第53話.王城への招待
「陛下の場合は、それだけじゃない。あの方は、おそらく――お前とラインハルト殿下の婚約を考えている」
「こっっ~~……!」
舌を噛んだ。とても痛かった。
……そうだった。カルナシア王国では、過去にも花乙女が王妃になっている。女神に選ばれた花乙女との婚姻は王家の権勢を強め、名声を高めることに直結するため、王族にとっては何よりも望ましいことなのだ。
過去には花乙女が平民と結ばれた例もあるが、その平民は爵位を賜り貴族への仲間入りを果たしている。どちらにせよ、王族を頂点とする勢力図に取り込まれるということだ。
だが婚約だなんて急に言われても困る。それはラインハルトも同じ気持ちだろうけど。
「婚約はともかく陛下直々のお誘いとなると、こちらの立場では断ることもできないからな。……まぁ、断るよりは素直に従ったほうが状況は改善されるだろうが」
「お、お兄様も一緒に来てくださるんですよねっ?」
焦ったあまり、私は言葉の後半をほとんど聞いていなかった。ノアさえいてくれれば百人力だ、という気持ちでいっぱいだったのだ。
ノアは少し顎に手を当てて思案してから、顔を上げた。
「そのつもりだが、いったん制服に着替えろ。応接間に使者を待たせてある」
そういえば今日は羽を伸ばすつもりで、緩やかなシルエットのワンピースを着ていたのだった。さすがにこの格好では客人の前に出られない。
キャシーの手を借りて手早く着替えを済ませた私は、彼女を連れて応接間へと移動する。
入室すると、王家の使者だという中年男性とノアが向かい合ってソファについていた。私が挨拶やら招待のお礼やらをまごまごしながら伝えると、使者は咳払いしてからノアに視線を戻す。
「それで先ほどのお話ですが、招待されているのはアンリエッタ様おひとりです。ノア殿の同行は許されておりません」
これに私は唖然とした。
ノアが来られないってことは、私ひとりで王城に行かないといけないってこと?
アウェーすぎて無事に済む気がしない。焦りながら視線をやった私は、隣に座るノアの顔を見てぎょっとした。絹糸のような銀髪を透かして、彼の眉間にさらに深い皺が刻まれていたからだ。
「……ほう」
腕組みをして、低く呟くノア。それだけで、まるで室内に冷風が吹き荒れたように錯覚する。
その感覚を味わっているのは私だけではないようで、先ほどまで毅然としていた使者の顔色は蒼白になっている。それでも先の発言を取り消さず唇を引き結んで耐えているあたり、さすが女王の使者だ。覚悟が違う。
だが、ノアは容赦なく追撃する。
「それなら、後ろにいるシホルを護衛としてつけさせてもらう」
「しかし、王城にはじゅうぶんな数の警備が……」
「改めて説明する必要もないだろうが、花乙女を輩出するのは我が家系にとって長年の悲願だ。ようやく誕生した花乙女の安全を確保するために、身内からの護衛は必要不可欠だと思わないか?」
相手に口を挟む隙を与えず、ノアはさらに続ける。
「まさしく先月も、不届きな集団がラインハルト殿下の御身を狙ったばかりだ。殿下の窮地を救った感謝の気持ちをアンリエッタに直接伝えたい、とまでおっしゃってくださる女王陛下のことだ。腕のいい護衛の必要性については、誰よりも理解しているはずだと愚考するが」
長い沈黙の末――最終的に折れたのは、額にだらだら汗をかいた使者のほうだった。
「シホル殿の同行については……承知いたしました」
使者をやり込めたノアは、表情を変えずに頷いた。さすノア。
玄関ホールを出ると、車停めには見慣れない豪華な馬車が停められていた。
考えるまでもなく、王城の馬車である。用意されているのは一台だけで、その傍に馬を連れた十数人の護衛騎士が控えている。しかし王城からの使者は相乗りなどお断りだというように、さっさと騎士のもとに向かっていた。よっぽどノアとやり合うのが恐ろしかったらしい。
それにしても、自由な休日が一気に様相を変えてしまった。どうしたものかと思っていると、ノアが「アンリエッタ」と声をかけてくる。
「何か困ったことがあれば、シホルに判断を仰げ」
