第5話.妄想炸裂令嬢(冤罪)
「――って、そんなの納得いかないわ!」
「あ?」
「だってエルヴィス様がもともと粗野で乱暴な人間だったなら、魔法薬を飲んで様変わりしたあとに周りがもっと騒ぐはずじゃない! ヤカラが天使になっちゃった~って!」
「痛くもない腹を探られたら厄介だって親に注意されて、普段は猫かぶってんだよ」
「ど、どういうこと?」
「学園だと『粗野で乱暴』な振る舞いはしてねーってこと。黙って微笑んでりゃ、大抵の出来事はどうにかなるしな」
当然だと言いたげな物言いを受けて、返事に窮する。
気づいてしまったのだ。ただの乙女ゲーマーである私は、ゲーム本編が始まる前のエルヴィス様のことを知らない。『ハナオト』限定版予約特典には本編の前日譚が描かれたドラマCDが付属していたけど、時系列的には本編二週間前の話ってことになっていた気がする。今日以降の日付に魔法薬を飲んだとなると、矛盾も生じていないのだ。
じゃあなに。今まで私は嘘のエルヴィス様に恋い焦がれていたの? ううん、嘘っていうのも違うのかもしれないけど……。
そういえば『ハナオト』をプレイしていたとき、エルヴィス様がカレン相手にこんな発言をする場面があった。
『僕、昔はもっとやんちゃな子どもだったそうです。その頃にカレンさんに会ってたら、驚かせたかもしれませんね』
てっきり木登りや虫取りが好きだったとか、そういう微笑ましい話だと思ってたのに! まさかの人格レベル!
何しろ目の前のエルヴィスは、『ハナオト』に出てくる貴公子のエルヴィス様とは声の低さや口調、態度や目つきまで違うのだ。やんちゃなんてかわいい表現で済まさないでいただきたい。でもこれを反転すれば、確かにあの人畜無害なエルヴィス様ができあがるのかも、と納得してしまうけど。
全身から力が抜けていく。
最悪だ。転生して間もなく、私は最悪の失敗をしてしまった。
今すぐ時間を巻き戻して、やり直したい。項垂れながら私は泣きそうな声で呟く。
「あんた、すごいわね。そんなとんでもない薬を作って、しかも自分の身体で試すとか」
「まァ、どうでもいいな。薬学の発展に比べれば、自分の人格がどうなろーと」
薬学一筋なところは、私の知るエルヴィス様とまったく変わらない。そんな事実にますます泣けてきてしまった。ああ、この人、やっぱりエルヴィス様なんだなぁ……。
黙り込んでいると、エルヴィスが私を鋭い目で見つめてくる。
「それはいい。ところでアンリエッタ・リージャス、お前に聞きたいんだが」
「な、なに?」
答えず、つかつかと歩み寄ってくるエルヴィス。あまりの迫力に気圧されて、私は壁際まで追い詰められ――次の瞬間、片手を前に出したエルヴィスがどんっと壁に手をつく。
「ひっ!?」
きっと男子に壁ドンされるというのは、心ときめく体験なのだと思っていた。想像とはぜんぜん違った。刑事に追い詰められる犯人だって、こんなに絶望的な気持ちにはならないだろう。
エルヴィスと壁の間に挟まれた私は身動きが取れなくなる。
何度も美しいと思った翠の目が、そんな私を冷然と見下ろしている。
それが、何よりも恐ろしかった。立ち絵でも、イベントCGでも、エルヴィス様がこんな冷えきった目をしていたことは一度もない。
目の前にいるのは、私の知らない男の人だった。
「――なぜ、人格反転したあとのオレを知っている?」
「!」
そこで私は、自分がさらに大きな過ちを犯していたことにようやく気がつく。
頬を冷や汗が伝う。目が泳ぎそうになる。とっさに見つめ返したのは、我ながらいい判断だったと思う。少しでも隙を見せれば、この獣のような気配をまとう男は私の喉笛を噛みきっていただろうから。
「お前の言動は明らかにおかしい。今まで一言も会話したことがないのに、なぜ誰も知り得ないオレの人格について語れる? まるで、魔法薬が成功した未来を知っているかのように」
私は唇を引き結んで、詰問に耐える。エルヴィスは息苦しくなるほどの圧を感じさせる捕食者の笑みを湛えて、そんな私の一挙一動を見張っていた。
何度も触れてみたいと夢見た柔らかな髪先が、私の頬をつつく。シャンプーの香りなのか、ふわりと漂う森林系の香りが私の鼻腔をくすぐる。
