が可能となっていた。
対してロシア軍は、東シベリアにあるチタを補給基地にして、シベリア鉄道で物資の輸送にあたっている。途中にある極東の大都市ハバロフスクを集積基地にしているものの、その距離は中華大陸連合の2倍にも及んでいだ。
中露ともに敵の補給網の空爆を繰り返しており、陸海様々なルートで物資を届けられる中華大陸連合と鉄道に頼らざるを得ないロシアでは、その差は歴然であった。
この3週間、何とか持ち堪えたロシア軍だが、武器弾薬が不足しがちになってくると後退を余儀なくされる。ハンカ湖とナホトカを結ぶラインを放棄して、100キロ北東にあるビキンとヴォストクを結ぶラインまで後退して、ここで戦力を再編成しようという動きを見せるのだった。
この時点でロシアは、沿海州主要部の半分を喪失していた。緯度でいえば、札幌から稚内まで後退したような形となっている。
中華大陸連合参謀本部では……
「沿海州の動向は、どのように経過しているのか?」
「我が軍が圧倒的に優位に戦線を押し上げております! ロシア軍はビキンまで後退いたしました!」
「久しぶりの朗報であるな。我々の首が辛うじて繋がっているのは、ひとえに沿海州攻略がプランに沿って進んでいるおかげだ」
参謀本部長は、ホッとした表情を浮かべる。海南島や香港方面では、日米英連合軍にいいようにしてやられているので、沿海州戦線だけは何としてでも優位に進めておきたかった。
しばらく考えに浸っていた本部長は、ついに何かを決断したかのような表情に変わる。
「極東ロシア軍の息の根を止める! 敵の補給の中継地であるハバロフスクに、直接陸上戦力を侵攻させる!」
「ですが、ロシア軍も相当な準備を整えていると思われます!」
「恐らくそうであろうな。だが、我々は劉主席から帰還者の投入を委ねられている! 殊にこの度、新たな帰還者〔氷帝〕なる者が戦列に加わった。秘かに彼らを潜行させて、一気にハバロフスクを落とすのだ!」
「了解いたしました!」
中華大陸連合東北部、その最も北東の角のように突き出た区域は、ハバロフスクから直線で約20キロでしかない。帰還者ならば、徒歩でも易々と入り込める。
ましてや、これまで秘匿されていた四聖の一人である氷帝が、この度謎に包まれていたベールを脱ぐのだ。参謀本部には、いやが上でも期待感が高まる。
こうして中露両国の間では、沿海州を巡る動きが、一段と激しくなっていくのであった。
アメリカ軍が占領している広州市では……
米軍の帰還者のマギーよ! しばらく登場しなかったから、どこに行ったんだろうと思っていた人もいるかもしれないわね。
私は、広州陥落後に一旦聡史たちと一緒に富士に戻ったんだけど、占領地域でのテロや暴動が頻発したのが原因で、再び呼び戻されたのよ。こちらに来て、そろそろひと月近くが経過しているわ。
それにしても、聡たちと一緒に過ごした富士での生活は、今考えてみるとまるで夢のようだったわ!
聡史と一緒にいるだけで魔力は上昇するし、妖怪なんていうアニメでしか見た記憶がない存在にも出会ったし、テレビからは毎日のようにアニメ番組が流れているし……
あーあ、こんなつまらない場所の占領なんか放り出して、早く富士に戻りたいわ! カレンと約束した秋葉原巡礼も、まだ果たしていないじゃないの!
ところで、聡史たちは元気にやっているかしら? このところ、全然連絡がないのよね。私からメールを送っても返信がないし…… もしかしたら、外部との通信すら遮断された極秘の任務に就いているのかもしれないわね。
こうして会えなくなると、ついつい聡史のことを考えてしまうのよねぇ。色々と信じられない光景も目にしたけど、あれほど頼もしい存在なんてどこにもいないわ!
