第49話.学園長室への呼びだし
「失礼します」
ドアを開くと、学園長室の内装はスチル通りの至ってシンプルなものだった。
手前にソファとテーブル、奥側には木漏れ日に照らされる執務机。家具や調度品の配置などは、ノアの執務室とよく似た雰囲気だ。ただ、壁際には雑多に物が置かれた台が並んでいた。
でも、室内を細かく観察する余裕はなかった。執務机の脇に、副学園長であるモンド・レーエル先生が立っていたからだ。
細い目に、魔女のような鷲鼻。まっすぐ伸びた背筋。御年六十歳の彼女は、王国を代表する優れた魔法士として知られている。魔法の直接的な行使というよりは、魔法研究の分野で数多くの功績を残し、彼女の活躍によって魔法のブラックボックスの多くが解明されていった。
厳格さで有名で、担当する授業は単位を取るのすら難しいそうだが、生徒からの評判は高い。エーアス魔法学園に入れたなら、記念に一度はモンド・レーエルの授業を受けるべき――と言われるくらいだ。
そんなモンド先生の後ろで、小さなシルエットがひょいっと椅子に飛び乗る。
「よく来たな、アンリエッタ・リージャス」
「ハム先生……!」
長いヒゲに包まれた口元をふごふごさせているのは、背の低い老年の先生。
カレンがこの部屋に呼びだされたとき、そこにはモンド先生の姿しかなかった。基本的に学園の代表として表舞台に立つのは、モンド先生の役割だからだ。
しかし私は、学園の一教師として振る舞うハム先生の正体が学園長であると知っている。特に私が動じていないからか、モンド先生は疑わしげにハム先生を見やる。
「学園長。自ら正体を明かしているとは――もしや、アンリエッタ・リージャスが花乙女に選ばれると予想していたのですか?」
「いいや、まさか。だが、リージャスの周りで何かと不可解な出来事が起きるのは事実じゃからな。以前から有力な生徒として注目している、というだけの話じゃ」
食えない笑顔でハム先生が言う。
モンド先生は渋い顔をしていたが、気を取り直すように私に視線を戻した。
「アンリエッタ・リージャス。さっそくですが、あなたにはここで全属性魔法の詠唱をしてもらいます」
えっ、と私の声が上擦る。それが聞こえなかったように、モンド先生は指折り数える。
「水・炎・風・土・光・闇……すべて初級魔法で構いませんので、唱えてみなさい。必要なものはこちらで用意しましたから」
先生が軽く片手を振ると、部屋の隅に用意されていた台が動き、私の前まで移動してくる。台の上には、何も入っていない水桶や蝋燭、育ちの悪そうな植物の鉢植えや猫のぬいぐるみなど、実に様々なものが載せられていた。
その用意の良さに驚きつつ、私は蚊の鳴くような声を発する。
「私……できません」
正直に白状したつもりが、モンド先生は冷たい目で見据えてくる。
「できるかできないかではありません。とにかく、やってみなさい」
ここまで言われては観念する他ない。
私は躊躇いながらも、懐からノアのお下がりである銀色の杖を取りだした。未熟者の証である杖を目にしただけで、モンド先生が上目蓋をぴくりと震わせている。
私は胸の前で杖を構えて、ゆっくりと息を吐く。
何かの奇跡で、ひとつでもいいから魔法が発動してくれますように……そう祈りながら、呪文学で最初に習う一節だけの簡単な魔法を順番に唱えていった。
「【コール・アクア】……溢れろ」
「【コール・イグニス】……燃えろ」
「【コール・アニマ】……吹け」
「【コール・テラ】……育て」
「【コール・ルーメン】……光れ」
「【コール・ノックス】……覆え」
しかし、それらの詠唱によって何かが起こることはない。
詠唱を終えた私は、杖をゆっくりと下ろす。表情を変えずにその様子を見ていたモンド先生が、淡々と述べる。
「そう。聞いていた通り、あなたは一切の魔法が使えないのですね」
クラスメイトと同じだ。本当にお前は花乙女なのか、と疑われている空気をひしひしと感じつつ、控えめながら主張する。