「花乙女は未来を予知することができる、だったか。なァ――暫定・花乙女さんよ」
この上なく緊張が高まったとき。
私は意識して口角を上げて、口を開いていた。
「……それが、私には妄想癖がありまして」
先を促すように、エルヴィスは無言を貫いている。私は声が震えないようにと祈りながら、苦し紛れの言い訳を紡ぐしかない。
「物静かでミステリアスなエルヴィス・ハント様が、もしも誰よりも優しくて甘い好青年だったら――という妄想をして過ごすのが日課なんです。先ほどはつい興奮して、その妄想について熱く語ってしまいましたわ」
うふふ、と恥じらいながらも微笑む淑女。そんな表情を作ってみせる。
エルヴィスの誤解は自然なものだが、そもそも私は花乙女ではない。ザコ令嬢なのである。
目を細めて、そんな私をじぃっと見つめるエルヴィス。私は汗をだらだらかきながら、そんな彼としばし向かい合っていたのだが……。
「ま、そういうことにしといてやるか」
完全に疑いが晴れたわけではなさそうだが、解放してもらう。私はぜえぜえ息切れしながら、調合台に戻るエルヴィスからさりげなく距離を取った。
「言っておくが、オレの本性については他言無用だ。喋ったらどうなるか――分かるな?」
「も、もちろん、承知しておりますとも!」
もうさっさと薬学室を出ていったほうが身のためだろう。忍び足で逃げようとする私の背中に、エルヴィスが世間話を振るように声をかけてくる。
「それにしても、アンリエッタ。お前がそんなにオレのことが好きだとは知らなかった」
ん? なんだって?
聞き間違いかと、立ち止まって振り返る。ふっ、と小馬鹿にするように口角を上げるエルヴィスと目が合った。
「オレで妄想して、自分を慰めてたんだろ? 実力もないくせにお高く止まった女だと思ってたが、少しはかわいいところがあるじゃねェか」
しばらく硬直していた私の顔から、ぼふっと湯気が出る。そう錯覚するほど顔が熱くなっていた。
「ば、ばば、ばかなこと言わないでっ! 私が好きなのはエルヴィス様であって、あんたじゃないから!」
自分では必死に考えたつもりだったが、クラスメイトがもし自分にだけ優しかったらと妄想して楽しんでいた――なんて、ふつうに告白するよりも恥ずかしい告白だ。エルヴィスが勘違いするのも無理はないが、アンリエッタの名誉のためにもしっかり否定しておかなくては。
「はいはい。そういうことにしとくわ」
一切信じていないだろう口調で平然と吐き捨てて、エルヴィスは鍋の片づけを始める。
ぐぬぬぬと私は唸った。何を言ってもエルヴィスの誤解が解けることはないだろう。
それなら、もう開き直るしかないのかも。そう思い至った私は、ぼそりと口にしていた。
「……次こそ作ってよ、魔法薬」
「なんだと?」
「さっきの魔法薬、もう一回作り直して! それで、私を理想のエルヴィス様に会わせてくださいっ! どうか、何卒、よろしくお願いしますっ!」
プライドと羞恥心をかなぐり捨てて、勢いよく頭を下げる。
現在進行形で、チュートリアルで死ぬ伯爵令嬢に転生するなんて悲惨な目に遭っているのだ。せめて推しに出会えるくらいのご褒美がなければ割に合わない。
しかしエルヴィスの返事は素っ気ないものだった。
「お前に言われなくても、作りたいのは山々だけどよ。それは無理な注文だな」
「な、なんで?」
「人格反転の魔法薬には、魔喰い花を始めとして貴重な材料ばかり必要なんだ。今日の調合にだって、ようやく漕ぎ着けたんだからな」
ふぅ、とエルヴィスがため息をつく。横顔に今までの苦労がにじんでいる気がして、私は神妙に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「へぇ、案外素直だな」
「調合が失敗したのは私のせいなので。それはちゃんと謝ります」
「お前こそ、人格反転してねェか?」
ギックーッ。
「気のせいです! でも――私がいずれ、ぜったいに材料を手に入れてみせるので! そうしたら、ちゃんと調合して人格反転してくださいね! 約束ですからね!」
私はそう言い残すと、急いで薬学室を出たのだった。