私はこくこくと頷く。ノアもキャシーも傍についていてくれないのは、不安ではあるけど……こうなった以上、シホルと共に乗りきるしかない。
「それじゃあ行こうか、お嬢さん」
シホルが馬車のドアを開けてくれる。キャシーから離れた私は、ノアに頭を下げた。
「それでは行ってまいります、お兄様」
「……ああ」
「お気をつけて、お嬢様……!」
初春の薄青い空の下、馬車がゆっくりと動きだす。
窓の外に視線を向けると、ノアはこちらを眼光鋭く見つめている。
私は少し躊躇ってから、そっと片手を振る。ノアはしばらく無反応だったが、やがて組んでいた腕を解くと、注視していないと分からないほどに小さく振ってくれた。
そんなノアたちの姿も遠ざかっていき、私は名残惜しい気持ちで手を下ろす。
馬車は貴族街から、王城に至る石畳の路へと入る。馬車は最高級の素材を使ってあるのか、伯爵家の馬車と比べても格段に揺れが少ない。使者のおじさんには悪いことをしてしまった。
「お嬢さん、緊張してる?」
向かいに座ったシホルがにこやかに話しかけてくる。
シホル・ダレス男爵。彼はノアの補佐であり副官であり、ファンディスクで攻略対象に追加された人物でもある。短い黒髪に黒い瞳をしたシホルも、とんでもなく容姿の整った青年だが、彼はノアと違っていつでも人好きのする笑みを浮かべているのでわりととっつきやすい。
「はい。でも、良かったです。ダレス卿に一緒に来てもらえて」
「ああ。たぶんあの使者、こんなふうに陛下から命じられてたんだ。『頭の切れるノア・リージャスだけは、絶対に連れてくるな。こちらの目論見をことごとく潰されたら、堪ったもんじゃない』……ってな。だからおれの同行ならギリギリ許されるだろうと、ノアはごり押しした」
なるほど。応接間では、思っていた以上に高度な駆け引きが繰り広げられていたようだ。
私が感心していると、シホルが胸に手を当てて軽くお辞儀をする。
「安心してよ、お嬢さん。いざとなったら王城からでもどこからでも、おれがお嬢さんを連れだしてみせるからさ。この命に代えても」
「いえ、代えなくてけっこうです……」
わりと重めなことを、さらりと言わないでほしい。
「そう言わないでさ。あいつ顔に動揺は出ない性質だけど、きっと今頃は何も手につかなくなってるぜ?」
口の端の八重歯を覗かせて笑うシホルだが、そんなノアの姿はまったく想像がつかない。というか、そんな心配をする必要があるのだろうかと私は小首を傾げる。
「それは、大丈夫だと思いますけど」
「ん? なんで?」
「だって、ダレス卿が一緒なんですから」
「……んん?」
何を言われたのか分からない様子で、シホルが眉を寄せる。
「えっと、つまりですね……誰よりも信を置いている副官が、私の傍にいるんですもの。お兄様は何も心配してませんよ」
シホルは、完璧超人のノアが自分の代わりを務められると考えている人物なのだ。まぁ、私が何かやらかすんじゃないかと気がかりに思っている可能性はあるが……。
感じたことを率直に言っただけだったが、シホルはなぜか目を潤ませている。
「お嬢さん……!」
大きく両手を広げるシホルに、私はぎょっとする。
そういえばシホルには抱きつき癖があるんだった。私はシホルが飛びついてくる前に、慌てて口を開く。
「ダ、ダレス卿。馬車が揺れますので!」
「そんなのどうでもいい! シホル兄さんは、心の赴くままにお嬢さんを抱きしめたいんだ!」
「謹んでお断りします!」
画面越しなら大歓迎だが、リアルハグを受け入れるには私の経験値が足りなすぎる。
言葉を尽くしてシホルからの身体接触を躱したところで、聳え立つような城門を通過した馬車が城壁の内側へと入っていく。
高い城壁に囲まれた広大な敷地。遠目によく見ているとはいえ、迫る荘厳な王城に私がそわそわしていると、シホルがなははと笑う。
「懐かしい。おれも最初は、今のお嬢さんくらい緊張してたなぁ」
彼の落ち着きぶりは、ノアと共にしょっちゅう王城に足を運んでいる所以だろう。慣れるほど通うなんて、小心者の私は想像するだけで体調が悪くなりそうだが。
「馬車を降りたら、そのまま謁見の間に連れて行かれると思うぜ。挨拶の練習しておく?」
「ぜひお願いします!」








