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【書籍②発売】最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!【コミカライズ連載スタート】  作者: 榛名丼
第1部

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第41話.火花散る


 ずかずかと長い脚でベッドに近づいてきたノアが、その場に屈んで私の肩を掴む。痛いくらいの力に面食らうが、振り解こうとは思わなかった。


「怪我は。身体のどこかに違和感は」

「え、ええ。大丈夫、です、けど……?」


 小さな声で私が答えると、数秒経ってからノアが息を吐く。まるでぴんと張り詰めていた糸がようやく緩まったような、大きなため息だった。

 そんなノアの切れ長の目が、おもむろに私の手元へと向けられる。

 視線を追ったところで、あっと声を上げそうになった。そういえば、まだエルヴィスに手を取られたままだったのだ。


「違うんですお兄様。これはその」


 意味をなさない弁解をしながら、私はエルヴィスから手を離そうとする。しかしそれを拒むように、エルヴィスは私の手をぎゅうと掴んだ。

 ひゃっと私の肩が跳ねる。


「エ、エルヴィス……様?」


 なんで。どういうつもり?

 伺うように怖々と名前を呼んでみても、エルヴィスはこちらを向いてくれない。何を思っているのか、無表情でノアのことをじっと見上げているだけだ。

 見返すノアの眉間には幾筋もの皺が寄る。挟まれた私はわけがわからなくなっている。


「ちょっとノア君、ドアが外れそうになってるよ。学園の設備を破壊するのはやめてくれる?」


 そのタイミングでフェオネンが戻ってきたのは、私にとって救いだったかもしれない。ノアもエルヴィスも、それぞれ手を離してくれたからだ。


「力加減はしました」


 愛想なく答えるノアに、フェオネンがくすりと笑う。


「おや、珍しく冷静さを欠いているね。そもそもいつものキミなら、遣いを寄越すだけだろうに」

「……偶然、手が空いていたもので」


 憮然とした面持ちのノアと、からかい混じりのフェオネン。そんな両者を無言で眺めるエルヴィスを視界に収めた私は、思わず感嘆のため息をつく。


 う、うはぁ。攻略対象三人が揃い踏み。なんというオーラ。なんという眼福なの!

