第45話.遠くて近い夢
噴水広場に着くと、早くも二百人近い人数が広場中に散っている。フェオネンやハム先生といった学園の教師陣も、噴水近くに並んで待機していた。
私は空いている後ろの席に腰を落ち着けた。灰色の世界で見たアンリエッタの位置とは別のところだ。広場はわいわいと賑やかで、誰が花乙女に選ばれるのか話し合うのに周りは忙しそうだ。
耳を澄ましたところ、やはり上級生の名前が多く候補として挙がっている。中には迷宮の一件の影響か、イーゼラを推す声もある。本当にイーゼラが花乙女に選ばれたら、それはそれでおもしろいけど。さすがにないよね?
このままひとりで儀式の開始を待つつもりだったが、頭上から声をかけられる。
「アンリエッタ嬢。隣、いい?」
「ジェネリック・エルヴィス・ハント!」
「誰がジェネリック・エルヴィス・ハントだ」
私を一睨みしながら、エルヴィスは隣に腰を下ろす。
「私、まだいいって言ってないんだけど」
「顔に『いい』って書いてあるぞ」
「そんなばかな」
ふんっと鼻を鳴らす。さすがの私も、顔に文字を書いたりはしない。
「これで拭けよ」
「そんなばかなー!」
私は差しだされたハンカチを奪って顔を拭った。何もついていなかった。
エルヴィス許すまじ。ぎりりと歯軋りしていると、エルヴィスが横目で私を見る。周りの生徒はそれぞれの会話に夢中になっているので、人前でも態度を取り繕うことはしないようだ。
「で、魔喰い花の種子は手に入ったわけだが」
「ん? うん、そうね。おめでとう」
あんなに苦労して手に入れたのだ。さぞ嬉しかろうと相槌を打つと、エルヴィスが大仰なため息をついた。
「お前さぁ。材料を手に入れてみせるとか豪語しといて、やっぱり覚えてなかったのか」
「え? どういうこと?」
「薬学室で言ったろ。魔喰い花は、人格反転の魔法薬の材料だって。まァ、これからきっちり種から育てねーとだが」
うろ覚えだけど、そんなことを聞いた気もする。
あれ? それって、つまり――。
「や、やったじゃないエルヴィス!」
人目がなければ抱きつきたいくらいに興奮して、私は身を乗りだす。
「とうとう魔法薬が作れるってことでしょ!? ようやくエルヴィス様に会えるじゃない! しっかり花を育てて作ってよ、魔法薬!」
推しに会えるなら、ますますチュートリアルで死んでる場合じゃない。ときめきと共に目を輝かせて頬を赤らめる私だったが、エルヴィスは呆れたように「あのさ」と目を眇める。
「足りない材料がひとつだ、なんて言った覚えはねェんだけど」
「……へっ?」
何やら雲行きが怪しくなってきたのを感じ取り、私は鼻の頭に皺を寄せる。
「あと七つだ」
「な、七つ?」
「そう。辺境伯家の財力を持ってしても簡単に手に入らない材料が、あと七つ。それが揃わなけりゃ、人格反転の魔法薬は作れねーから」
しばらく放心した私は、ぽつりと呟く。
「そう、なんだ」
ぬか喜びだと分かれば、いっそう落胆してしまう。しかもこんなに苦労して手に入れるレベルの材料をあと七つなんて、どう考えても簡単ではない。
現実の厳しさを思い知った私が落ち込んでいると、エルヴィスが独りごちる。
「早く終わらねーかな、これ」
これ、というのはどうやら花舞いの儀のことを言っているらしい。
「エルヴィスは花乙女に興味ないの?」
「ねェな。今年選ばれるかも分からないものに、興味なんて持てるかよ」
他の生徒のように雰囲気で盛り上がるというより、エルヴィスはやや懐疑的なようだ。前回の花乙女の誕生から百年が経っているのだから、おとぎ話のように思えてしまうのは当然だろう。
どう返そうか迷っていると、エルヴィスが顔を寄せてきた。骨張った指先が私の目元を撫でる。
「もしかして、泣いたか?」
ひっそりとした声音で囁かれて、どきりとする。
「なんで……」
「目が腫れてる」
私は思わず身を引いて、自分の目元にそっと触れる。キャシーにしっかり化粧を施してもらったけど、この距離ゆえか鋭い観察眼ゆえか、エルヴィスは気づいてしまったらしい。
小さな声でエルヴィスが呟く。
「約束だからな」
「え?」
「あと七つの材料。お前が集めてくるって、約束したんだろ」
約束というか、それは深く考えず一方的に宣言しただけだけど。
「破んなよ」
横目で私を見たエルヴィスは、まるで鼓舞するように繰り返す。
私が泣いたのは、チュートリアルを生き残れる保証がないからだ。でもエルヴィスはその理由を、花乙女に選ばれる自信のなさから来るものだと思ったのかもしれない。
でもそんな不器用な励ましが、胸に響いた。
……そうだよね。生き残ってエルヴィス様に会うって決めたんだもん。
それに、あと七つの材料を集めるだけで推しに会えるのだ。ドラ〇ンボールだと思えば意外と行ける気がするではないか。
「うん! 私、がんばる! ぜったいエルヴィス様に会ってみせるんだから!」
そう改めて宣言して拳を握っていると、エルヴィスが露骨なため息をつく。
子どものように拗ねた横顔に気がついて、私は小首を傾げた。
「ねぇ、なんで不機嫌そうなの?」
「別に」
つっけんどんとした返事に、やっぱりご機嫌斜めじゃん、と肩を竦める。
「まぁ、素敵な方……」
「新しい先生かしら」
ふと、あちこちから女子生徒たちの感嘆の吐息が重なって聞こえる。反射的に彼女たちの視線の先を追ってみて、私はすこぶる納得した。
噴水の近く。校舎の柱に背を預けているのは、ノアだったのだ。
我が兄ながら、その佇まいは絵になる男前っぷりである。女子の視線が集中するのも分かろうというものだ。ラインハルトの目立つ赤毛が噴水近くに見えるので、護衛を務めるノアは傍に待機しているのだろう。
すると気配を感じたのか、ノアが顔を上げた。
かなり距離があるにも拘わらず、目と目が合う。昨夜、彼に縋りついてわんわん泣き喚いてしまったのを思い返して、私は恥ずかしくて堪らない気持ちになった。
でも本音で向かい合ってくれたノアに、弱気な顔は見せたくない。
私が笑顔で見返せば、ノアは私に向かって軽く頷いてみせた。そして直後に、私の真横――エルヴィスへと視線を移す。
その刃物のように鋭い眼差しに、エルヴィスのほうも即座に気づいた。かと思えば腕を伸ばしたエルヴィスが私の肩をぐいっと抱き寄せてきたので、私の呼吸が止まる。
近すぎる距離に、どきりと胸が高鳴る。