「でも《魔喰い》と戦ったときは、風魔法の発動に成功したんです。同じクラスのイーゼラ……イーゼラ・マニさんと一緒に魔法を使ったので、私の魔法自体は些細なものだったと思いますが」
私はそう伝える。あのときは、確かに魔法を使えたという爽快な感覚があったのだ。
モンド先生は、そんな私の言葉を容赦なく一蹴する。
「それは、すべてイーゼラさんの功績でしょう」
「……!」
どきり、と心臓の鼓動が跳ねる。
「今も魔法が使えなかったのですから、そう考えるべきです。無論、その日の体調や状況によって魔法の出来が左右されることはありますが、今のあなたはそもそも魔力の放出自体ができていない。それではお話になりません」
席を勧められた私は、大人しくひとりがけのソファに座る。正面のソファに腰かけたモンド先生は、厳しい口調のまま話を続けた。
「いいですか? アンリエッタ・リージャス。花乙女には、女神エンルーナより授かった特筆すべき能力が備わっています」
――全属性の魔法が使えること。
――予知夢による未来視ができること。
――心を通わせた相手の能力を飛躍的に上昇させること。
――ありとあらゆる魔法に耐性を持つこと。
花乙女だけが持っているとされる能力について、モンド先生がすらすらと口にする。
「前例はありませんが、おそらくあなたは花乙女として覚醒しきっていないのでしょう。しかし女神エンルーナが選んだ以上、我々はあなたを花乙女として扱う他ありません」
極めて不本意であるという本音まで透けて聞こえてきて、胃が痛くなってきた。
「現状を鑑みて、あなたが花乙女に選ばれた事実は学園卒業まで国民には伏せることになりました。これは女王陛下のご意志でもあります。あなたが花乙女だとみだりに触れ回ることは、生徒を含めた学園関係者全員に禁じてあります。といっても、人の口に戸は立てられないでしょうが……」
あっ。ここに来て初めて、聞き覚えのある台詞が出てきたぞ。
カレンの場合は未熟さが理由のわけではなく、異世界から来たばかりで右も左も分からないから、まずはこの世界に慣れることを優先しよう……と正体が隠される運びになっていたのだ。
モンド先生の言う通り、一部の生徒は親兄弟なんかにこっそり話してしまうだろうけど、その程度の情報漏洩は仕方ないって判断なんだろう。ゲームでも、国民にはどこそこのあの人が花乙女らしいと根も葉もない噂が好き勝手に飛び交い、カレンの顔と名前が知れ渡るような事態にはなっていなかった。
「アンリエッタさん。あなたが花乙女としての能力を遺憾なく発揮できるよう、学園は全力をもって支援していきます。――そこで明日から通常授業は基本的に免除し、まずは初級魔法の習得を目指してもらいます」
「は、はい。分かりました」
花乙女の能力はいろいろと特殊だったり、副次的なものが多い。とりあえずは魔法を取っ掛かりにする、というのが学園側の判断なのだろう。
「ノア・リージャスにも、今月から特別講師として学園に赴任してもらい、あなたの指導に当たってもらう予定です。兄君である"カルナシアの青嵐"がついていれば、あなたも安心するでしょうからね」
ああそれと、とモンド先生は思いだしたように付け加える。
「今月末……四月二十四日からは、三日間をかけて従魔作りの授業が行われます。歴代の花乙女は、全員がSランクかAランクのすばらしい魔物と契約し、カルナシア王国を導いてきました。この授業で、花乙女に相応しい魔物と契約が叶わなかった場合……あなたの立場は、非常に難しいものになるでしょう」
明確なタイムリミットを突きつけられた私の頬を、じっとりと汗が流れていく。
何かしらハム先生が助け船を出してくれないかな、と期待して目線を上げるものの、彼は席に着いたまま目を閉じていた。これって、ひょっとしてうたた寝してるんじゃ……。
私の注意が逸れているのに気づいたモンド先生が、軽くテーブルを叩いて告げる。
「どうか自覚を持って、誠心誠意邁進してちょうだい。アンリエッタ・リージャス」
――そんな冷たい激励によって送りだされた私は、ようやく学園長室を辞していた。








