第41話.火花散る
ずかずかと長い脚でベッドに近づいてきたノアが、その場に屈んで私の肩を掴む。痛いくらいの力に面食らうが、振り解こうとは思わなかった。
「怪我は。身体のどこかに違和感は」
「え、ええ。大丈夫、です、けど……?」
小さな声で私が答えると、数秒経ってからノアが息を吐く。まるでぴんと張り詰めていた糸がようやく緩まったような、大きなため息だった。
そんなノアの切れ長の目が、おもむろに私の手元へと向けられる。
視線を追ったところで、あっと声を上げそうになった。そういえば、まだエルヴィスに手を取られたままだったのだ。
「違うんですお兄様。これはその」
意味をなさない弁解をしながら、私はエルヴィスから手を離そうとする。しかしそれを拒むように、エルヴィスは私の手をぎゅうと掴んだ。
ひゃっと私の肩が跳ねる。
「エ、エルヴィス……様?」
なんで。どういうつもり?
伺うように怖々と名前を呼んでみても、エルヴィスはこちらを向いてくれない。何を思っているのか、無表情でノアのことをじっと見上げているだけだ。
見返すノアの眉間には幾筋もの皺が寄る。挟まれた私はわけがわからなくなっている。
「ちょっとノア君、ドアが外れそうになってるよ。学園の設備を破壊するのはやめてくれる?」
そのタイミングでフェオネンが戻ってきたのは、私にとって救いだったかもしれない。ノアもエルヴィスも、それぞれ手を離してくれたからだ。
「力加減はしました」
愛想なく答えるノアに、フェオネンがくすりと笑う。
「おや、珍しく冷静さを欠いているね。そもそもいつものキミなら、遣いを寄越すだけだろうに」
「……偶然、手が空いていたもので」
憮然とした面持ちのノアと、からかい混じりのフェオネン。そんな両者を無言で眺めるエルヴィスを視界に収めた私は、思わず感嘆のため息をつく。
う、うはぁ。攻略対象三人が揃い踏み。なんというオーラ。なんという眼福なの!
だってゲームではこんなイベント、一度も発生しなかった。ノアとシホル、ラインハルトあたりはともかく、他の攻略対象はそこまで絡まないのだ。
奇跡的な3ショットを前にして、私は感激のあまり涙すら流しそうになっていた。するとノアが再びエルヴィスに目を向ける。
「ところで貴様は?」
貴様て。
一度は霧散したはずの冷たい敵意が場に満ちていくのを感じれば、小心者の私の胃はきりきりと痛む。
もちろん本性を出すことはなく、エルヴィスは優等生の口調で答える。
「アンリエッタ嬢と同じクラスの、エルヴィス・ハントです」
「ああ、ハント家の」
合点がいったというふうに頷いたノアだが、続く言葉に私は度肝を抜かれた。
「貴様がアンリエッタを、こんな目に遭わせたのか」
どうやら、学園側から話がうまく伝わっていないようである。私は慌てて挙手した。
「違いますお兄様。エルヴィス様を巻き込んだのは私です!」
さすがにエルヴィスに申し訳が立たない。強い魔法の使える彼がいなければ、私もイーゼラも助からなかったのだから。
簡単にあらましを説明すれば、あっさりと誤解は解けたようだった。
「そうか。俺の妹のアンリエッタが迷惑をかけたらしい。代わりに俺から詫びよう」
「いいえ。僕の友人のアンリエッタ嬢が望んでくれたことですから、お構いなく」
私はごくりと唾を呑み込んだ。
一見和やかな会話にも思えるが、言葉尻と裏腹にノアの目に一切の温度はなく、エルヴィスの形だけの笑顔はぞっとするほど寒々しい。
本当になんなのだろう、この異様な雰囲気は。
ノアとエルヴィスに隠れた因縁が、なんて設定はなかったし、やり取りからして二人は初対面のはずだ。それならどうして、こんなに空気が悪化するんだろうか。
私が息苦しさすら覚えて顔を青くしていると、何がおかしいのか笑みを漏らしたフェオネンが手を叩く。
「ほら、ノア君。妹君を連れ帰りに来たんだろう」
「……はい」
教師相手には慇懃らしいノアが、私を見やる。
「帰るぞ、アンリエッタ」
「は、はいっ」
立ち上がった私は、とりあえずエルヴィスに挨拶する。
「それではエルヴィス様。また学園で」
エルヴィスの深い翠色の目が、じっと私を見つめる。何か物言いたげだったが、結局は作り笑いを浮かべて変哲もない返事を口にした。
「アンリエッタ嬢も、お元気で」
続けて私は、手当や看病をしてくれたフェオネンに頭を下げた。
「フェオネン先生、お世話になりました」
「うん」と軽く頷いたフェオネンが、ノアに視線を向ける。
「ノア君、明日は家で休ませてあげてね。魔力の回復に時間がかかるだろうから」
「ええ、分かっています」
明日は春休み前の最後の登校日だが、私は登校させてもらえないらしい。
最近は授業の意味が分かってきて、少しずつ学園での生活が楽しくなってきていた。ちょっと残念ではあるが、校医の判断なら仕方がない。自分でも疲れている自覚はあるしね。
「それじゃあ、お大事に」
ひらひらと手を振られ、兄妹揃って医務室を辞す。
しかしドアを閉めたところで、ノアがその場にしゃがみ込んだ。
「お、お兄様? どうされました?」
めまいでもしたのかなと心配になるが、ノアはあっさりと言い返してくる。
「違う。早くおぶされ」
目を点にする私を、ノアが急かす。
ええっ。おぶされって、おんぶしてくれるってこと?
