第44話.少しだけ変わった未来
「ごきげんよう、ラインハルト殿下」
身分よりも才能が重視されるエーアス魔法学園ではあるが、王族ともなるとやはりその扱いにはみんな注意するものだ。私たちの会話が気になる生徒も多いようだったが、盗み聞きは危険だと思ったのか、そそくさと離れていく。
足を止める私だったが、ラインハルトが構わないというように首を横に振る。人の少なくなった廊下を自然と並んで歩いていると、ラインハルトが話しかけてきた。
「聞いたぞ。《魔喰い》と戦ったそうだな」
ラインハルトの耳にも、その件は入っていたらしい。
「見舞いをしたいと何度かノアさんに申し出たが、容態が良くないからと断られてしまった。もう学園に出てきて平気なのか?」
その話は初耳だったので、私は目をしばたたかせる。
私を利用してリージャス伯爵邸にご招待されようというラインハルトの思惑を、ノアが水際で食い止めてくれたということだろうか。さすノア。
でも眉根を寄せたラインハルトの表情にはいやみったらしさがなく、本気で私を心配しているようにも見えて――。
「ええ、もうすっかり良くなりましたわ。ご心配をおかけしました」
「そうか。……ではなくて、今のはあれだ。別にお前を心配したわけじゃないからな!」
――というのは勘違いだったらしく、まったく心配されていなかった。なんだか虚しい。
「あ、そうなんですね」
若干の気まずい沈黙が流れるが、ラインハルトには会話を続ける気があったらしい。
「迷宮に行くなら、どうして俺を頼らなかった?」
「頼るも何も、殿下は一年生じゃありませんよね?」
「逆飛び級すれば、一年に舞い戻れるだろう」
おや、聞いたことのない単語が飛びだしてきたぞ。
「俺が一年生になれば、あの迷宮の書にも入れた。お前の力になれたはずだ」
どうしよう。ラインハルトがおかしくなっちゃったよ。
「え? ああ、そうですよね。逆飛び級すればお兄様にいいところを見せられたのに、機会を奪ってしまってすみませんでした」
私はとりあえず話を合わせておいた。
逆飛び級という発想は意味不明だが、私を助ければノアの耳にも入るだろうしね。こういうところは、やっぱりノアオタクのラインハルトらしいなぁ。
「違う! 今はノアさんは関係な……いや、関係ないわけでもないが!?」
どっち?
なぜかキレている彼に、私は負けじとしかつめらしい顔で返した。
「ですが殿下を危険な迷宮にお呼びするわけにはまいりません。もしも殿下の身に何かあったらと思うと、私は身体の震えが止まらなくなるほどです」
王太子の身を危うくさせた罪で処刑される未来を想像すれば、本当に震えが止まらなくなる。そんな私を見下ろして、ラインハルトは感極まったような掠れ声で言う。
「アンリエッタ。お前はそうやって、いつも」
え? なに? 言いかけたところで、思わせぶりに口を閉じないでほしいんだけど。
いつも、なんだろう。いつもびくびくしてるって? 余計なお世話である。
私が頬を膨らませる横で、ラインハルトはぶつぶつ文句を言っている。
「だいたい、たった三人であの迷宮に行かせるなんてハム先生は何を考えているんだ。俺だって当時は中級魔法しか使えず、挑戦を泣く泣く諦めた迷宮なんだぞ。学園長が教師への権限を与えすぎているのが現状に繋がっていて……」
どうやら学園の判断にもの申したいところがあるようだが、実際は私たちが独断で迷宮に潜ったようなものだ。
と正直に明かすわけにもいかないので、私は話の向きを変えることにした。
「ところでお兄様はどちらに?」
「ノアさんなら、距離を置いて護衛してくれているはずだ」
ほほうと周囲を見回しても、ノアは発見できない。従魔を使って空から見張っているのかな?
私がきょろきょろしていると、ラインハルトがぼそりと言う。
「意外と、落ち着いているんだな」
意を問うように見上げれば、ラインハルトが首の後ろを掻く。
「今日、花乙女が選ばれるかもしれないわけだろう。心穏やかに振る舞うのは難しいんじゃないかと、そう思っていたから」
「なんだか殿下のほうが落ち着きがありませんね」
まぁ、花乙女の存在はカルナシア王国の安寧に関わるんだから当然か。
と遊び心で指摘してみたら、ラインハルトが咳払いする。
「もしや、精神を安定させる魔法具でも買っておいたのか?」
「そんなもの買ってませんよ!」
魔法具ハイの一件を引っ張りだされ、私はじっとりとラインハルトを睨んでしまう。睨み返してくるでもなく安心したように微笑まれれば、なんだか調子がくるったが。
「そうか。それと、例の約束は覚えてるか」
忘れましたと逃げたいところだが、眼力の強い目に見つめられれば否やとは言えない。
「はい、もちろん。お兄様にお贈りしたプレゼントの話ですよね」
そういえばあのとき買ったタルト・シトロン、ノアは食べてくれたのかな。その日のうちに屋敷に戻ってこなかったから、なんとなく聞けずじまいになっちゃったけど。
「ではその件は、いずれ伯爵邸で聞こう」
私はラインハルトの策士ぶりに恐れおののく。
この男、まだ家庭訪問計画を諦めていなかったのか!
「またな、アンリエッタ」
不屈の闘志に激震している私を置いて、機嫌良さそうに去っていくラインハルト。その背中をぼんやり見送っていると、後方から別の足音が近づいてきた。
「あーら、アンリエッタ・リージャスじゃない。こんなところでぼさっと立ち尽くして、どうされましたの?」
縦ロールの金髪を揺らしながら現れたのは、悪役令嬢イーゼラである。
今日は友人たちを連れていない。置いていかれたんだろうか。ぼっちの先輩として哀れみと共感の目でイーゼラを見返すと、彼女は急にもじもじし始めた。
「ええっと。ハム先生には、鍵を盗んだ件を謝罪しましたわ。もちろんエルヴィス様にも」
「ふぅん、そうなんだ」
「言っておきますが、あ、あなたにだけはお礼なんて言いませんわよ! あなたが勝手に来て、勝手にわたくしを助けた。ただそれだけのことなのですから!」
「はいはい、それでいいよ」
と私は苦笑する。そもそもお礼が言ってほしかったわけじゃないしね。
だって少なくとも私は、イーゼラの未来を変えることができた。
エルヴィス、それにイーゼラの力まで借りて、やっとの思いだったけど……それでも確かに変えられたものがある。その事実は、私のことも勇気づけてくれたのだから。
するとイーゼラは、ほとんど聞き取れないような小声でぽそりと付け足す。
「わたくし、思うのです。もしかすると本当にあなたが、花乙女に選ばれるのかも、と」
それは正直こっちのセリフである。イーゼラが上級魔法レベルの魔法を発動させた一件は、忘れようとしても忘れられない。何かの間違いで、カレンではなくイーゼラが花乙女に選ばれるなんてこともあり得るのでは、と私は密かに考えていた。
それにしても今日のイーゼラは殊勝な態度だ。よっぽど先日の一件を反省したと見える。
それなら私も、ここは乗ってあげたほうがいいだろう。
「あらあら。暫定・花乙女と人を揶揄していたのは、どこの誰だったかしらねぇ?」
いつもの調子でからかってやると、イーゼラの頬が林檎のように真っ赤に染まる。
「い、意地悪な方っ!」
足早に去っていくイーゼラ。うーん、朝っぱらから本当に騒がしいな、と思いながら、私は距離を置いて彼女のあとを追った。








