２１３　使徒じゃダメですか？

「美鈴ちゃん！　やっぱりステーキは美味しいよ！　何枚でもお腹に入るからね！」

「さくらちゃん！　いくらなんでも、ちょっと食べすぎじゃないかしら？」

「いいんだよ！　肉はその辺の魔物を捕まえれば、いくらでも手に入るからね！」

「お肉の心配をしているんじゃないんだけど……」

　ナウル王国を出国した俺たちは、赤道を目指して草原を南下している。

　時刻はお昼時で、草原にテーブルを出してランチの最中だ。メニューはもちろんステーキで、網で焼かれたワイルドバッファローの肉は、食欲をそそる香りを立ち昇らせている。鮮やかな赤身のしっかりとした肉質だが、ナイフを入れるとスッと切れる柔らかさだ。味付けはシンプルな塩とコショウだけだが、野趣あふれる旨味が口の中に広がってくるぞ。

「美鈴ちゃん！　お代わり！」

「さくらちゃんは、もう５枚目ですよ！　どれだけお腹に入るんですか？！」

「明日香ちゃん、まだまだ入るんだよ！　兄ちゃん！　そこのお皿の上にある、おにぎりを取ってもらえるかな？」

「はいよ。野菜も食べるんだぞ」

「兄ちゃん！　さくらちゃんにとっては、なにがなんでも肉が先なんだよ！　野菜なんか後回しでいいんだからね！」

　妹の底なしの胃袋は、テーブルの上にある料理を次々に飲み込んでいく。ダ〇ソンの掃除機のような有り余るパワーでゴミを吸い込むがごとくに、ギュワワワ～ンと効果音を立てて食材が消えていくかのような錯覚に陥る。

「美鈴ちゃん！　お代わり！」

「西川先輩！　私もお代わりをお願いします！」

　仲の良い妹と明日香ちゃんが、同時に美鈴に向かってお皿を差し出す。美鈴以外の人間では、魔力の加減が難しくて、ステーキが丁度いい具合に焼き上がらないのだ。

「おや？　明日香ちゃんは、ドサクサ紛れにお代わりなんかして大丈夫なのかな？　５キロ増えた体重が、まだ元に戻っていないんだよ！」

「ムキィィィィ！　さくらちゃん！　ご飯の時間くらいは、体重のことを忘れていたいのに、なんで思い出させるんですか！」

　覚えていような。大事なことなので！

「明日香ちゃん！　ご飯の時こそ、体重の件を忘れたら、ダメなんじゃないのかな？」

「いいえ、きっぱりと忘れます！　何がなんでも、忘れてみせます！」

　明日香ちゃん、本当にそれでいいのか？　妹の証言によると、ヘンネルの街で購入した服のサイズは、国防軍標準型演習服よりも一回り大きなウエストだったそうじゃないか。本当に、このままでいいのか？　そのうち下関名物ハリセンボン提灯のような体形になってしまうぞ！　ヒモを付けたら、風船のように大空に浮き上がってしまわないか？

　こうして騒がしい昼食を終えて、俺たちは再び馬車に乗り込んで出発する。手綱はアリシアに握ってもらって、妹と明日香ちゃんは馬車の後方を走って追走する。大した速度ではないが、カロリーの消費と体力づくりを兼ねたトレーニングを明日香ちゃんは義務付けられているのだった。並走する妹は、コーチ兼護衛役を務める。

　おや、明日香ちゃんが、またゴネているな。

　

「さくらちゃん！　食べた後ですぐに走ると、お腹が痛くなってきます！」

「明日香ちゃんは、見苦しい言い訳をするんじゃないんだよ！　走りたくないという魂胆が、ミエミエなんだからね！」

「私も馬車に乗りたいんですよぉ～！」

「そうやって自分を甘やかしていると、際限なく太っていくんだよぉぉ！」

「ヒドいです！　さくらちゃんなんか、バカのくせに！」

「このブタ野郎！　って呼んであげてもいいんだからね！　ツベコベ言わずに、チャキチャキ走るんだよ！」

　こうして、順調に育っていく腹回りの脂肪を減算するため、明日香ちゃんの果てしない戦いが繰り返されていくのであった。

　

　

　話は変わって……

　

　ナウル王国の王都に入った俺たちは、３日間そこで過ごして情報を集めていた。話によると、謀反を起こした公爵の館には王太子の軍が押し掛けて、嫡男のライエルの身柄を拘束したそうだ。牢から引き出されたライエルは、５日間飲まず食わずだったせいでやつれきっており、何の抵抗もせずに身柄を王都に送られたらしい。おそらく厳しい処分が下されるのであろう。同情はしないけど……

　その他、公爵家の主な家族や配下も次々に捕らえられているそうだ。国を乗っ取ろうとした公爵家の野望は、この戦いをもって潰えた形だな。別段何の感慨もないけど、ひとまずは、ナウル王国を害しようとした悪性の腫瘍を取り除けたな。