 だってゲームではこんなイベント、一度も発生しなかった。ノアとシホル、ラインハルトあたりはともかく、他の攻略対象はそこまで絡まないのだ。


 奇跡的な3ショットを前にして、私は感激のあまり涙すら流しそうになっていた。するとノアが再びエルヴィスに目を向ける。


「ところで貴様は?」


 貴様て。

 一度は霧散したはずの冷たい敵意が場に満ちていくのを感じれば、小心者の私の胃はきりきりと痛む。

 もちろん本性を出すことはなく、エルヴィスは優等生の口調で答える。


「アンリエッタ嬢と同じクラスの、エルヴィス・ハントです」

「ああ、ハント家の」


 合点がいったというふうに頷いたノアだが、続く言葉に私は度肝を抜かれた。


「貴様がアンリエッタを、こんな目に遭わせたのか」


 どうやら、学園側から話がうまく伝わっていないようである。私は慌てて挙手した。


「違いますお兄様。エルヴィス様を巻き込んだのは私です!」


 さすがにエルヴィスに申し訳が立たない。強い魔法の使える彼がいなければ、私もイーゼラも助からなかったのだから。

 簡単にあらましを説明すれば、あっさりと誤解は解けたようだった。


「そうか。俺の妹のアンリエッタが迷惑をかけたらしい。代わりに俺から詫びよう」

「いいえ。僕の友人のアンリエッタ嬢が望んでくれたことですから、お構いなく」


 私はごくりと唾を呑み込んだ。

 一見和やかな会話にも思えるが、言葉尻と裏腹にノアの目に一切の温度はなく、エルヴィスの形だけの笑顔はぞっとするほど寒々しい。


 本当になんなのだろう、この異様な雰囲気は。

 ノアとエルヴィスに隠れた因縁が、なんて設定はなかったし、やり取りからして二人は初対面のはずだ。それならどうして、こんなに空気が悪化するんだろうか。

 私が息苦しさすら覚えて顔を青くしていると、何がおかしいのか笑みを漏らしたフェオネンが手を叩く。


「ほら、ノア君。妹君を連れ帰りに来たんだろう」

「……はい」


 教師相手には慇懃らしいノアが、私を見やる。


「帰るぞ、アンリエッタ」

「は、はいっ」


 立ち上がった私は、とりあえずエルヴィスに挨拶する。


「それではエルヴィス様。また学園で」


 エルヴィスの深い翠色の目が、じっと私を見つめる。何か物言いたげだったが、結局は作り笑いを浮かべて変哲もない返事を口にした。


「アンリエッタ嬢も、お元気で」


 続けて私は、手当や看病をしてくれたフェオネンに頭を下げた。


「フェオネン先生、お世話になりました」


「うん」と軽く頷いたフェオネンが、ノアに視線を向ける。


「ノア君、明日は家で休ませてあげてね。魔力の回復に時間がかかるだろうから」

「ええ、分かっています」


 明日は春休み前の最後の登校日だが、私は登校させてもらえないらしい。

 最近は授業の意味が分かってきて、少しずつ学園での生活が楽しくなってきていた。ちょっと残念ではあるが、校医の判断なら仕方がない。自分でも疲れている自覚はあるしね。


「それじゃあ、お大事に」

 ひらひらと手を振られ、兄妹揃って医務室を辞す。

 しかしドアを閉めたところで、ノアがその場にしゃがみ込んだ。


「お、お兄様? どうされました?」


 めまいでもしたのかなと心配になるが、ノアはあっさりと言い返してくる。


「違う。早くおぶされ」


 目を点にする私を、ノアが急かす。

 ええっ。おぶされって、おんぶしてくれるってこと?


 あのノアがまさかと思うものの、彼は私に背を向けて片膝をついている。冗談抜きで、本当におんぶしてくれるつもりらしい。

 というか、ノアは恥ずかしくないんだろうか。誰かに見られたら"カルナシアの青嵐"は実は妹をかわいがっている、なんてあらぬ噂まで流れそうなのに。


「大丈夫です、お兄様。自分で歩けますわ」

「魔法で宙に浮かせて運ぶのと、どちらがいい」


 想像してみたら、そっちのほうが恥ずかしそうだった。というかシュールだった。

 これ以上待たせたらノアの不興を買いそうなのもあり、私は覚悟を決める。


「で、ではお願いします」


 もじもじしながらノアの肩に手を置いて、その背へと寄りかかる。

 ノアの両手が私の膝裏を支える。立ち上がると一気に視界が高くなったので、私は振り落とされないよう慌てて太い首にしがみつく。強靱な肉体は、私を背負った程度ではびくともしなかった。


 眠っている間に、かなりの時間が経過していたのだろう。学園を包み込むように、窓の外には薄闇が広がっていた。

 ノアは無言のまま、薄暗い廊下を進んでいく。

 私はその背で揺られながら、重い唇をなんとか開いた。


「ごめんなさい、お兄様」

「…………」

「でも私、《魔喰い》の能力で魔力を失おうとしたわけじゃ……ないんです」


 どう言い訳したものか、とずっと思案していた。きっとノアは、私が迷宮に向かった理由を誤解するだろうと思ったから。

 そんな私の耳朶が、ノアの呟きを拾う。


「別に、最初から疑っていない」

「……え?」

「だが、俺は《魔喰い》を倒してこいなんて言った覚えはない。お前が戦う相手としては、実力差がありすぎる」


 ぶっきらぼうな言葉の意味が、ゆっくりと私の胸に浸透していく。

 ノアは、私を疑っていたわけじゃなかった。それどころか私のことを案じてくれていたのだ。


 気持ちと一緒に頬が緩む。目蓋が重くなったのは、眠気がぶり返したせいだろう。《魔喰い》に吸われて失った魔力は、未だ回復していないから。

 眠いけど、眠ったりしたらノアに申し訳ない。そんな思いが空回りして、私はほとんど無意識に何かをふにゃふにゃと口走っている。


「でもお兄様。聞いてください」

「なんだ」

「私ね、できたんですよ。初級風魔法。初級魔法三つの同時展開とかは、むりむりでしたけど。でも、ちゃんとできたから……えへへ。お兄様のおかげですね」

「そうか」


 ほとんど呂律が回っていないけど、ノアはちゃんと聞き取ってくれたらしい。


「がんばったな」


 だけどこれは、聞き間違いかなぁと思った。それか私は、とっくに夢を見ているのかも。あのノアが自主的に褒め言葉を言ってくれるわけ、ないもんね。

 でもこれが夢なら、素敵な夢だ。


「はい。私、がんばりました」


 口元を緩めて舟を漕ぐ私の頭を、何か大きなものがわしわしと撫でる。その不器用な手つきは、私の髪をぐちゃぐちゃに乱したことだろう。


 でも、そんな感触がひどく心地よくて、私はそっと目を閉じていた。




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