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【書籍②発売】最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!【コミカライズ連載スタート】  作者: 榛名丼
第1部

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第8話.三人目の攻略対象

 

 ごはんを食べればもっと頭が回って、他のことも思いだすかもしれないし。

 希望的観測を抱きながら、二十近くある席のひとつに腰を下ろす。


「――んー、おいしい!」


 運ばれてきた料理は期待通り、とてもおいしいものだった。


「前菜の盛り合わせまでも、おかわりしたいレベルだわ。ピンチョスもたくさん種類があってかわいいし……こっちは真鯛、によく似た魚のポアレね。身がたっぷり詰まって、ふわふわしてる。レモンのソースがさっぱりしててよく合うぅ……」


 カトラリーを手に、私は豪勢な料理に舌鼓を打つ。

 中流家庭で生きてきただろう私には、数年に一度、何かの記念にお目に掛かれるかどうかという豪華なディナーだ。もちろんというべきか洋食で、今日は魚料理が中心だった。


 おいしい。もう、どれも感動レベルでおいしい!

 身悶えするくらい料理を味わいながら、ぽつり、と小さく呟く。


「でも、なんか……」


 どうしてもそれが味気ないものだと感じるのは、ひとりでの食事だったからだろう。


 アンリエッタの両親は馬車の転落事故で数年前に亡くなっている。そして残されたリージャス家の二人兄妹は、仲良しこよしという関係ではなかった。

 広すぎる屋敷では偶然出会すことなんて滅多にないし、食事や家族団らんの時間もない。ただでさえ当主である彼は多忙なので、会って話をするには使用人を通したほうが早いくらいだ。


 私は薄味のトマトスープをスプーンで掬いながら、ぼんやりと思う。

 広すぎる食堂。埋まらない椅子。美しいだけの、他人行儀な調度品。食べきれない量の食事。


 この屋敷には温かみがなくて、寂しい。

 でも、それが当たり前のことだと私は知っている。私というより――アンリエッタは、この寂しさをよく知っている気がした。


 疼く胸を、ぎゅっと服の上から押さえる。孤独を紛らわせようと、私は給仕に話しかけた。


「ねぇ、良かったら一緒に食べない?」


 駄目元での提案だったのだが――次の瞬間、年若そうな彼の瞳にぶわっと大量の涙が盛り上がる。


「何か……何か粗相がございましたか!」

「え、違うわ、そうじゃなくて」

「どうか辞めさせないでくださいお嬢様! リージャス家を追いだされたら、自分に行き場はありません!」

「ち、違うんだって」


 わんわんと泣き喚く給仕。騒ぎを聞きつけたのか、厨房から中年の料理長まで泣きながら駆けつける。


「お嬢様、首を刎ねるのであればどうか私の」

「だから、違うわよ!」


 学園で嫌われているアンリエッタは、家の中では恐れられる存在らしい。

 二人を泣かせてしまった私は、すっかり困り果てた。庶民の感覚で発言するのは避けたほうが良さそうだと、今さらのように思う。

 おいおいと泣く彼らに聞こえているかは分からなかったが、とりあえず思ったことを口にする。


「あのね、えっと……どれもおいしいけど、量はもうちょっと少なめでいいわ。こんなに食べたら太っちゃうし」


 余ったら、きっと使用人で分け合って食べるのだろう。それなら、最初から彼らの分に多くの食材を使ってくれればいい。リージャス家の財政についてはよく知らないが、隅々まで手入れが行き届いた屋敷の様子や当主の手腕からしても、逼迫しているということはないだろう。


「はい? 今、おいしい……と?」


 そこを突っ込まれるのかと思いきや、料理長が着目したのは別の箇所だったらしい。

 潤んだ目で見つめられた私は、戸惑いながらもこくこく頷く。


「ええ、おいしいわよ。その、毎日おいしい食事を作ってくれてありがとうね」


 私はアンリエッタじゃないから、彼の料理を食べるのは今日が初めてだ。

 でも今まで、彼はリージャス家の人々のために朝夕の食事を準備してきた。お礼の言葉がなくても手抜きせず、職務に忠実に励んできたはずだ。その姿勢には、きちんとお礼を伝えておきたいと思った。


「アンリエッタお嬢様……」


 泣き止んだはずの二人が、なぜか再びさめざめと泣きだす。

 私は焦った。ひとつだけ、このまま忘れられては困ることがあったのだ。


「ところで、デザートは?」


 すると料理長は涙を拭って、初めて笑顔を見せた。


「すぐにお持ちします、本日はマスカルポーネのプリンですよ、アンリエッタお嬢様!」


 こんな感じで。

 夕食の席は大騒ぎになったが、なんとか乗りきることができた。

 おいしい料理、それに濃厚で甘いデザートまで味わったはずなのに、なんでか気力を消耗してしまったが。


 そんな私に、後ろをついてくるキャシーが控えめに話しかけてきた。


「お嬢様、お疲れですか?」

「ううん、大丈夫。あっ、そうだ。ノア……お兄様は夕食を食べられたのかしら」

「ノア様はいつも通り、簡単なお食事だけとられたようです。多忙な方ですから」


 簡単な食事というのは、おそらく軍隊の携行食レベルのものだろう。そうやって効率ばかりを重視するノアはカレンと出会うことで、人間らしくなっていくんだけど……。


 ぴたっ、と廊下の真ん中で立ち止まる私に、キャシーは不審そうにしている。


「ねぇキャシー、お兄様に取り次いでちょうだい。アンリエッタが伺いますと」

「え? ノア様に、ですか?」


 キャシーは困惑していたが、とりあえず大人しく従ってくれた。


 そうして私は、今日のうちに会うことに決めた。アンリエッタの兄――リージャス伯爵家の当主であり、攻略対象のひとりでもある、ノア・リージャスに。


 断られる可能性もあったが、十数分後、ノアからは了承の返事があったのだった。


 ◇◇◇


 ノアとアンリエッタは同じ屋敷に住んでいるが、その居住空間はほとんど重なっていない。


 アンリエッタは二階に部屋を持つが、ノアは三階にいくつもの部屋を持っている。ノアは伯爵として国家に尽くしながら、魔法騎士団の副団長という立派な肩書きを持つ。しかも騎士団の中でも一握りの人間だけが抜擢される【王の盾】の一員でもあるという超絶エリートだ。