こんな話をすると自慢のように聞こえてしまうかもしれないけど、あまり明かしたことがない私の話をするから、聞いてほしいのよ。
ジュニアスクールの頃から、私は常に同世代のトップだったの。勉強もスポーツも、誰にも負けなかったわ! ハイスクールには1年飛び級で入学したのよ。それでも周囲の学生たちは、私に全く太刀打ちできなかった。
あまりに出来すぎてしまうと、周囲から能力を称賛される半面で、ある種別次元の人間のように見られてしまうのよ。つまり私は、能力は認められてはいても、心を許せる友人がどこにもいなかったの。
天才の孤独…… 同じ物を見ても、周囲の人間にはその表層しか見えない。でも真の天才には、内面やその事象を取り巻く因果すらも、たやすく理解されてしまう。
同じ風景を見ても人によって感じ方が違うように、数式や物理現象を目の当たりにした時、人によって理解可能な範囲はまるっきり違っているのよ。より遠くて深い部分を見通せる人間というのは、時には変人扱いされてしまうケースすらあるのよね。
だから私は、常に孤独だったわ。それは、異世界を経験してアメリカに戻ってもまったく変わらなかった。合衆国連邦軍の帰還者の中に入っても、それは一緒だったわ。ひょっとしたら私と同じよう何かを見ていたのは、カイザーだけだったかもしれないわね。
でも、あの男と打ち解けるなんて絶対に無理よ! 生理的な嫌悪感を抱いてしまうのよ! 多分カイザーは私と同じ立場の人間。でもその生き方や考え方は180度違うわ!
周囲が受け入れてくれないなら、従わせようとするのがカイザー。対して私は、自分を理解してくれる人間、受け入れてくれる仲間を探そうとしたわ。
その結果、ようやく答えを見つけたのよ! 聡史や三鈴には、私と近いものを感じるのよ! さくらは…… あの子は別の意味で天才よ! 方向は私と大幅に違っているけど。
だからこそ、私は聡史に惹かれているんだと思うわ。聡史は無条件に私を受け入れてくれた。だからこそ、一緒にいたいのよ!
それなのに、いくら命令だからといって、一月も引き離されるなんて……
もう頭にきたから、テロリスト共を根絶やしにしてやるわ! そして、一刻も早く富士に戻らなくっちゃ!
さて、私自身の話が長くなってしまったけど、ここからは米軍が占領している広州市とその周辺地域の話をするわ。
現在、マカオから広州までの広東省南部を占領しているのは、第3海兵遠征軍と第4海兵遠征軍を中核とした、7万人の兵力となっているわ。
マカオにはすでに後詰の陸軍師団が上陸して、M1エイブラムスで構成される戦車部隊や、戦術ミサイル部隊が展開を開始しているそうよ。私は海兵師団に所属しているから、陸軍の状況は全然把握していないのよ。もちろん幹部クラスは連絡を受けているとは思うけど、私たち帰還者部隊のところまで情報が降りてこないのよ。
私たちの海兵遠征軍は、日本の帰還者の力も借りながら広州市から、中華大陸連合の正規部隊を追い出したわ。でもねぇ…… その後がかなり難航しているの。
ソンシというのかしら? 大昔の時代の兵法家よね。中華民族は、戦争以外の方法を用いて戦争に勝つ方法を、昔から研究していたと聞いているわ。
直接銃弾を撃ち合って決着をつけるのではなくて、陰謀や謀略を用いたり、敵陣営に混乱を引き起こして、その混乱に付け入ったりと、要するに我々アメリカ人からするとフェアーな手段とは言えない戦い方でも、当然のように使用してくるわ。
一例を挙げると、中華大陸連合が沿海州に攻め入った際に、アメリカの多数の都市で何の理由もなく暴動が発生したじゃないの。後から、あの暴動は中華大陸連合の大使館が具体的な指示を出して、現地の協力者が火をつけて回った出来事だったと判明したわ。
おかげでアメリカ国内が落ち着きを取り戻すまで、2週間以上の無駄な時間を費やしてしまったのよ! 本当にやることが陰湿で、どうしようもないわ!
