第46話.花舞いの儀 (第1部最終話)
「ちょっ。なに、この腕は」
声を上擦らせつつ、私はエルヴィスを押しのけようとする。他の生徒にバレるのを危惧してか、あっさり解放してくれたものの、エルヴィスは悪びれずに舌を出している。
「お前の兄貴が心配そうにしてっから、安心しろって伝えたくて」
「いや、どうしたら今ので安心できるの……」
たぶんノアの目には、妹がクラスメイトにいじめられているようにしか見えないだろう。
ほら見たことか、ノアの眉間には深い皺が寄っている。彼の美貌に騒いでいた女子生徒たちも、ひぃっと声を上げて蒼白になるレベルの迫力だが、見据えられているエルヴィスは動じていない。むしろ薄笑いを浮かべているくらいだ。
やっぱりこの二人って仲悪いの? 何か因縁あったっけ? と私が戸惑ったときである。
噴水広場に、荘厳な鐘の音が響き渡る。
エーアス魔法学園にある高い時計塔。その天辺に飾られた鐘は錆も浮かずに美しいままなのだが、人が触れても、強い風が吹いても、ぜったいに音が鳴らないのだといわれている。
その美しく澄んだ音が響き渡るのは――花乙女が選ばれる日だけだとされている。
誰もが一斉に、広場の中央にある噴水を見下ろす。小さなざわめきが広がる。花乙女が選ばれるのを、誰もが固唾を呑んで待っている。
私はひとり、胸元に手を当てて深呼吸をする。
大丈夫だ。きっと、大丈夫。そう何度も唱えて、心を落ち着かせる。
そうしながら、私は噴水を注視する。プロローグ兼チュートリアルの様子を脳裏に思い描いては、じりじりと待ち続ける。
カルナシア王国の歴史において、異世界から花乙女がやって来た例は一度もない。カレンが召喚された暁にはみんな驚くだろうけど、私はこのあと起きることをすべて把握している。
しかしなかなか噴水は光りださず、待てど暮らせどカレンは姿を現れない。
おかしいな。ゲームだと鐘が鳴り響く最中、噴水が光り輝くって話だった。これ以上焦らされたら、私の心臓が緊張で爆発しそうなんだけど。
「アンリエッタ」
そんな最中、隣のエルヴィスが私を呼ぶ。その声が惚けたような響きを持っていたから、私は反射的に彼のほうを向いた。
エルヴィスは愕然と目を見開き、私のことを見つめていた。
いや、エルヴィスだけじゃない。今や誰も噴水のほうなんて見ていない。エルヴィスも、その横の生徒も、他の生徒も。なぜか、私のことを見つめていた。
異様な熱を感じさせる視線をいくつも浴びながら、私は戸惑う。もしかしてだけど、パン屑とか口元についてたりする?
その拍子に、視界の端を何かが横切った。
「ん?」
次から次へと、何かが降ってくる。雨粒ではない、もっと大きい何かだった。
うざったくて、私は胡乱に思いながら頭上を見上げる。すると吸い込まれそうなほど青い空から落ちてきたそれが、私の頬に触れた。
手に取ってみて、ようやく気がつく。
その正体は、一枚の花弁だった。
「え、えっと?」
とりあえず立ち上がって、水に濡れた犬のようにぶんぶん頭を振る。その弾みに、頭に乗っていたらしい数枚の花弁がはらはらと地面に落ちた。赤、ピンク、黄、青、紫、白。どれもきれいな色のものだ。
その現象が意味することを知っている。それでも私は、突っ立ったまま認められずにいる。
「アンリエッタ様だわ」
呆然とする私を置いて、最初にそう呟いたのは誰だったのだろう。
次第にその波は渦のように、歓喜と動揺と共に広がっていく。そして名前も知らない誰かの声が、運命を決定づけるように噴水広場に響き渡った。
「女神エンルーナは、アンリエッタ・リージャスを花乙女に選ばれた!」
わっと歓声が上がる。それは怒号のような興奮へと変わっていく。
「アンリエッタ様!」
「花乙女様!」
「カルナシア王国に、栄光あり!」
「カルナシア王国に、花乙女あり!」
噴水の傍に立ったまま唖然するノア。隣で眉を寄せているエルヴィス。焦り顔で振り返っているラインハルト。
それに、愉快そうに笑うフェオネン。泣きながら拍手しているイーゼラ。どこにも、私の焦燥感を分かってくれる人はいないけど。
頬を、一筋の汗が流れていく。
私は最初から、何か大きな思い違いをしていたのかもしれない。
『聖なる花乙女の祝福を』によく似た世界。登場人物。ストーリー。でも。
――ここは本当に、乙女ゲームの世界なんだろうか?
読んでいただきありがとうございます。
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