第43話.入学式
翌日は晴天だった。
空は穏やかに晴れ渡り、小鳥は楽しげに鳴き交わしながら枝と枝の間をぴょんぴょんと移動している。まだ肌寒いものの、少しずつ春の色が芽生えつつあるようだった。
朝食は喉を通らず、なんてことはなく、私はいつも通り朝食を平らげて料理長を喜ばせていた。食と睡眠は、精神の安定には必須なのだ。
春休み明けの教室は、いつも以上に賑わっていた。
しかし話題の中心となっているのは、休暇中の出来事ではなくエルヴィスとイーゼラである。
クラスメイトに囲まれた二人の姿は、もはや私からはまったく見えない。聞こえるのは二人のめざましい活躍を称える声ばかりだ。
「エルヴィス様の使われた上級光魔法、私もお目に掛かりたかったです!」
「あら、イーゼラ様も負けていなくてよ。イーゼラ様の魔力が偉大なあまり、《魔喰い》が自壊に至ったそうですから!」
エルヴィスとイーゼラ、ついでに私が協力して《魔喰い》を倒した件は、クラスどころか学園中に知れ渡っていた。
別に三人の誰かが言い触らしたわけではなく、春休み――つまり進級前に《魔喰い》に挑みたいと申し出た生徒がいたのだ。
しかし私たちが倒したことで、『一年生のための薬草図鑑』には《魔喰い》が出てこなくなった。しばらく経てば復活するそうだけど、誰が《魔喰い》を倒したのかという話になればハム先生も口を噤んではいられない。
ただ、広まっている経緯は事実とは異なっている。魔喰い花を手に入れたかったエルヴィスがイーゼラを誘い、私は迷宮学の単位が危ないので二人についていった、という筋書きになっているようだ。単位が危ういのは事実なので、あえて否定して回る意味もない。
ちなみに、回収された魔喰い花の種子はエルヴィスの手に渡ったらしい。功労者が宝箱の中身を手に入れるのは順当なので、文句はない。エルヴィスには本当に助けられたのだ。
するとエルヴィスを褒め称える生徒から少し距離を置いて、眼鏡の男子生徒が説明的な口調で友人に話しかけている。
「一年生のときに《魔喰い》を倒した最後の生徒は、ノア・リージャスとシホル・ダレスらしいぞ。しかもノア・リージャスは、一年の四の月以降、毎月《魔喰い》を倒しに単身で迷宮に潜っていたらしい。やっぱり化け物だよな」
そう、そうなんだよね、と自席についた私は激しく頷く。
なんとノア&シホル、何度も迷宮の書に入り《魔喰い》と戦っていたそうなのだ。
ノアが一年生の頃から上級魔法を使えた、という情報は『ハナオト』でも出てきていたけど、まさか入学直後から難易度の高い迷宮に入り浸っていたとは。
シホルは秋頃からノアに競って『一年生のための薬草図鑑』に赴くようになり、どちらが《魔喰い》を仕留められるか勝負していたそうだ。
それを聞いたとき、私は思った。私たちが相対した《魔喰い》がものすごい敵意を向けてきたのって、復活するたびに何度もノアとシホルに倒され続けて、激しい恨み辛みが溜まっていたからなのでは……と。
もちろん確認する手段はないのだが、あの殺気の理由はそれしかない気がする。だとすると私たちは、だいぶ割を食ったことになるが。
そういうわけで、いろんな意味で有名な《魔喰い》を倒したとあり、エルヴィスたちは周囲から英雄のように称賛されている。そんな騒ぎから距離を置いて、私はひとり頬杖をついて窓の外を眺めていたのだが。
「いえ、それはアンリエッタ嬢のおかげですよ」
人だかりの中心からそんな発言が聞こえてきたかと思えば、クラスメイトたちの視線が一斉に私に注がれる。
唐突にそんなことを言いだしたのは、考えるまでもなくエルヴィスである。
「アンリエッタ嬢が自分を省みず前に出て、魔法陣を用意するまでの時間を命がけで稼いでくれたんです。そのおかげで、僕はなんとか光魔法の発動に成功できました。彼女には本当に感謝してもしきれません」
控えめな笑顔で語るエルヴィスに、彼を取り巻く女子生徒たちがぽぽっと頬を染める。
「エルヴィス様ったら、ご謙遜されるなんて」
「なんて慎ましい方なのかしら」
ちょっと。ポイントアップのために、私を使わないでほしいんだけど!