話が逸れたわね。
今、私たちが占領している地域で問題となっているのは、軍服を着ずに一般人を装って攻撃を仕掛けてくる厄介な連中の対処なの。現地の言葉では、『便衣兵』と呼ぶんだけど、要するにゲリラやテロリストに分類される敵ね。
考えてもらいたいんだけど、真昼間に高層マンションのベランダ側の窓が開いて、そこから私服を着た訓練された兵士が、ロケット砲を発射するのよ! こんな何でもありの攻撃手段を取られたら、対処に手間取って当然よね。
もちろん私たちが駐屯する基地に向かって発射してくるから、それなりの被害が出ているわ。対策として基地の外周に、C-RAMが12基設置されているわ。C-RAMとは、戦闘艦に搭載されている対艦ミサイル防衛最終システムを、地上配備型にしたものよ。
要は、飛んでくるミサイルを各種センサーで発見して、1分間に3000発を発射するバルカン砲で撃ち落とすのよ。一般的には〔ファランクス〕の愛称で知られているわね。
こんな経緯で、一般人に紛れ込んでいるゲリラを発見して捕まえる役目が、私たち帰還者に与えられたのよ。
このところ毎日のように襲撃が繰り返されているから、私たち帰還者は二人一組になってハンヴィーに乗り込んで、街中のパトロールを行っているわ。ハンヴィーというのは、ジープの後継車種とでもいうのかな? 四輪駆動で悪路も走破可能な上に、車体の各所に装甲を施してある汎用移動車両ね。
海兵隊は様々な派生車種を使用しているけど、私が乗車しているのはM1151型で、屋根の上に機銃が取り付けられている型式ね。
またまた話が逸れるけど、ハンヴィーを民間仕様にしたのがハマーよ。日本でも、街中を走っている姿を何度か見掛けたわ。
私たち帰還者は、交代で屋根にある機銃が取り付けてあるスペースに上がって、街中に異常がないか目を配るわ。こんな目立つ場所に立っていると狙撃の絶好の標的になるけど、美鈴から教えてもらったシールをを展開していれば、ロケット弾でさえも撥ね返せるのよ!
こんな魔法を涼しい顔で使うんだから、美鈴は魔法の天才ね! この点に関しては、私は白旗を挙げているわ。自分が天才だと思っていたら、まだその上に更なる天才がいたの!
チョッピリ悔しい半面で、私は心の奥底で安心しているのよ。美鈴や聡史に比べれば、私ごときまだまだ普通の人間の範疇に数えられる点は、もう絶対に間違いないでしょう!
だからこそ、あの人たちに追いつきたい! 肩を並べて戦場に立ちたい!
これが今の私の最大の目標ね! その時……
チューン!
銃声がして、シールドに何かがぶつかる音が聞こえるわ!
銃声のあった方向に視線を送ると、フルオートの拳銃を手にした男が、群衆を掻き分けながら逃げようとしているわね。
「リック! ゲリラ発見! 追跡に移るわ!」
「オーケー! マギー、注意しろよ!」
「誰に言っているのかしら? ハンヴィーの警護は任せるわ!」
こうして私は、機銃スペースから飛び降りると、地面を蹴って対象を追跡するわ。でも何かしら、この人混みは! 無秩序に大勢の人間が歩いているから、全然真っ直ぐに進めないじゃないのよ!
頭にきたから、大きく踏み切って街灯に向かってジャンプするわ。この方法は、さくらとアイシャが教えてくれたのよ。雑踏の頭の上をジャンプして追跡すれば、障害となる人混みの影響なんか関係ないわ。
男は必死に人混みの中に紛れようとするけど、帰還者の目を甘く見るんじゃないわよ! ターゲットは絶対に見失なわないんだから!
「観念しなさい!」
「クソッ!」
頭上を先回りすると、男の前にヒラリと着地して投降を呼びかけるわ。でも往生際が悪い男は、私に拳銃を向けて引き金に力を込めようとする。
でも、遅いのよ! 私の目に映る男の全ての動きが、まるでスローモーションね。右手で男の拳銃を叩き落とすと、左手を鳩尾に伸ばすわ。
「ウグッ!」
たったその一言を残すと、男は路上に崩れ落ちる。
「リック! ターゲットを確保したから、車を回してもらえる?」
「オーケー! すぐに向かうから、その場で待っていてくれ!」
こうして地道にゲリラを逮捕していくのよ。もちろん、取り調べでメンバーの名前やアジトの場所など、洗いざらい吐いてもらうわ。覚悟しなさい!