　王都を歩いた際、目前まで迫っていた戦乱が無事に終息して、住民は安心した表情を浮かべていたのが、俺の印象に残っている。

　それとは別に、興味深い話も聞けたぞ。

　それは、ナウル王国の建国神話だった。

　その神話によると、ナウル王国は白神が遣わした巨人族によって創り上げられた国家で、太古の時代は代々巨人の王が治めていたそうだ。時代が下るにしたがって、強大な力を振るっていた巨人の王は、次第にその力を失い、その王座に取って代わったのは、巨人の配下であった人間だった。どうやら巨人族の数が元々少なかったせいで、他の種族との婚姻などで、その血が薄まったことが原因とされている。

　こうして、今から千年前からこの方、ナウル王国は人族の王が治める国として歴史を刻んでいるらしい。でも、自分たちの古い祖先が巨人であるという神話は、いまだ日に人々の間に深く根付いており、その巨人をかたどったモニュメントが、街のいたる箇所に見受けられる。

　宗教的にも、巨人と彼らをこの地に遣わした白神に対する信仰が、人々の生活の中に根差しているらしい。言ってみれば、古い時代の祖先を祀っているわけだな。

　それから気になったのは、ナウル王国に住む人々の多くが太古の巨人の血を受け継いでいるのか、男女ともに体格がいい点だ。身長２メートルを超える大柄で筋骨隆々の冒険者が、王都を闊歩している様子をしばしば目にしたぞ。女性も身長が１７５センチの俺よりも上背がある人たちが、半数以上を占めているかもしれない。

　人種的には、金髪やプラチナ色の髪をした、碧眼で色白の容貌をしている人たちが多かったな。地球でいえば、北欧辺りに昔から住んでいる人々とよく似ている。近頃の地球では、人種の区別をするべきではないと声高に主張する人たちがいるが、パッと見の外見の特徴なんだから、こう説明するしかないよな。他の説明方法があるのなら、こっちが教えてもらいたい。そもそも異世界の話なんだから、人種差別などには当たらないはずだ。たぶん……

　この話とは別に、これから俺たちが向かうフランツ王国に関する情報も仕入れたぞ。

　フランツ王国は、このキアーズ大陸を支配する５つの国家のひとつで、大陸の東側の海岸線に面している、人族が支配する王国だ。元々は、ナウル王国の一地方であったが、宗教的な対立の末に分裂した経緯がある。

　フランツ王国の大部分の人々は、白神と巨人族に対する信仰を捨てて、唯一神を祀って崇めているそうだ。たぶんキリストやマホメットのような宗教の開祖が、その地に現れた結果なんだろうな。約５００年前から、人々は祖先に対する信仰を捨て去り、その唯一神を信仰するようになった。

　その結果として、旧来の神と新たな神を信仰する両者の対立を招いたのは言うまでもない。その対立が行き着いて、国家の分裂という悲劇的へと導かれていったのだろう。こうして現在は別の国としてそれぞれが成り立ってはいるが、正式にフランツ王国が成立するまでの間には、血みどろの内乱が繰り広げられてのではないだろうか？

　これは地球の歴史を鑑みて美鈴が導き出した一つの想定であって、本当に正しいのかどうかは定かではない。しかし、いまだにナウル王国とフランツ王国は、事あるごとに対立を繰り返しているそうだ。要は、大変仲が悪いという話だ。

　ヘンネル公爵がフランツ王国と密約を交わしたのも、敵の敵は味方という論理だったのかもしれない。王太子を打倒するために、そもそものナウル王国の仮想敵国であったフランツ王国と手を組むという方策は、思慮の浅い人間ならば飛び付きそうな魅力的な提案だろう。悪手ではあるが……

　謀反を起こした首謀者は、仮に公爵陣営が戦いに勝利しても、後々ナウル王国がフランツ王国に飲み込まれかねないという大きな禍根を残す事態を、想定していなかったのだろうか？　そうならなくとも、ナウル王国の国内において、フランツ王国の影響はかつてないほど高まっていったことだろう。

　フランツ王国の立場からすると、公爵家が勝てばよし、仮に王太子陣営が勝利しても、それはそれで構わないと考えていたに違いない。要は、互いに争った結果、疲弊してくれればよかったのだ。この程度の謀略ならば、俺の頭でも流れが読めてくるんだぞ！　ちゃんと自分で考えた結果だから、そこのところは誤解しないでもらいたい。いつまでも美鈴頼みでは、国防軍中尉の立場がないし……

　こう考えると、公爵はフランツ王国にまんまと踊らされたようなものだな。もしかしたら、今回の謀反の真の黒幕は、フランツ王国かもしれない。バカな公爵を操って、王位を餌に謀反を起こさせる。ナウル王国の国内が混乱すれば、フランツ王国としてはシメシメだろう。

