第8話.三人目の攻略対象
ごはんを食べればもっと頭が回って、他のことも思いだすかもしれないし。
希望的観測を抱きながら、二十近くある席のひとつに腰を下ろす。
「――んー、おいしい!」
運ばれてきた料理は期待通り、とてもおいしいものだった。
「前菜の盛り合わせまでも、おかわりしたいレベルだわ。ピンチョスもたくさん種類があってかわいいし……こっちは真鯛、によく似た魚のポアレね。身がたっぷり詰まって、ふわふわしてる。レモンのソースがさっぱりしててよく合うぅ……」
カトラリーを手に、私は豪勢な料理に舌鼓を打つ。
中流家庭で生きてきただろう私には、数年に一度、何かの記念にお目に掛かれるかどうかという豪華なディナーだ。もちろんというべきか洋食で、今日は魚料理が中心だった。
おいしい。もう、どれも感動レベルでおいしい!
身悶えするくらい料理を味わいながら、ぽつり、と小さく呟く。
「でも、なんか……」
どうしてもそれが味気ないものだと感じるのは、ひとりでの食事だったからだろう。
アンリエッタの両親は馬車の転落事故で数年前に亡くなっている。そして残されたリージャス家の二人兄妹は、仲良しこよしという関係ではなかった。
広すぎる屋敷では偶然出会すことなんて滅多にないし、食事や家族団らんの時間もない。ただでさえ当主である彼は多忙なので、会って話をするには使用人を通したほうが早いくらいだ。
私は薄味のトマトスープをスプーンで掬いながら、ぼんやりと思う。
広すぎる食堂。埋まらない椅子。美しいだけの、他人行儀な調度品。食べきれない量の食事。
この屋敷には温かみがなくて、寂しい。
でも、それが当たり前のことだと私は知っている。私というより――アンリエッタは、この寂しさをよく知っている気がした。
疼く胸を、ぎゅっと服の上から押さえる。孤独を紛らわせようと、私は給仕に話しかけた。
「ねぇ、良かったら一緒に食べない?」
駄目元での提案だったのだが――次の瞬間、年若そうな彼の瞳にぶわっと大量の涙が盛り上がる。
「何か……何か粗相がございましたか!」
「え、違うわ、そうじゃなくて」
「どうか辞めさせないでくださいお嬢様! リージャス家を追いだされたら、自分に行き場はありません!」
「ち、違うんだって」
わんわんと泣き喚く給仕。騒ぎを聞きつけたのか、厨房から中年の料理長まで泣きながら駆けつける。
「お嬢様、首を刎ねるのであればどうか私の」
「だから、違うわよ!」
学園で嫌われているアンリエッタは、家の中では恐れられる存在らしい。
二人を泣かせてしまった私は、すっかり困り果てた。庶民の感覚で発言するのは避けたほうが良さそうだと、今さらのように思う。
おいおいと泣く彼らに聞こえているかは分からなかったが、とりあえず思ったことを口にする。
「あのね、えっと……どれもおいしいけど、量はもうちょっと少なめでいいわ。こんなに食べたら太っちゃうし」
余ったら、きっと使用人で分け合って食べるのだろう。それなら、最初から彼らの分に多くの食材を使ってくれればいい。リージャス家の財政についてはよく知らないが、隅々まで手入れが行き届いた屋敷の様子や当主の手腕からしても、逼迫しているということはないだろう。
「はい? 今、おいしい……と?」
そこを突っ込まれるのかと思いきや、料理長が着目したのは別の箇所だったらしい。
潤んだ目で見つめられた私は、戸惑いながらもこくこく頷く。
「ええ、おいしいわよ。その、毎日おいしい食事を作ってくれてありがとうね」
私はアンリエッタじゃないから、彼の料理を食べるのは今日が初めてだ。
でも今まで、彼はリージャス家の人々のために朝夕の食事を準備してきた。お礼の言葉がなくても手抜きせず、職務に忠実に励んできたはずだ。その姿勢には、きちんとお礼を伝えておきたいと思った。
「アンリエッタお嬢様……」
泣き止んだはずの二人が、なぜか再びさめざめと泣きだす。
私は焦った。ひとつだけ、このまま忘れられては困ることがあったのだ。
「ところで、デザートは?」
すると料理長は涙を拭って、初めて笑顔を見せた。
「すぐにお持ちします、本日はマスカルポーネのプリンですよ、アンリエッタお嬢様!」
こんな感じで。
夕食の席は大騒ぎになったが、なんとか乗りきることができた。
おいしい料理、それに濃厚で甘いデザートまで味わったはずなのに、なんでか気力を消耗してしまったが。
そんな私に、後ろをついてくるキャシーが控えめに話しかけてきた。
「お嬢様、お疲れですか?」
「ううん、大丈夫。あっ、そうだ。ノア……お兄様は夕食を食べられたのかしら」
「ノア様はいつも通り、簡単なお食事だけとられたようです。多忙な方ですから」
簡単な食事というのは、おそらく軍隊の携行食レベルのものだろう。そうやって効率ばかりを重視するノアはカレンと出会うことで、人間らしくなっていくんだけど……。
ぴたっ、と廊下の真ん中で立ち止まる私に、キャシーは不審そうにしている。
「ねぇキャシー、お兄様に取り次いでちょうだい。アンリエッタが伺いますと」
「え? ノア様に、ですか?」
キャシーは困惑していたが、とりあえず大人しく従ってくれた。