こうして、大して変わり映えしない私の一日は過ぎていくわ。
あーあ! 早く日本に戻って、聡史に会いたいぃぃぃぃ!
次回は、聡史たちが異世界最後の国を訪れる予定です。まもなく日本に戻ってきますので、もうしばらく異世界話にお付き合いください。
感想、評価、ブックマークをお寄せいただいて、ありがとうございました。皆様の応援を、心からお待ちしております。
〔オマケ〕
ダンジョンへの入場を断られた聡史と桜は、トボトボと家路につこうとする。だが、桜が……
「兄ちゃん! 精神的なショックで歩けないよ。オンブして!」
ダンジョン管理事務所から外に出て、数歩歩いただけでヘナヘナとしゃがみ込んでしまった桜。その表情は、かつて聡史が目にしたことがないほどにヤツれ切っている。顔色が真っ青で、パッと見では重病を患ったかのような、生気のない表情に打って変わっているのだった。
「ダンジョンに入れないくらいで大袈裟なヤツだな。ほら、手を貸すから自分で立ち上がるんだ!」
聡史が桜の手を取って体を引き起こそうとするが、桜自身がどうにも力が入らない様子で、再びその場にしゃがみ込んでしまった。ようやく聡史にも、相当の重症だと納得がいく。
常日頃から、健康と有り余る体力が取り柄であった桜が、このような姿になり果てるのは、おそらく体の異常ではない。あれだけ楽しみにしていたダンジョンへの入場を断られて、精神的なタガが外れてしまったのだ。急激に生じた鬱状態とでも言えばいいのだろうか……
仕方がないからおぶろうとするが、桜は腕の力がすっかり抜けてしまって聡史の首に掴まることもできない有様であった。致し方なしに、聡史は妹の小柄な体を抱え上げる。お姫様には程遠い性格であるが、お姫様抱っこで抱え上げて、管理事務所のベンチに座らようと再び出入り口のほうへと踵を返す。
「えへへへ…… 兄ちゃんに抱っこされたのは、久しぶりなんだよ」
「そうだな。お前が小さい頃は、しょっちゅう抱っこしてくれって、せがまれていたな」
同じ日に生まれてはいるが、桜は兄の聡に対しての依存心が強い。要するに、甘えん坊な面が未だに残っているのだ。これは異世界で数多の冒険を繰り返した現在でも、幼い頃と大差はない。
一旦桜をベンチに座らせると、聡史は思案に暮れる。このまま妹を抱っこして家に帰るには少々距離が遠すぎる。電車に乗って約45分の道のりなので、やろうと思えば不可能ではない。だが、街を歩く人々から突き刺されるであろう視線が痛い。
「タクシーを呼んでもらおうか」
そう呟いて、聡史はハタと気が付いた。財布の中には3千円程度の現金しか入っていなかった。この額では、家まで辿り着けるかどうか自信がない。母親に連絡して、家の前で待っていてもらってもいいのだが、なんだか無駄な心配を掛けるようで気が引ける。
何とかならないかと考え込んでいるうちに、天啓のように聡史の頭に閃きが齎される。
「そうだった! 手持ちのアイテムを売れば、タクシー代なら何とかなるだろう! 桜、もうちょっと待っていてくれ!」
アイテムボックスを探ってそこそこの大きさの魔石を取り出すと、聡史は再びカウンターへと向かう。
「すいません! アイテムの買い取りは可能ですか?」
「はい、18歳未満の方でも、過去に入手したアイテムはこちらで引き取りますよ」