　となると、俺たちはこの世界の今後の歴史に、大きな介入をしてしまったんだな。今更やってしまったことは、この際どうでもいいか。過去にも、歴史をひっくり返すような事件をたびたび起こしているし。

　

　それにしても、ナウル王国の王都で聞こえてくる話では、フランツ王国の評判はすこぶるよくない。むしろ、いい評判がまったく聞こえてこないのだ。中には商売相手として取引をしている商人などもいるだろうが、彼らもフランツ王国を語る際は、挙って眉を顰めるのだった。

　そして、その理由は、３日後に判明する。草原を南に進んだ馬車は、フランツ王国の最も北にある街に到着したのだ。明日香ちゃんのマラソンタイムは本日のノルマを終えて、馬車の手綱は妹が手にしている。

「止まれ！　お前たちは何者だ？！」

「南を目指して旅をする冒険者です」

　街の門を警備する兵士が、馬車に近づいてくる。その居丈高な態度と物の言い方には、内心ムッとくるが、努めて表情には出さないようにしておこう。順番に馬車を降りて冒険者カードを提示する。

　そして、最後にアリシアとカレンが降り立つと、門番の兵士はハッとした表情に変わる。俺たちをあからさまに見下す表情だったのが、まさかという驚きに包まれるのだった。そして、その兵士はアリシアとカレンを責めるかのように、指を突き付けてなじり始める。

「お前たちには、白人種としての誇りはないのか！　こんな黄人種などと一緒に馬車に乗るとは、汚らわしいにもほどがある！」

　おいおい、こんな差別的な暴言を、アメリカ辺りで吐いてみろよ！　大炎上間違いなしだぞ！

　突然の出来事で何を言われているのか理解が追い付かなかったカレンの瞳が、ある瞬間を境にして銀色に変化する。もちろん、ミカエル降臨の合図だ。どうやらこの兵士は、俺たちの外見上の人種の違いを問題視しているらしい。言われてみれば、アリシアとカレンだけは、外見は金髪碧眼と銀髪エメラルドの瞳だったな。二人とも、色白だし。

　ミカエルは、傍に立っている兵士にも聞えよがしの声で、俺に問い掛ける。妹と大魔王様は、この成り行きを楽しそうな表情で眺めているな。

「我が神！　我の目の前には、我が神を悪し様に呼ばわる不埒な輩がおりまする。いっそ、この不遜極まりなき街を、我が神に成り代わってこのミカエルが滅ぼしましょうか？」

「ミカエル、ちょっと待とうか！　もう少し、詳しい事情を聴いてからでも、遅くないから」

「我が神の仰せ通りに」

　ふう、危ない危ない！　ミカエルは俺に向けられた悪意に非常に敏感だ。勝手にカレンの意識から浮上して、二言目には『滅ぼしましょうか？』と、口にする。この天使を押し留めるには、中々の精神力を要する。　

「おい、そこの銀眼の女！　我が神とは一体何の話だ？！　この国で神といえば、アウラ神のみであるぞ！」

「神を恐れぬ不埒者が！　死ぬがよい！」

　このバカ兵士がぁぁぁぁ！　せっかく人が抑えていたのに、ミカエルの神経を逆撫でするフレーズを口にしやがった！　俺が止めようとしたその時には、すでに手遅れだった。

「うん？　な、なん…だ…？」

　うわ言のような言葉を口にしたと思ったら、その兵士はクタクタと地面に崩れていく。体の力が失われて、顔面は蒼白となっているようだ。すでに息もしていないだろう。

「我が神！　不埒者には神罰を！　この愚か者の魂は、二度と復活せぬよう滅ぼしました」

「えーと……　天界の術式でも、復活しないのか？」

「当然でございます！　復活に必要な魂を消し去りましたゆえ」

　ミカエルの表情は、芸をした飼い犬がご褒美のおやつを欲しがるかのような、ピカピカの笑顔を湛えている。俺のためとはいえ、人ひとりをあっさりと死に至らしめるんだから、エスカレートすれば世界ごと滅ぼしかねないな。とはいえ、ピカピカテカテカの笑顔を向けられると、注意もしにくい。

「ま、まあ、ほどほどにするんだぞ。間違っても、日本ではやらないように」

「我が神の御心に叶って、僥倖にございます！」

　叶ってないし！　止めようとしたのが、間に合わなかっただけだし！

　おや！　この光景を横で見ていた美鈴と妹が、ミカエルの傍へやってくるぞ。何をするつもりなんだ？

「ミカエル、上々の手際であるな」

「カレンちゃんも、本気を出すとヤルねぇ！　カレンちゃんが仕留めなかったら、さくらちゃんがブン殴っていたよ！」

「これはルシファー殿と獣神殿！　まだまだ若輩者のミカエルをお褒めいただいて恐縮です」

　火に油を注いで、横にそっとニトログリセリンを配置するような真似は、やめるんだぁぁぁぁぁ！　先輩格のルシファーからお褒めの言葉をいただいて、ミカエルがますますヤル気に満ち溢れているじゃないかぁぁ！