そんな抗議を込めてエルヴィスを見やるが、素知らぬ顔をしている。とてもムカつく。
しかしそんな不用意な発言のせいで、私にまで追及が飛んできた。
「そうなのか、リージャス嬢?」
わっ、久々にエルヴィスかイーゼラ以外の生徒から話しかけられたよ。どぎまぎしつつ、私は首を横に振った。
「それは事実ではありません。私はエルヴィス様とイーゼラを頼りにしていただけですから」
謙遜ではなく、私の活躍など知れたものである。
それを聞いたクラスメイトの数人は感心した素振りを見せるが、ほとんどはすぐに興味を失って再びエルヴィスたちを質問攻めにしている。
やれやれと思っていると、ひとりの女子生徒が輪から離れて話しかけてきた。
「でも、すごいと思いますわ。《魔喰い》を前にして逃げなかったなんて」
うっ、なんだか褒め言葉を絞りださせたような罪悪感があるな。
「いえ、そんなことは」
「以前……お持ちの杖のこと、ばかにしてごめんなさいね」
しゅんとした顔で頭を下げられて、ようやく私は思いだした。その女子は、前に私の持つ杖を見て嘲笑った生徒だったのだ。
「そんな、気にしないで」
ぶんぶん、と私は両手を横に振る。ほとんど忘れかけていたのに、今になって謝ってくれるとは。
その子が涙を拭いながら頷いてくれれば、私は面映ゆい気持ちになる。私の努力を見ている人は他にもいるのかもしれないと、そんなふうに思えたのだ。
だが、今日は教室でのんびりしているわけにはいかない。間もなく入学式が行われるからだ。
私たちは教室を出て、講堂へと移動する。ずらりと並ぶ革張りの椅子に、クラスごと固まって着席した。上級生は友人と隣り合って座ったりとルーズな側面があるが、一年生は固い表情で席を詰めているので一目でそれと分かる。
そうして始まった入学式は、事務的で簡素なものだった。前回の花乙女が選ばれてちょうど百年目となる今年は、どうしてもそのあとの花舞いの儀に意識がいく。入学式での挨拶や説明なんて、上の空の生徒も先生も聞いていないのである。
ちなみに式で壇上に立っていたのは、いつも通り学園長ではなく副学園長の先生だった。学園長の正体は、おそらく学園の教師陣しか把握していないのだろう。
明確に口止めされてはいなくても、ハム先生の秘密については言い触らさないほうが良さそうだ。あとが怖いから。
滞りなく入学式が終わったあとは、屋根のある渡り廊下を使って屋外にある噴水広場に移動する。花舞いの儀への期待感は最高潮に高まっていて、先を争うように早足の生徒が多い。
入学したばかりの一年女子は、花乙女に選ばれる奇跡のシンデレラストーリーを思い描くだろう。二年や三年の女子は、あわよくばと念じているはずだ。男子生徒は他人事だと思って、花乙女を予想するのに熱中している。
ちょくちょく「暫定・花乙女があそこに」なんて声が耳に入ってくるけど、私は気にしなかった。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なのである。赤の他人の無責任な発言になんて構っていられない。
「アンリエッタ!」
そんな矢先、有象無象の囁きなんて掻き消してしまうほど張りのある声が渡り廊下に響いた。人波が割れて、現れたのは赤髪の王太子である。