聡史の予想通りであった。ダンジョンに入場を禁止された18歳未満の人間に対して、アイテムの売買まで禁止したら、彼らが手持ちのドロップアイテムは死蔵されてしまう。ダンジョンに出現する魔物を討伐した結果得られる魔石は、魔法の研究開発やエネルギー源として活用されるので、引き取り手は数多いのだ。
ちなみに魔石は、魔力の含有量によって相場に照らし合わせた代金で引き取ってもらえる。
聡史は、この魔石の代金でタクシー代を捻出しようと考えた。そう、それはごくごく軽い気持ちで……
「それじゃあ、この魔石を引き取ってもらえますか」
聡史は過去に何度もこのような具合に、管理事務所のカウンターでドロップアイテムを引き取ってもらっていた。当然ながら相応の代金を得られて、その大半は反省会と称する帰りのファミレスでの飲み食いに費やされた。桜が当たり前のような表情で3~4人前のメニューを注文するので、苦労して得た諭吉さん1枚程度の金額など、瞬く間に消えてなくなっていくのだった。
「ずいぶん大きな魔石ですね。それでは、含有する魔力を測定します」
カウンター嬢は、手慣れた手付きで受け取った魔石を魔力測定装置にかける。そして、見る見るその表情が、驚愕に染まっていく。
「そ、そんなはずは…… 魔力量が13000を超えるなんて、有り得ない……」
カウンター嬢は、サンプルの別の魔石を取り出すと、そちらの測定を開始する。どうやら測定装置の誤作動を疑ったようだ。
「正常値を確認。ということは、誤作動ではない……」
装置のデジタル表示は、この日の朝一番にマニュアルに従って検査した時の数値と同じ320をぴったりと示している。この出来事に、冷静に対応するというカウンター嬢の勤務マニュアルなどかなぐり捨てて、鼻息も荒くカウンターから身を乗り出して、彼女は聡史に詰め寄る。その態度は、『絶対に逃がすものか』と、今にも聡史に掴み掛ろうとする肉食獣のようだ。
おそらく、おしとやかな外見とは裏腹に、常日頃は肉食系女子なのだろうと想定される。
「どこで! どこで、この魔石を手に入れたんですかぁぁ!」
冒険者が2,3人、別のカウンターに並んでいたが、彼らが全員振り向く勢いで、カウンター嬢の声が受付エントランス中に響き渡った。
この時聡史は、自分が犯した失態にようやく気が付いた。
魔石などどれも似たようなものだろうと、一緒くたにアイテムボックスに放り込んでいた。そしてたまたま彼が取り出したのは、異世界の魔境と呼ばれる並の冒険者は絶対に近づかない場所で討伐した、ワイルドウルフ変異種のさらにボスから得た魔石だった。
このダンジョンで現在攻略されているのは13階層。その最深の階層でも、得られる魔石が含有している魔力は1000に満たない。それだけに、この13000オーバーという数字は、破格中の破格のとんでもない数値であった。
聡史は、日本に発生したダンジョンの常識を根本から崩壊させてしまうこの事態に、しどろもどろになりながら、何とか誤魔化そうとする。
「えーと…… こ、この魔石は…… その辺で採れました」
「その辺に転がっているような代物ではないでしょうがぁぁぁぁ!」
ヤバい! 実にヤバい状況だ! 聡史はこの場をどう切り抜けようかと、気持ちだけが焦っていく。まさか『異世界産です!』などと、正直には答えられないのは重々承知だ。
焦る気持ちが先走って、聡史はカウンター嬢からその魔石を取り上げてしまう。現物がなかったら、ノーカウントとでも言いたそうな態度だった。スポーツの世界だったらレッドカードが提示されて、この場からお引き取り願われてしまう塩対応を食らうのは、必然だろう!