　うん？　そういえば、ミカエルは、妹に対してもへりくだった態度を取っているな。天使よりも獣神のほうが、格上なのか？　まあ、そんなことはどうでもいいだろうし。

　そうこうしているうちに、異変を察知した門番の詰所から、数人の兵士が俺たちのいる場所へやってくる。

「こ、これはどうしたんだ？！」

「隊長殿！　ヘンゼルはすでにこと切れております！」

「ぬぬぬぬ！　貴様らがヘンゼルを殺したのかぁぁ！」

　額に青筋を立てて、隊長と呼ばれた兵士は、俺たちに食って掛かる。でも、外傷はないし、直接手を触れたわけでもないから、一切証拠が残っていないんだよな。

「病気だったんじゃないですか？　話をしていたら、急に具合が悪くなったようだし」

「こいつは、さっきまでピンピンしていたんだぞぉぉ！　貴様らの仕業に違いない！　これだから卑しい黄人族は！」

　俺に向かって、人差し指を突き立てる。だが、この行為がミカエルの逆鱗に触れた。

「死ぬがよい！」

　再びミカエルの口から、魂を滅ぼす恐怖のフレーズが飛び出すと、隊長はクタクタと崩れて、そのまま動かなくなった。その光景を目の当たりにした門番たちの間に、恐慌にも似た感情が引き起こされる。

「こいつらは、悪魔の使徒だぁぁ！　取り押さえろぉぉ！」

「誰に向かって、使徒などとほざくのだ？　我は夜と暗黒をつかさどるルシファー！　真なる闇と冥界の主に祈りを捧げて、地にひれ伏すのだ！」

　ちょっと待つんだぁぁぁ！　そこの美鈴さん！　今度は、あなた様の出番ですか？　ミカエル一人でも抑えるのに手を焼いているときに、あなたまで暴走開始ですか？

　しかも、その原因は『悪魔の使徒』と呼ばれて、腹が立てたって？　問答無用で、斬りかかってくる兵士たちの態度じゃなくて、単なる呼び方が地雷だったのか？　そんな原因で怒っちゃうなんて、沸点低すぎっ！

　ルシファーが、パワーアップした大魔王様の威厳を放つと、兵士たち全員が気を失ってその場に倒れる。ついでに、親父と明日香ちゃんも、揃って気を失っている模様だ。魔力を無効化する明日香ちゃんも、大魔王様の威厳の前には、抵抗する術はなかったらしい。

「ミカエル、まずは親父と明日香ちゃんの目を覚まさせてくれ」

「承知いたしました」

　白い光が当てられると、二人は周囲をキョロキョロしながら目を覚ます。

「あれ？　急に目の前が暗くなったような……」

「どうしたんだろうな？　貧血か？」

　二人とも、何もなかったんだぞ！　いいか、何もなかったんだからな！

　さあ、あとは、門番の兵士から俺たちの記憶を消してしまえば、証拠は何も残らないはずだ。

「それじゃあ、ミカエルは、倒れている兵士たちの記憶を適当にいじってくれ！」

　だが、ミカエルが返事をする前に、この場の主役に躍り出た人物が割って入る。こちらのお方も、ミカエルに負けぞ劣らず、その表情がテッカテカに輝いている。

「スサノウ殿！　まあ、この場はこのルシファーに任せるのだ！」

「ルシファーさん！　そのですね」

「だから、その呼び方はやめろと申しておるだろうが！　体中がこそばゆい！」

「えーと、それでルシファーは、どうするつもりなんだ？」

「決まっておろう！　こうするのだ！　一片も残さずに燃え尽きよ！　ヘルファイアー！」

　倒れている兵士たちは、あっという間に漆黒の炎に包まれたかと思ったら、真っ白な灰に変わった。その間、彼らは一言も発する暇もない、あっという間の出来事だった。どう考えても、ヘルファイアーまで、パワーアップしている。地面に残っているのは、金属が融解した剣や槍の残骸だけという、凄まじい惨状だ。

　物は相談だけど、どうかルシファーさん、俺の精神衛生のために、しばらく登場しないでいただけないだろうか。ご降臨で引き起こされる結末が、覚醒以前と比べて恐ろしすぎる！　どう見ても、当社比３倍くらいの大幅なグレードアップに成功しているぞ！

「これで、我の行く手を邪魔する下賤の者はいなくなったな！　さて、堂々と入城するぞ！」

　こうして、俺たちはフランツ王国最北の街、タランスに入っていくのだった。