そうして私は、今日のうちに会うことに決めた。アンリエッタの兄――リージャス伯爵家の当主であり、攻略対象のひとりでもある、ノア・リージャスに。
断られる可能性もあったが、十数分後、ノアからは了承の返事があったのだった。
◇◇◇
ノアとアンリエッタは同じ屋敷に住んでいるが、その居住空間はほとんど重なっていない。
アンリエッタは二階に部屋を持つが、ノアは三階にいくつもの部屋を持っている。ノアは伯爵として国家に尽くしながら、魔法騎士団の副団長という立派な肩書きを持つ。しかも騎士団の中でも一握りの人間だけが抜擢される【王の盾】の一員でもあるという超絶エリートだ。
人呼んで”カルナシアの青嵐”。才気溢れる彼の名は国内外で知られていた。
ドアをノックすると、「入れ」と短い返事がある。緊張にこくりと唾を呑みながら、私は執務室に続くドアを開ける。
「失礼いたします」
一礼した私は、こちらを見向きもしない兄を見つめる。
部屋の主であるノアは、彫刻のように美しい男だった。
アンリエッタと同じ銀色の髪は、襟足だけが少し長い。涼しいを通り越して凍てついたような青の瞳は、机上の書類だけに注がれている。
目鼻立ちの美しさはさることながら、座っていても分かる高身長に、鍛え上げられた武人の体躯。『ハナオト』でも特に人気が高かった絶対零度の完璧人間を前にして、感動しなかったといえば嘘になる。
しかしいざ目の前にすると、私は緊張で固まらずにいられなかった。彼の放つ触れれば切れるほど張り詰めた気配は、距離を置いて立っていてもすさまじいものだったのだ。
硬直する私に、ノアは書類をめくりながら冷たい声で言う。
「さっさと用件を済ませろ。お前と違って、俺は暇じゃない」
うぐっ、辛辣。
「本当にゲーム通りの性格なんだなー」と感心すると同時、「妹に対してその態度はひどすぎない?」と思う自分もいる。
率直にいえば、緊張で戻してしまいそうだった。画面越しではないノアの迫力がそうさせるのか。それともこれは、アンリエッタ自身の感情なのか……。
こほん、と咳払いをひとつ。私は心を落ち着かせてから、ノアに話しかけた。
「実は、お兄様に折り入ってお願いがありまして」
ペンの動きを止めたノアが、すっと目を細める。
「お兄様、だと?」
その視線だけで、室内に冷風が吹き荒れた気がした。
言いたいことは分かる。ノアとアンリエッタに兄妹らしい交流は、今の今まで一度もなかった。それが急に「お兄様」なんて呼んできたら驚くことだろう。
「ええ。お兄様に、私から、お願いが」
あえて強調すれば、ノアは小さく鼻を鳴らして「なんだ」と先を促してくる。
ごくり、と私は唾を呑み込む。
この選択が正しいのかは、今も分からない。ここに来るまでに何度も迷ったのだ。
でも、きっと、私がアンリエッタ・リージャスとして生き残るために必要なこと。最も手っ取り早い方法。それは――。
「魔力をなくしたいのです」
「…………は?」
「魔力をなくす方法をご存じありませんか、お兄様」
しばらく、執務室に沈黙が落ちる。
それは夕食で満たされていた胃が縮んでしまうほど、身体にも心にも悪い沈黙だったが……やがて合点がいったように、ノアが頷いた。
「ああ、そういうことか」
私はぱっと顔を輝かせる。
そういうことです、お兄様!
「また悪だくみか。気に食わない生徒の魔力を奪ってやろうという魂胆だな?」
いやぜんぜん違います、お兄様!
ノアは眉間を揉みながら、怒気のにじむ声で言い放つ。
「いい加減にしておけよ、アンリエッタ・リージャス。下らない思いつきをする暇があるなら、その空っぽの脳みそに教科書の一文でも叩き込んでおけ」
ここにカレンがいてくれたら、どんなに良かっただろう。選ばれし主人公なら、鉄壁のノアのガードだって簡単に崩せるだろうに。
でも、ないものねだりをしたって始まらない。私は私の言葉で、この冷徹な兄を説得しなければならないのだ。
「私の話をちゃんと聞いてください、お兄様!」
私は声を張り上げる。このまま誤解されていては、話が一向に進まないからだ。
「なくしたいのは、私の魔力です」
「……は?」
「私は、自分の魔力をなくしたいのです!」
「医者を呼ぶ」
しかしノアはまともに取り合ってくれない。
「食堂でも騒ぎを起こしたそうだな、今日のお前はいつにも増しておかしい」
数時間前の出来事は、しっかりノアの耳にも入っていたらしい。それを意外に思う暇もなく、彼の手が動く。
ちりんちりーん、と手元のベルを鳴らされたら、そこで試合終了だ。私は執務机に身を乗りだすようにして訴えた。
「私は正気です!」
至近距離で目が合えば、全身の産毛が逆立つ。それだけで泣きたくなるようなほど、冷たい目を向けられているから。
それでも、決して自分から逸らすことはしなかった。今ここで引き下がれば、二度とノアと会話する機会はない。そんなふうに思えたのだ。
心臓がばくばく鳴る。息が上がる。
私が引かないからか、ノアが小さく舌打ちした。
「この国に生まれた人間にとって、魔力がどれほど重要なステータスか知らないわけじゃないな」
ひとまず会話を続ける気になってくれたようだと、私は安堵する。