あのノアがまさかと思うものの、彼は私に背を向けて片膝をついている。冗談抜きで、本当におんぶしてくれるつもりらしい。
というか、ノアは恥ずかしくないんだろうか。誰かに見られたら"カルナシアの青嵐"は実は妹をかわいがっている、なんてあらぬ噂まで流れそうなのに。
「大丈夫です、お兄様。自分で歩けますわ」
「魔法で宙に浮かせて運ぶのと、どちらがいい」
想像してみたら、そっちのほうが恥ずかしそうだった。というかシュールだった。
これ以上待たせたらノアの不興を買いそうなのもあり、私は覚悟を決める。
「で、ではお願いします」
もじもじしながらノアの肩に手を置いて、その背へと寄りかかる。
ノアの両手が私の膝裏を支える。立ち上がると一気に視界が高くなったので、私は振り落とされないよう慌てて太い首にしがみつく。強靱な肉体は、私を背負った程度ではびくともしなかった。
眠っている間に、かなりの時間が経過していたのだろう。学園を包み込むように、窓の外には薄闇が広がっていた。
ノアは無言のまま、薄暗い廊下を進んでいく。
私はその背で揺られながら、重い唇をなんとか開いた。
「ごめんなさい、お兄様」
「…………」
「でも私、《魔喰い》の能力で魔力を失おうとしたわけじゃ……ないんです」
どう言い訳したものか、とずっと思案していた。きっとノアは、私が迷宮に向かった理由を誤解するだろうと思ったから。
そんな私の耳朶が、ノアの呟きを拾う。
「別に、最初から疑っていない」
「……え?」
「だが、俺は《魔喰い》を倒してこいなんて言った覚えはない。お前が戦う相手としては、実力差がありすぎる」
ぶっきらぼうな言葉の意味が、ゆっくりと私の胸に浸透していく。
ノアは、私を疑っていたわけじゃなかった。それどころか私のことを案じてくれていたのだ。
気持ちと一緒に頬が緩む。目蓋が重くなったのは、眠気がぶり返したせいだろう。《魔喰い》に吸われて失った魔力は、未だ回復していないから。
眠いけど、眠ったりしたらノアに申し訳ない。そんな思いが空回りして、私はほとんど無意識に何かをふにゃふにゃと口走っている。
「でもお兄様。聞いてください」
「なんだ」
「私ね、できたんですよ。初級風魔法。初級魔法三つの同時展開とかは、むりむりでしたけど。でも、ちゃんとできたから……えへへ。お兄様のおかげですね」
「そうか」
ほとんど呂律が回っていないけど、ノアはちゃんと聞き取ってくれたらしい。
「がんばったな」
だけどこれは、聞き間違いかなぁと思った。それか私は、とっくに夢を見ているのかも。あのノアが自主的に褒め言葉を言ってくれるわけ、ないもんね。
でもこれが夢なら、素敵な夢だ。
「はい。私、がんばりました」
口元を緩めて舟を漕ぐ私の頭を、何か大きなものがわしわしと撫でる。その不器用な手つきは、私の髪をぐちゃぐちゃに乱したことだろう。
でも、そんな感触がひどく心地よくて、私はそっと目を閉じていた。
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