 人呼んで”カルナシアの青嵐せいらん”。才気溢れる彼の名は国内外で知られていた。

 ドアをノックすると、「入れ」と短い返事がある。緊張にこくりと唾を呑みながら、私は執務室に続くドアを開ける。


「失礼いたします」


 一礼した私は、こちらを見向きもしない兄を見つめる。


 部屋の主であるノアは、彫刻のように美しい男だった。

 アンリエッタと同じ銀色の髪は、襟足だけが少し長い。涼しいを通り越して凍てついたような青の瞳は、机上の書類だけに注がれている。


 目鼻立ちの美しさはさることながら、座っていても分かる高身長に、鍛え上げられた武人の体躯。『ハナオト』でも特に人気が高かった絶対零度の完璧人間を前にして、感動しなかったといえば嘘になる。


 しかしいざ目の前にすると、私は緊張で固まらずにいられなかった。彼の放つ触れれば切れるほど張り詰めた気配は、距離を置いて立っていてもすさまじいものだったのだ。


 硬直する私に、ノアは書類をめくりながら冷たい声で言う。


「さっさと用件を済ませろ。お前と違って、俺は暇じゃない」


 うぐっ、辛辣。

「本当にゲーム通りの性格なんだなー」と感心すると同時、「妹に対してその態度はひどすぎない?」と思う自分もいる。

 率直にいえば、緊張で戻してしまいそうだった。画面越しではないノアの迫力がそうさせるのか。それともこれは、アンリエッタ自身の感情なのか……。


 こほん、と咳払いをひとつ。私は心を落ち着かせてから、ノアに話しかけた。


「実は、お兄様に折り入ってお願いがありまして」


 ペンの動きを止めたノアが、すっと目を細める。


「お兄様、だと?」


 その視線だけで、室内に冷風が吹き荒れた気がした。

 言いたいことは分かる。ノアとアンリエッタに兄妹らしい交流は、今の今まで一度もなかった。それが急に「お兄様」なんて呼んできたら驚くことだろう。


「ええ。お兄様に、私から、お願いが」


 あえて強調すれば、ノアは小さく鼻を鳴らして「なんだ」と先を促してくる。

 ごくり、と私は唾を呑み込む。

 この選択が正しいのかは、今も分からない。ここに来るまでに何度も迷ったのだ。


 でも、きっと、私がアンリエッタ・リージャスとして生き残るために必要なこと。最も手っ取り早い方法。それは――。


「魔力をなくしたいのです」

「…………は?」

「魔力をなくす方法をご存じありませんか、お兄様」


 しばらく、執務室に沈黙が落ちる。

 それは夕食で満たされていた胃が縮んでしまうほど、身体にも心にも悪い沈黙だったが……やがて合点がいったように、ノアが頷いた。


「ああ、そういうことか」


 私はぱっと顔を輝かせる。

 そういうことです、お兄様!


「また悪だくみか。気に食わない生徒の魔力を奪ってやろうという魂胆だな?」


 いやぜんぜん違います、お兄様!

 ノアは眉間を揉みながら、怒気のにじむ声で言い放つ。


「いい加減にしておけよ、アンリエッタ・リージャス。下らない思いつきをする暇があるなら、その空っぽの脳みそに教科書の一文でも叩き込んでおけ」


 ここにカレンがいてくれたら、どんなに良かっただろう。選ばれし主人公なら、鉄壁のノアのガードだって簡単に崩せるだろうに。

 でも、ないものねだりをしたって始まらない。私は私の言葉で、この冷徹な兄を説得しなければならないのだ。


「私の話をちゃんと聞いてください、お兄様!」


 私は声を張り上げる。このまま誤解されていては、話が一向に進まないからだ。


「なくしたいのは、私の魔力です」

「……は?」

「私は、自分の魔力をなくしたいのです!」

「医者を呼ぶ」


 しかしノアはまともに取り合ってくれない。


「食堂でも騒ぎを起こしたそうだな、今日のお前はいつにも増しておかしい」


 数時間前の出来事は、しっかりノアの耳にも入っていたらしい。それを意外に思う暇もなく、彼の手が動く。

 ちりんちりーん、と手元のベルを鳴らされたら、そこで試合終了だ。私は執務机に身を乗りだすようにして訴えた。


「私は正気です!」


 至近距離で目が合えば、全身の産毛が逆立つ。それだけで泣きたくなるようなほど、冷たい目を向けられているから。

 それでも、決して自分から逸らすことはしなかった。今ここで引き下がれば、二度とノアと会話する機会はない。そんなふうに思えたのだ。


 心臓がばくばく鳴る。息が上がる。

 私が引かないからか、ノアが小さく舌打ちした。


「この国に生まれた人間にとって、魔力がどれほど重要なステータスか知らないわけじゃないな」


 ひとまず会話を続ける気になってくれたようだと、私は安堵する。


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