「今のは単なるイタズラ…… じゃなくって、バグ! そう、バグですよ! これが本物です!」
聡史が新たな魔石を取り出す。だが不幸なことに、今度は異世界ダンジョンの最下層から4段上の階層にいた、口から炎を吐き出す大トカゲ、サラマンダーの魔石だった。
「今度は22000じゃないですかぁぁぁ! さっきよりも上がっているじゃないですかぁぁぁ!」
カウンター嬢からは、渾身のツッコミが入る。この人の冷静でおしとやかキャラが絶賛崩壊している現状を、悲しいことに本人だけが気付いていない。
「いやいや、ちょっと間違えました! これこそが本物ですから!」
聡史は、選びに選び抜いた小粒の魔石を差し出す。今度は他の魔石と比べて3分の1の大きさだった。これならば、そんなバカげた魔力を検知されないだろうと、熟慮を重ねた結果だ。
自信に満ちた表情の聡史から魔石を受け取ると、カウンター嬢はやや投げやりな雰囲気で装置にかける。
「はい、68000です! ええ、わかっていましたよ! どうせこんな結果で私を驚かそうとしたんでしょうが、そうはいきませんよ!」
カウンター嬢が、すっかりヤサグレている。今度は、ダンジョンボスだったクイーンメデューサの魔石だった。
石自体が小さいのはメデューサの体が単に小柄だったからで、そこに込められている魔力と魔石の大きさは、相関関係がなかったらしい。
こんなやり取りを繰り返すこと12回、ようやく聡史は当たりの魔石を取り出すことに成功する。
「魔力量は800ですね。買取金額は、7200円です」
「どうも」
二人とも、完全に無表情になっている。11回もとんでもない魔力を秘めた魔石が次々に取り出されれば、大概のカウンター嬢はいい加減驚かなくなる。
買取交渉を開始してから30分、ようやく聡史はタクシー代を手にした。彼はスマホのアプリを使用して、管理事務所前にタクシーの配車を要請すると、動けない桜を乗せて帰っていくのだった。
同時刻の市ヶ谷にある自衛隊ダンジョン対策室では・・・・・・
例の怪しい男女2名が、再び秩父ダンジョンの管理事務所に戻ってきた情報は、すぐにこの対策室にもたらされた。
ライブカメラに映し出される聡史とカウンター嬢のやり取りに、この場の全員が固唾を呑んで見入っている。
「魔力量が13000の魔石だとぉぉぉ!」
「さらに上昇したぞ! 今度は22000だぁぁ!」
「68000もの魔力を含有している魔石か…… どんな魔物を倒せば手に入るんだ?」
対策室の大型テーブルに着席してこの様子を目撃している自衛隊ダンジョン対策室の幹部たちは、この異常とも取れる事態に驚きと戸惑いの表情を隠せなかった。
だが、テーブルの末席にいる私服姿の女性が、挙手をして発言の機会を求める。
「神崎学院長、どのような意見かね?」
司会を務める副対策室長から指名されたのは、公式名称〔国立ダンジョン調査員養成並びに魔法研究者育成アカデミー学院〕、通称〔魔法学院〕学院長を務める神崎真奈美であった。
自衛隊予備役大佐の立場で現在は魔法学院に出向して学院長を務めており、政府直轄ダンジョン対策室のメンバーでもある。
「この両名を、魔法学院に入学させる! このまま放置するよりも、ある程度政府の目が届く場所に置いておくほうが、コントロールは可能だろう」
「神崎学院長! その主張の根拠は?」
司会の副室長が何か言おうとしたのを遮って質問したのは、この部署全体を取りまとめる室長であった。
「根拠か…… 私の勘だ。これ以上は説明できないが、モニターを通して感じるこの男の雰囲気だけでも、想像を絶する危険なものを感じる。このまま放置するのは論外だ!」
「なるほど…… 神崎学院長の意見を尊重しよう。手続きをしてくれたまえ」
「室長、承知した。今から私自身が両者の自宅に出向いて、直接スカウトする!」
こうして、神崎学院長は対策室を後にする。残されたメンバーの間では、例の二人を魔法学院に入学させた後、その動向に最大限に注意を払うという確認がなされるのだった。
とまあ、冒頭の3話だけ公開させていただきました。読んだ方は『なんで二人だけなの? 大魔王様は?』という疑問を抱かれるかもしれません。
いずれ彼女も登場しますが、全く違う設定を考えております。
ここに掲載した内容は、まだ確定版ではありません。仮に連載するにしても、もっと内容を煮詰めて加筆修正いたします。皆様には、アイデアイメージ版だとご理解いただけるように、どうぞお願いいたします。




